恋するソレイユ

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10 思わぬ未来予想図

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 ジュヌヴィエーヴは困惑し、目の前の異邦人と、隣の兄とを交互に見つめた。

「えっと……?」

 どう答えればいいのだろうか。
 先日彼は、自分と寝て欲しいと頼んだとき、それは出来ないと断ってきた。つまりこの誘い文句は、そういう意味ではないということになるのだろう。それとも、急に気が変わったのだろうか。

 真意を量りかねて戸惑いの目を向けると、ギャレットは苦笑した。

「言葉が端的過ぎたな。順を追って説明しよう」

 そう言いながら時計を確認する。エティエンヌも同様に時計に目を遣り、頷いて「まだ大丈夫です」と時間があることを伝えた。
 ギャレットは状況を把握しきれていないジュヌヴィエーヴに、エティエンヌから頼まれたことを伝えた。

「きみが望むのならば、わたしはきみをこの国から連れ出し、行く先が英国内であるのなら、住まいや仕事の世話にも力を貸すことを約束しよう」

 センスのいいフランス人を侍女や話し相手シャペロンに欲しがる貴婦人は多い。ジュヌヴィエーヴは物怖じしない性格であるのはわかっているし、そういった仕事にもすぐに慣れることだろう。明るい彼女には案外向いているかも知れない。

「どうだろうか? きみ次第だ」

 ギャレットは窺うような優しい目つきで尋ねてくれた。横からエティエンヌも笑みを向けている。
 けれど、ジュヌヴィエーヴは突然の話に困惑を隠せない。
 こんな展開を考えたことはなかった。確かにあの家を出ることはこの二年間ずっと考えていたことだし、何度も実行に移して来た。その度に失敗に終わっていたので、ジョゼフィーヌからの遺産を受け取った今回は、もっと慎重に、じっくりと機会を窺って実行に移そうと計画を進めているところだった。

 そもそも国を出るという考え自体がなかった。今までは故郷に帰ることばかりを考えていたし、その為に、リヨンに向かう道程の途中を抑えられて連れ戻されるばかりだったことを考えると、海を越えてしまう方が、逃げ出せる可能性は高いのかも知れない。
 家を出ることを最優先に考えると、ギャレットの提案に乗ることは非常に有利なように思えた。一度きっちりと父の監視から逃れ、態勢を整えてから、改めて故郷に戻る方がいいような気がする。

 ざっと今後のことを考え、ギャレットの提案に乗ることが一番自分にいいように動くような気がする、と判断した。
 その表情から決意を感じ取ったギャレットは、更に話を続ける。

「上流階級ではフランス語の教養を必要とされてもいるし、そういった方面から仕事を探すことも出来るだろう。英語は、多少は出来ただろう?」

「ええ。でも、発音はあまり自信はないけれど……」

「聞き取れるならなんとかなるだろう」

 問題ない、とギャレットは頷き、エティエンヌに視線を向けた。

「こういうことでいいだろうか?」

 エティエンヌは大きく頷き、そのまま深々と頭を下げた。

「いろいろとご迷惑ばかりをおかけした上に、このような我儘まで聞いてくださり、本当にありがとうございます」

「気にしないでくれ」

 ギャレットは苦笑して首を振り、エティエンヌに頭を上げさせる。
 確かに、頼まれた内容は驚くようなものだったし、困惑するようなものでもあった。けれどこの半月程の間、彼から言われたことを考え、悩み、最善と思われる策として考え抜いたのが、この話だったのだ。
 本来なら、親戚でもなく、落とし物を拾ってやっただけの関係故に、こんなことをするような間柄ではない。しかしギャレットは、何度か会って話すうちに、突拍子もない行動を取るジュヌヴィエーヴを可愛いと思うようになったし、その彼女を助けてやりたいと思った。だからこそ、自分が協力して、国境を越えさせることを導き出したのだ。

「丁度来週から、わたしは一時帰国することになっている。そのときに必要な根回しをして来るよ」

 あら、とジュヌヴィエーヴを驚いたように顔を上げた。

「それでは、私もすぐにそちらに行くことになるのかしら?」

「いいや。それはあまり建設的ではないね。根回しをしてくるつもりだが、準備が整うわけではない。もう少し時間がかかるだろう」

 そういうものなのか、と頷き、兄へと目を向ける。エティエンヌもそのことには同意を示し、

「こちらもそんなにすぐに動くことは出来ないと思うよ。お父さんの目を逃れる為の準備をしなければならないでしょう?」

 と見解を示した。言われてみれば確かにその通りだ。
 ふむふむ、とジュヌヴィエーヴは自分を納得させ、二人の話を承諾した。

 話が纏まったところで時計を見遣ると、午後七時を少し過ぎたところだ。父の帰宅はまだ先のことだろうが、夕食は八時からとなっているので、それまでに帰っておかなければ、これまた父に報告されて面倒なことになると思われる。
 今後の話もエティエンヌが進めてくれることを確認し合い、慌ててお暇することにした。

「これを持って行きなさい」

 玄関まで見送りに出て来たギャレットは、執事から受け取った箱を二人に差し出す。最近人気の出て来た焼き菓子店のものだ。

「散歩のついでに買い物をしていて遅くなったことにすればいい」

 アリバイ工作の為に用意していてくれたらしい。そんなところまで気が回っていなかった兄妹は驚き、同時に感謝の言葉を述べた。


 二人が慌てつつも澄ました顔で家に帰り着くと、なんと父が帰って来ていた。外出していた場合、夕食より前に帰宅することなど稀だというのに、今日はそういう日だったらしい。

「何処に行っていたんだ」

 父は二人の姿を見て少し不機嫌そうに尋ねたが、いつものように怒鳴りつけては来ない。

「涼しくなってきたし、ちょっと散歩して来たんです。寄り道してしまって、遅くなってしまいました」

「散歩?」

「私がここのマカロンが食べたいって言ったの。選んでて遅くなってしまったのよ」

 怪訝そうにする父に向かって、ジュヌヴィエーヴはギャレットのくれた菓子の箱を見せる。丁度よかった。
 さすがの父も身体の弱い息子のことは把握しているらしく、彼が夏の頃は夕暮れ時に散歩に出かけることは知っていて、そのことに対して追及したり、変に疑うような様子はなかった。ジュヌヴィエーヴのこともその延長上のことだと受け止めたらしい。
 それでも、この父がジュヌヴィエーヴの行動を咎めないどころか、怒鳴りもしないのはおかしなものだ。なにか余程気分がよくなるようなことでもあったのだろうか。
 怪訝に思って父の様子を窺うが、なにかを言われるようなことはなく、夕食であることを告げられただけだった。
 ジュヌヴィエーヴとエティエンヌはお互いに顔を見合わせ、丁度部屋から降りて来ていたアントワーヌの方を見てみるが、彼も父の様子を気味悪そうに見遣っていた。

 夕食の席はいつも通りだった。違うところと言えば、ジョゼフィーヌの葬儀以来初めて父が同席していることくらいだろうか。
 変なの、と思いつつもジュヌヴィエーヴは静かに食事を進め、いつもと変わらずに誰よりも早く食事を終え、さっさと席を立った。モンクレーヌ家では食事を終えた者から退席していいことになっているので、マナー違反ではない。

「ジュヌヴィエーヴ」

 控えていた従僕が椅子を引いてくれたところで呼び止められる。返事はしないまでも、一応は動きを止め、父の方へ視線を向けた。

「話がある。居間の方で少し待っておれ」

 ジュヌヴィエーヴは僅かに顔を顰めたが、溜め息と共に肩を竦め、仕方なく居間の方へ向かった。明日の予定でも話すつもりなのだろう。いつものことだ。
 しばらくすると、食事を終えた父とジャン=ポールがやって来た。その様子に思わず顔を顰める。
 ジャン=ポールは言わずもがな。父が先程までとは比べ物にならないくらいに、機嫌がよさそうだったからだ。
 機嫌がよさそうだということはなんとなく感じていたが、ここまでにこやかな表情をしてはいなかったし、こんな表情を見せた姿も初めてのことだ。
 いったい何事だろう、と怪訝に思っていると、父は持って来たワインを高々と挙げて、信じがたい言葉を言い放った。

「可愛いジュヌヴィエーヴ、お前の結婚が決まったぞ!」

 これはその祝杯だ、と笑みを浮かべた父は、ジャン=ポールとグラスを打ち合わせた。
 なんの冗談だ――ジュヌヴィエーヴは言葉もなく、その場に呆然と立ち尽くした。

「式は早いうちがいいと思ったのだが、先方が、雪の中に立つお前の花嫁姿を見てみたいと仰られてな。年が明ける頃がよいだろうということで、話が纏まった」

 ジュヌヴィエーヴは双眸を見開いたまま父のことを見つめた。

「白絹のドレスの花嫁衣装を着せて、銀世界に立たせたいのだという。きっと妖精の女王のようだろうと仰っていた。まったく夢見がちなことだとは思うが、白はお前に似合うだろうということは、わたしも同意する。なあ、ジャン=ポール?」

「はい、父上。まったくその通りです。こいつには白が似合うと思います」

 父と長兄は楽しそうに語らっている。

「おめでとう、妹よ!」

 ジュヌヴィエーヴは酷い眩暈を覚えた。
 ぐるぐると世界が回る中で、二人の声は水底で聞くかのように、もわもわと変な反響で以て聞こえてくる。その中で相手の名前らしきものを辛うじて聞き取ったが、それがどんな人物であったかは思い出せない。

「しかし、こんな生意気な跳ねっ返りに五万フランも出すとは! シャルパンティエ卿は豪気な方ですね」

 ジャン=ポールの笑い声に、意識が引き戻される。
 五万フラン――それが父が決めたジュヌヴィエーヴの価値なのだ。 (注釈:現在の日本円で約五千万円くらいと思ってください)
 ジュヌヴィエーヴは静かにスカートを抓み上げ、礼儀作法で習った通りの丁寧な礼で膝を折る。その仕種に上機嫌な父は笑みを向け、退室することを許した。

 ふらり、と覚束ない足取りで居間を出ると、ドアの向こうにエティエンヌとアントワーヌが立っていた。ここで中の様子に聞き耳を立てていたらしい。

「ジジ……」

 エティエンヌが痛ましげな声で名を呼び、けれど、それ以上はかけるべき言葉が思いつかなかったらしく、ぐっと口許を引き結ぶ。
 ジュヌヴィエーヴはそんな兄達に目を向け、皮肉気な笑みを浮かべて自嘲するが、すぐにその視界が潤み、兄達の心配そうな表情がぼやけて滲んだ。

「ジジ!」

 そのままくるりと背を向けて走り出した妹の後ろ姿に、エティエンヌは焦って声をかける。

「俺が行く。お前は親父共へ上手く言い訳しとけ」

 走ることが出来ないエティエンヌに代わり、アントワーヌが妹を追い駆けて走り出す。エティエンヌは頷き、祝杯を挙げている父と長兄がいる居間へと目を向けた。




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