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第一章
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「報告は以上になります」
「ああ」
頷くと、フィンは手元の書類の束をラルフに差し出した。
「これは各所へ戻してくれ」
「承知いたしました」
「午後の予定に変更はないな」
「はい。……本当にサラ様に乗馬を教えるのですか」
書類を受け取りながらラルフは尋ねた。
「問題があるのか?」
「いえ……そういうのを好むような方には見えないなと思って」
「身体を動かしたいのだそうだ。ここの生活は身体がなまると言っている」
「ダンスの練習をしていますよね」
「それだけでは物足りないそうだ」
「へえ。意外と活動的な方なんですね」
「……巫女だった時は王宮から出られなかったし、足も不自由だったからな。その反動なのかもしれない」
サラがこの屋敷に来てから十日ほど経った頃。『身体を動かしたい』と訴えられた。
貴族に必須のダンスを習い始めたばかりで、運動ならそれで十分ではないかと言うと『それだけじゃ足りないから他にもやりたい』と言われたのだ。
それまで住んでいた世界での仕事は体型の維持が大切で、毎日のように身体を動かしていたのだという。
――あの再会した時に着ていたようなペラペラの服を着た姿を無数の者たちに見せていたのかと思うと腹立たしいが、それをサラに言うと『向こうでは人気のお仕事だったし、学校に通いながら生活費を稼ぐには一番都合が良かったの』と反論された。
向こうの世界では成人前に両親を亡くし、自身の生活費を自分で稼がなければならなかったサラの境遇を思うと、それ以上言うことはできなかった。
ダンス以外ならば馬かとぽつりと呟くと、サラは『乗馬ってずっとやってみたかったの』と目を輝かせた。――あの期待に満ちた表情を見せられたら、やらせないわけにはいかないだろう。
業務の合間に軽く昼食を済ませてフィンが厩舎へと向かうと、既にサラが待っていた。
「……サラ様ってめちゃくちゃスタイルいいですよね」
「じろじろ見るな」
後ろで呟いたラルフを睨みつける。
「フィン」
こちらに気がついたサラが駆け寄ってきた。
「どう、似合う?」
「ああとても似合っている」
「こういうの着てみたかったの」
腰に手を当てて、サラはカメラの前でするようなポーズを取った。
そんなサラに目を細めて、フィンは乗馬服に身を包んだ彼女を改めて眺めた。
長身で細身、そして手足が長いサラは、身体にフィットした黒のコートと白いパンツが良く似合っている。
鍛えていると言っていた通り、ただ細いだけでなく適度な筋肉がついていて、背筋が伸びた姿勢も美しく、ラルフでなくともその肢体に見惚れてしまうほどだ。
「今日は私と同乗して、まずは馬に乗る感覚に慣れてもらう」
サラを促し、歩きながらフィンは言った。
「公爵家が所有する牧場がある。そこまで行って、サラの馬を選ぼう」
「私の馬?」
「相性があるからな。専用の馬を決めて信頼関係を築いた方が上達も早い」
「そうなのね。分かったわ」
フィンの言葉にサラは頷いた。
*****
「わあ、早い!」
フィンの後ろに跨り、馬が走り出すと思わず声を上げた。
馬の背は想像以上に高く、そしてスピードもある。
最初は怖いと思ったけれど、風の心地良さを感じている間にすぐに慣れた。
(多分、フィンが上手なのよね)
早いけれど安定した走りで、初めて馬に乗った私でも安心してその身を委ねられる。
私がその背中にしがみついていては操縦しにくいだろうに、そんな様子を全く感じさせなかった。
(さすが元将軍だわ)
昔、彼はまるで風のように馬を操り、戦場を駆け抜けていたと聞いたことがあったのを思い出した。
草原を走り抜け、森へと入ると馬はゆっくり歩き出した。
「怖くはなかったか」
フィンが声をかけてきた。
「ええ、気持ちよかったわ」
「それは良かった」
「私もあんな風に走ることができるかしら」
「それはサラの努力次第だな」
「頑張るわ」
会話を交わしながら森を見回した。
木漏れ日の降り注ぐ小道を馬で進むのは気持ちがいい。
周囲からは鳥のさえずりも聞こえる。
(でも……何も感じない)
生命力を司る月の女神の娘であった前世の私には、動植物の生命力といったものを感じることができた。
けれど今は、ただ感じるのは頬に触れる風や木々の音といったものばかりで、それが少し悲しくなってフィンにしがみ付く腕にぎゅっと力を込めた。
「サラ? どうした」
「……いえ。森が綺麗だなと思って」
「ああ、この森は戦争で一度焼けたが、今ではすっかり元通りになった」
「……たった十三年で?」
「女神の加護だろうと領民たちは言っている」
確かに、女神の力があれば森の回復は早いのだろう。
(お母様の……力)
それならば今、ここにまだ女神の力が満ちているはずなのに。
それが感じられないなんて。
「お待ちしておりました、公爵様」
牧場へ着くと数人の男性が待っていた。
「こちらが噂の婚約者様ですね」
「サラだ」
「初めてお目にかかります、ヨセフと申します。確かに女神像によく似ていらっしゃいますね」
元騎士で、今は牧場の管理を任されているという初老の男性は笑顔でそう言った。
教会にいた子供たちが親などに言ってしまったらしく、公爵についに結婚相手ができたという話はあっという間に領内に広まったという。
私のことは『公爵の恋人だったが戦争中に生き別れてしまった女性』となっているのだとハンナが教えてくれた。
公爵はその姿を女神像とするほどに彼女のことを忘れられなかったが、国外で暮らしていた彼女をようやく見つけ出し、再会したのだと言われているそうだ。
「全くの嘘ではないですし、ちょうど良いからと噂を訂正せず放っておくそうですわ」
笑いながらハンナはそう言った。
「ああ」
頷くと、フィンは手元の書類の束をラルフに差し出した。
「これは各所へ戻してくれ」
「承知いたしました」
「午後の予定に変更はないな」
「はい。……本当にサラ様に乗馬を教えるのですか」
書類を受け取りながらラルフは尋ねた。
「問題があるのか?」
「いえ……そういうのを好むような方には見えないなと思って」
「身体を動かしたいのだそうだ。ここの生活は身体がなまると言っている」
「ダンスの練習をしていますよね」
「それだけでは物足りないそうだ」
「へえ。意外と活動的な方なんですね」
「……巫女だった時は王宮から出られなかったし、足も不自由だったからな。その反動なのかもしれない」
サラがこの屋敷に来てから十日ほど経った頃。『身体を動かしたい』と訴えられた。
貴族に必須のダンスを習い始めたばかりで、運動ならそれで十分ではないかと言うと『それだけじゃ足りないから他にもやりたい』と言われたのだ。
それまで住んでいた世界での仕事は体型の維持が大切で、毎日のように身体を動かしていたのだという。
――あの再会した時に着ていたようなペラペラの服を着た姿を無数の者たちに見せていたのかと思うと腹立たしいが、それをサラに言うと『向こうでは人気のお仕事だったし、学校に通いながら生活費を稼ぐには一番都合が良かったの』と反論された。
向こうの世界では成人前に両親を亡くし、自身の生活費を自分で稼がなければならなかったサラの境遇を思うと、それ以上言うことはできなかった。
ダンス以外ならば馬かとぽつりと呟くと、サラは『乗馬ってずっとやってみたかったの』と目を輝かせた。――あの期待に満ちた表情を見せられたら、やらせないわけにはいかないだろう。
業務の合間に軽く昼食を済ませてフィンが厩舎へと向かうと、既にサラが待っていた。
「……サラ様ってめちゃくちゃスタイルいいですよね」
「じろじろ見るな」
後ろで呟いたラルフを睨みつける。
「フィン」
こちらに気がついたサラが駆け寄ってきた。
「どう、似合う?」
「ああとても似合っている」
「こういうの着てみたかったの」
腰に手を当てて、サラはカメラの前でするようなポーズを取った。
そんなサラに目を細めて、フィンは乗馬服に身を包んだ彼女を改めて眺めた。
長身で細身、そして手足が長いサラは、身体にフィットした黒のコートと白いパンツが良く似合っている。
鍛えていると言っていた通り、ただ細いだけでなく適度な筋肉がついていて、背筋が伸びた姿勢も美しく、ラルフでなくともその肢体に見惚れてしまうほどだ。
「今日は私と同乗して、まずは馬に乗る感覚に慣れてもらう」
サラを促し、歩きながらフィンは言った。
「公爵家が所有する牧場がある。そこまで行って、サラの馬を選ぼう」
「私の馬?」
「相性があるからな。専用の馬を決めて信頼関係を築いた方が上達も早い」
「そうなのね。分かったわ」
フィンの言葉にサラは頷いた。
*****
「わあ、早い!」
フィンの後ろに跨り、馬が走り出すと思わず声を上げた。
馬の背は想像以上に高く、そしてスピードもある。
最初は怖いと思ったけれど、風の心地良さを感じている間にすぐに慣れた。
(多分、フィンが上手なのよね)
早いけれど安定した走りで、初めて馬に乗った私でも安心してその身を委ねられる。
私がその背中にしがみついていては操縦しにくいだろうに、そんな様子を全く感じさせなかった。
(さすが元将軍だわ)
昔、彼はまるで風のように馬を操り、戦場を駆け抜けていたと聞いたことがあったのを思い出した。
草原を走り抜け、森へと入ると馬はゆっくり歩き出した。
「怖くはなかったか」
フィンが声をかけてきた。
「ええ、気持ちよかったわ」
「それは良かった」
「私もあんな風に走ることができるかしら」
「それはサラの努力次第だな」
「頑張るわ」
会話を交わしながら森を見回した。
木漏れ日の降り注ぐ小道を馬で進むのは気持ちがいい。
周囲からは鳥のさえずりも聞こえる。
(でも……何も感じない)
生命力を司る月の女神の娘であった前世の私には、動植物の生命力といったものを感じることができた。
けれど今は、ただ感じるのは頬に触れる風や木々の音といったものばかりで、それが少し悲しくなってフィンにしがみ付く腕にぎゅっと力を込めた。
「サラ? どうした」
「……いえ。森が綺麗だなと思って」
「ああ、この森は戦争で一度焼けたが、今ではすっかり元通りになった」
「……たった十三年で?」
「女神の加護だろうと領民たちは言っている」
確かに、女神の力があれば森の回復は早いのだろう。
(お母様の……力)
それならば今、ここにまだ女神の力が満ちているはずなのに。
それが感じられないなんて。
「お待ちしておりました、公爵様」
牧場へ着くと数人の男性が待っていた。
「こちらが噂の婚約者様ですね」
「サラだ」
「初めてお目にかかります、ヨセフと申します。確かに女神像によく似ていらっしゃいますね」
元騎士で、今は牧場の管理を任されているという初老の男性は笑顔でそう言った。
教会にいた子供たちが親などに言ってしまったらしく、公爵についに結婚相手ができたという話はあっという間に領内に広まったという。
私のことは『公爵の恋人だったが戦争中に生き別れてしまった女性』となっているのだとハンナが教えてくれた。
公爵はその姿を女神像とするほどに彼女のことを忘れられなかったが、国外で暮らしていた彼女をようやく見つけ出し、再会したのだと言われているそうだ。
「全くの嘘ではないですし、ちょうど良いからと噂を訂正せず放っておくそうですわ」
笑いながらハンナはそう言った。
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