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第一章

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「ここにいるのは訓練中や予備など、主がいない馬です」
案内された厩舎には十五頭ほどの馬がいた。
このハンゲイト領は国境の地にあり、国防の要でもある。
そのため王都に次ぐ騎士団を所有しており、騎士や馬の数も多く予備もまた多く必要なのだという。
「まずは一通り見ていただいて、気になる馬を選んでいただいてもよろしいでしょうか」
「ああ」
ヨセフの言葉に頷くと、フィンは私へ振り返った。
「危険だから手を出したり近づきすぎないように」
「……ええ」
やや緊張しながら厩舎の中に入っていった。

(色々な色の馬がいるのね)
気になる馬と言われても、色くらいで他の違いがよく分からない。
それでも一頭一頭確認しながら奥まで進み、一番端まで行くと、その奥でこちらに背を向けていた馬が頭を上げ振り返った。
「……綺麗」
どこか他の馬と異なる雰囲気を纏った、艶やかな灰色の毛を持つ馬だった。
光の当たり具合によってはその毛は私の前世や女神と同じ、銀色に見えた。

「ああ、その馬はダメなんです」
見惚れているとヨセフが言った。
「二年ほど前に森で保護したのですが、全然人に慣れなくて……」
ふいに馬がこちらへ頭を出すと私に向かって頭を下げた。
「これは……」
「……撫でて欲しそうだな」
フィンを見上げるとそう答えた。
「触っても大丈夫なの?」
「――ゆっくりと、鼻のあたりに手を近づけてみろ。いきなり触れずに相手に匂いを嗅がせるんだ」
言われた通りに差し出すと、馬は自分から顔を手に擦り付けてきた。

「なんと……」
ヨセフの驚いた声が聞こえた。
「この芦毛の馬は気位が高いのか、全く人に慣れず、手入れをするのも大変なんです。それがあっさりと、初対面の人間に自ら触れるとは……」
顔だけでなく、首筋まで擦り寄せてくる馬を見つめながらヨセフは言った。

(この子……もしかして『神獣』なんじゃないかしら)
馬を撫でながら思った。
人間の一部に魔力を持った者がいるように、動物の中にも稀に魔力を持ったものがいる。
自らの意思で魔力を操ることのできる人間とは異なり、動物はその環境次第で性質を変え、悪い気や魔力に触れると『魔獣』となり、逆に良い環境にいると『神獣』となる。
森で保護されたということは、女神の加護を受けていたのだろう。
神獣は能力や知能が高い反面気位が高く、決して人に懐くことはない。
馬から感じる雰囲気は、かつて触れたことのある神獣と似ているように思えた。

「――その馬にするか? サラ」
私と馬の様子を見つめていたフィンが言った。
「いいの?」
「鞍を用意しろ」
「ですが公爵様、さすがに乗るのは……」
「試してみよう」
ヨセフに向かってフィンは言った。



外に出し、鞍を付けても、フィンに助けられながら跨っても馬は大人しいままだった。
「最初はただ座っているだけでいい」
フィンが手綱を持とうとすると、馬は初めて首を振り嫌がる素振りを見せた。
「私は一人で馬に乗るのが初めてなの。ちゃんとあなたに乗れるようにこの人が教えてくれるから、大人しくしてくれる?」
そう言いながら首を撫でると頷くように首を縦に振った。
「これは……」
「あの馬が人の言うことを聞くなんて」
「サラは昔から動物に好かれるんだ」
驚いた顔の男たちに向かってそう言うと、フィンは手綱を引いてゆっくりと歩き出した。

「この馬はなんていう名前なの?」
そういえば名前を聞いていなかったことに気付いてフィンに尋ねた。
「決めていない」
「……二年間も名前がないの?」
「いくつか付けたが、どう呼んでも反応しない。君の好きな名前をつけていい」
「気難し屋さんなのね」
首を撫でながらそう言うと、馬は否定するように首を小さく横に振った。

「君にはすっかり心を許したようだな」
フィンは私を見上げた。
「姿勢は悪くない。目線は下げずに進む方向を見て、肩の力も抜くといい」
「ええ」
「問題はなさそうだが、君には懐いたといっても、この馬も人を乗せるのは初めてだ。今日はひと回りするくらいにして、あとは馬の手入れ方法を教えよう。信頼関係を築くのにも大切なことだ」
「分かったわ」
教師のようなフィンの言葉に、教習所に通っているような気持ちになりながら頷いた。

厩舎へと戻ると、フィンやヨセフに教わりながら馬にブラッシングした。
心地良さそうに身を委ねる馬の毛に艶が出て、光を浴びて銀色に煌めく様子が月の光を思い出させた。
「……名前だけど。ルナはどうかしら」
思いついて口にした。
「ルナ?」
「月という意味なの。どう?」
馬に向かって尋ねると、馬は頭を擦り寄せてきた。
「気に入ったようだな」
「じゃああなたは今日からルナね」
ブラッシングしながらそう言うと、嬉しそうに長い尾が大きく揺れた。
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