交の鳥(こうのとり)

夏目真生夜

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第五章 天下一の姫君

天下一の姫君

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秀吉との謁見から一刻(二時間)後。
多田羅と妙は、秀吉から与えられた部屋に、二人でいた。
妙は布団の中にいる。
戸板での難儀な旅が終わり、久しぶりに畳の間で床について、妙は気分がよくなったらしい。わずかだが、その頬に赤みが戻っている。
「もうすぐ鶴をお前に食べさせてやれる」
多田羅がその手を握り、妙の耳元で囁くようにそう言う。
「鶴さん、殺されるの?」
「そうだな。可哀想か?」
妙は首を振った。
「ううん。それより、生きている鶴を見てみたい」

妙の頼み事に、多田羅は弱い。
それから数刻経ち、日が暮れかけた頃、多田羅は妙をおぶって、厨(くりや)に向かった。
鶴の半分は妙のものだという思いが、多田羅を大胆にしている。
厨には厨番らしい老人と九能がおり、鶴は厨の隅に縄でつながれ、くえーくえーと激しく啼いていた。
九能と老人は、まな板を前にして何か話している。
二人の邪魔をしてはと、多田羅と妙は厨にほど近い廊下から鶴の姿を黙って眺めていた。
「鶴さん、綺麗ね。天下一ね」
背中の妙が、そっと囁く。
「そうだな、天下一だな」多田羅もそっと背中を揺すって答える。
そんな自分の言葉に多田羅は、俺たちは今、天下一の城、大阪城内にいるのだと初めて気づいた。
もし鶴松が回復した折には、天守閣からの景色を妙に眺めさせてやりたい。
そう秀吉に頼めば叶うだろうかと、そんなことを多田羅は思った。
その時、妙が厨の方を指差し、声を上げた。
「あ、烏(からす)」
その言葉に多田羅が、妙の指の示す先を見遣ると、「羽!」と妙の声が跳ねるように響いた。
よくよく見れば厨の床に、烏の黒い羽が幾つか落ちている。
妙の声に驚いて、老人と九能の視線が、こちらに向けられた。
二人の体が動いたことで、その手元にあるまな板の上に灰色っぽい肉が載っているのが多田羅に見えた。
その肉に見覚えがある。
多田羅の頭にカッと血が上った。
「たばかったなっ、九能っ」
 そのまま二人の元に走り寄り、その肉をひっつかむと、九能の頬に押し当てた。
「これは烏の肉ではないか!」
 頬に肉を押しつけられた九能が目を逸らす。
その様子に、多田羅は確信した。
「どうせ根尾の山奥の田舎者に鶴肉の味などわかるまいと、そこらで捕まえた鳥の肉を妙に食べさせようとしたのだろう!!」
さきほどの二人の様子にしても、時節は冬で満足な野鳥もおらず、烏を捕まえたものの、灰色の肉があまりに禍々(まがまが)しく、どうしたものかと調理方の老人と九能が思案していたものだったのだ。
「先刻、秀吉と交わした鶴を半分こという約束は、何だったのだ! 俺は半分こだからこそのんだのだ」
九能は言葉を押し出すように言った。
「すまぬ。関白殿下の命(めい)である」
「何が半分こじゃあーっ!!」
多田羅は吠えた。
次の瞬間、九能の配下の者がやってきて、一斉に多田羅を押し包んだ。
このまま、妙ともども斬られて、鶴は召し上げられるのだ。多田羅にできるのは吠えることだけだった。
「斬るなら斬れっ。殺すなら殺せっ。呪ってやるっ。鶴松が、豊臣が滅びるよう、末代まで呪ってやるっ……」
 そこまで叫んで、ふと多田羅は口をつぐんだ。
斬り殺される前に、妙に言わねばならないことがある。
振り上げられた無数の白刃の下で、多田羅は、背中の妙に笑いかけた。
「妙、大丈夫だ。我らは夫婦。死出の道、極楽浄土の果てまで俺がそばについている」 
それは多田羅の心の奥から押し出されたような、静かで優しい声音だった。
シンと座が静まるような静寂が一瞬生まれたその時、
「何事であるか」
と金属を打ったような細い声がした。
先ほどまで多田羅と妙がいた廊下で、人の気配がする。
 多田羅は男どもに取り押さえられており、その声の主の姿が見えない。数人の女がまとう色とりどりの着物がわずかに見えた。その女たちは侍女で、その奥におそらく、さきほどの声の主はいるのだろう。
「御台様っ」
九能の声がうわずっている。
 御台という言葉に、秀吉の正室、北政所おね様かと多田羅は一瞬、思ったが、九能のごくりと動いた喉仏に緊張が漲っている。何より、ちらりと垣間見えた打掛の柄が華やかで若い。厨に現れたのは鶴松のお袋様、淀殿と知れた。
「何事?」
 この女性は言葉が短い。
事情に通じた九能の配下の者が、侍女の一人に耳打ちした。その侍女が淀殿に耳打ちする。多田羅には見えなかったが、その様子は九能がそちらを見る目の動きでわかった。
淀の冷たい声がした。
「鶴松が鶴汁を待っておる」
 多田羅は背中の妙に腕を回して、きつくその体を抱いた。
斬られる! 
次の瞬間、侍女らがいっせいに厨になだれ込んできた。女たちは九能の巨体も調理方の老人も九能の配下の者も、その場にいるすべての男たちの体を押しのける。
「鶴汁を半分、この子にやればいいのでしょう」
 すうっと伸びた白い手が妙の黒髪に触れるのを、多田羅は見た。淀殿、その人の顔は見えなかった。
「私の侍女に作らせます。いいですね?」
その言葉に、多田羅を押さえていた男たちの手の力が緩んだ。
「多田羅」
例の不思議な金属めいた声色で名を呼ばれて、「はっ」と多田羅は妙をおぶったまま平伏した。
「鶴を殺しなさい」
多田羅は、妙のおぶい紐をほどいて、「目をつむれ」と妙に優しく声をかけた。そのまま一直線に鶴に忍び寄り、「ヤッ!」とその首を切り落とした。
ケッと小さな断末魔が厨に響き、血が飛んだ。
 鶴の血は思ったよりも激しく噴き、淀殿の着物の裾にまで飛んだ。
「よい。膳の支度を急ぎなさい」
 その言葉を残して、淀殿は侍女にかしずかれて消えた。

 



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