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壊れた世界。
しおりを挟むあのゲリラライブを境に、ねねさんは変わってしまった。
〝ねね〟のアカウントは動かなくなり、毎日のライブ配信にも来なくなった。
ゲリラライブ後にあった、握手会にも当然現れなかった。
どうして、どうして。
動かない、現れない、ねねさんに不安が募り、気が狂いそうになる。
ねねさんのことばかり頭に浮かんで、何も手につかなくなる。
眠れなくなった。
そのせいで、不調も続いた。
今が大事な時期だというのに。
それでも、ねねさんを見ることは辞められなかった。
〝ねね〟のアカウントを見て、今日も動きがない、と肩を落として、今度は〝天音〟のアカウントを見る。
〝天音〟では、ねねさんは普通の日常を送っていて、ますます何故、〝ねね〟を動かさないのかわからなくなった。
そんな日々が続いた、ある日のこと。
俺は今日も楽屋でスマホを触りながら、自分の出番を待っていた。
すると、スマホに嬉しい通知が来た。
〝ねね〟がコメントしました。と。
「…っ!」
ねねさんだ!
やっと来たねねさんの動きに、心臓が高鳴る。
一体、何を言っているのだろうか。
今まで〝ねね〟を動かさなかった理由でも並べられているのだろうか。
それとも案外いつも通りに、翡翠について楽しそうに言葉を並べているのか。
何であれ、ねねさんからの言葉ならなんでもいい。
なんでも嬉しい。
はやる気持ちを抑えて、通知をタップする。
…が、そこに現れた言葉に、俺は言葉を失った。
『LOVEの透くん、眩しすぎない?』
は?
1週間ぶりに出てきた言葉が、これ?
自分の目を疑って、慌てて、アカウント名を見る。
しかし、間違いなく、ねねさんのアカウントだ。
な、何、これ。
意味がわからなかったが、習慣のように、ねねさんのプロフィールへと飛ぶと、そこには信じられない文字があった。
『透くんは私の一番星。』
自分の中の何かが静かに崩れていく。
ゆっくり、ゆっくりと、腐敗して、もう元には戻れない。
ねねさんの一番星は俺でしょ。
仄暗い感情が俺を支配して、どんどん暗闇へと引きずり込んでいく。
透って、誰。
ねぇ、ねねさん。
スマホを見つめたまま、俺はそこから動けなくなった。まるで蔦に囚われたように。
*****
翌る日も翌る日も、ねねさんはSNSで俺ではない推しの話をする。
『透くんのあのまっすぐな瞳。絶対に彼は大物になる!』
『今日も透くん、かっこいい!ライブ配信楽しみ!』
『透くん、大好き』
今日もスマホの画面に溢れる、ねねさんの〝透くん〟への愛の言葉に、俺の中の何かが確実におかしくなっていく。
そうして狂ってしまった俺は限界を迎え、倒れていた。
カーテンを閉め切った暗い寝室で、スマホの灯りだけがぼんやりと俺の顔を照らす。
ベッドの上で、俺は今日もスマホの画面をただただ見つめていた。
〝ねね〟を見ても、〝天音〟を見ても、そこにやはり俺への言葉はない。
ねねさんの一番星は、俺ではなくなってしまった。
〝ねね〟と〝天音〟。2つのアカウントを交互に見ていると、スマホにLINEの通知が表示された。
「人気アイドルromance翡翠、体調不良によるスケジュールキャンセル」という文字に、自分のことのはずなのにどこか他人事に思えてしまう。
…何やってるんだろ、俺。
スマホをその辺に置いて、まぶたを閉じる。
俺がここまで頑張って来れたのも、ねねさんがいたから。
崩れずに耐えられたのも、ねねさんがいたから。
ねねさんの一番星として、輝いていたかったから。
それが今はどうだろう。
俺はねねさんの一番星でもなんでもない。
ただの星屑になってしまった。
どうすれば、俺はねねさんの一番星になれるのだろう。
暗闇の中、俺はずっとずっと考えた。
もっと努力して、目を逸らせないほどの輝きを放つ。
…それでももし、ねねさんがこちらを見てくれなかったら?
ねねさんの目に留まるように、もっともっとメディア露出する。
…それでももし、ねねさんがこちらに関心を向けなかったら?
思いつく考えはどれも、最終的にはねねさんの判断に委ねられ、決定的でない。
ああ、どうすれば…。
悩みに悩み抜いて、俺はふと、あることを思いついた。
ねねさんに判断を委ねるからダメなのだ。
俺がその主導権を握ればいいのだ。
物理的に俺だけを見られるようにすればいい。
そう気づいた俺は、まぶたを開け、ベッドから降りた。
軽やかな足取りで、洗面台まで向かう。
先ほどまでの動けなかった俺が嘘かのように。
洗面台に辿り着き、鏡に微笑む男は、ねねさんが推していた翡翠とは違い、随分疲れた顔をしていた。
まずは顔を洗い、体力を取り戻そう。
そして、ねねさんを迎えに行くのだ。
あの日、ねねさんが忘れてしまった、ねねさんの輝く一番星として。
*****
ねねさんが…いや、天音さんが俺の目の前で、椅子に座り、すやすやと眠っている。
どうやらコーヒーに入れておいた睡眠薬がよく効いているようだ。
あまりにもよく眠っており、カクンッと落ちそうになった首に、俺は慌てて天音さんの側へと駆け寄った。
天音さんの膝裏に手を伸ばし、そっと抱き上げる。
それからそこにあったソファにゆっくりと寝かした。
ああ、今、あの天音さんが俺のところにいる。
俺の目を見て、俺の声を聞いて、花のように笑ってくれた。
そこには以前のような、愛はなく、狂いそうになったけれど。
だけど、大丈夫。
元々天音さんは俺が大好きだった。
頑張れば、俺だけを見れば、俺だけを好きになれる。
また前のように俺だけを、一番星にしてくれる。
天音さんを囚えるために、俺はいろいろなことをした。
体調を戻して、まずは復帰をした。
それからマネージャー、社員、メンバーが見るあらゆるところに天音さんの今の一番星がいるアイドルグループ〝LOVE〟の情報を散りばめた。
そうして、みんなの関心が高まったところで、俺は言った。
「LOVEって最近、勢いあるし、頑張ってるよね。なんか昔の俺らみたい。応援したくない?」
俺の言葉に、全員が「確かに」と頷いた。
そこからは簡単だ。
LOVEを応援したい、という気持ちを利用し、合同ライブを開けるようにした。
さらに天音さんと接触できるように、日頃の感謝をファンに伝えようとか言って、プレミアムな交流会の開催を決めた。
社員のパソコンを少しいじれば、天音さんをライブにも交流会にも当選させられたし、いい席もあげれた。
巧妙に罠を張り巡らせ、捕まえる。
俺が蜘蛛なら、彼女は蝶だ。
捕まえて、糸でがんじがらめに固めて、もう2度と離さない。
コンコンッと扉をノックする音が響く。
その音の後に扉を開けて現れたのは、メンバーの裕也だった。
「おーい。翡翠時間だぞー…って、え?」
裕也はいつもの調子で俺に声をかけた後、ある場所を見て、驚いたように言葉を詰まらせた。
裕也の視線の先には、ソファで眠る天音さんがいる。
「あー。なんか疲れちゃったみたいで、寝ちゃってさ」
俺は驚きを隠せない様子の裕也に、何でもないことのように笑った。
「起こすのもかわいそうだな、て思って、寝かせちゃった」
「あ、そ、そうか…」
俺の説明に裕也が、理解不能だ、という顔をする。
それがきっと普通のリアクションなのだろう。
俺も天音さんじゃなければ、急に寝始めたファンをソファに寝かせたりなどしない。
「ほら、この子覚えてない?俺のところによく来てた、ねねさん。実は俺、ねねさんと友達なんだよね」
「あ!あー!あの人か!いつも翡翠のところに来る!友達だったのかよ!」
「そう。だからいつも俺のところに来てくれてたんだよね。まあ、最近はちょっと忙しかったみたいで来てくれてなかったけど」
やっと納得した様子で笑う裕也に、俺は淡々と嘘をつく。
だが、裕也は疑う素振りさえも見せない。
まっすぐで純粋な裕也らしい。
「彼女のことはだいたい知ってるし、俺が彼女のことを送るよ」
至極当然のようにそう言うと、裕也は「よろしく!翡翠!」と明るく笑い、わざわざスタッフやマネージャーに事情を説明するために、この部屋を後にした。
やっと捕まえた、俺の太陽。
俺の神様。
さあ、俺たちだけの世界に帰ろう。
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