5 / 65
第1章・狼煙
#5
しおりを挟む
前方に人垣ができている。
誰かが呼んだのだろう。遠くの方からサイレンが聞こえてきた。
唯人は人垣が取り囲んで見ているのが自分の家だと分かると、そのあまりの衝撃に言葉を無くした。
呆然としたように、人垣の後ろから黒煙を吹き上げる屋根を見つめる。
一体どうしたというのだろう……
何があったというのだろう――
頭がしびれた様になっていて、何も考えられない。
(一体どうしたら……)
唯人は狼狽えた。が、少しずつ事態を把握してくると、今度は例えようもない恐怖を感じて震えあがった。
父たちがまだ中にいる――
「お父さん……」
そのことに気づいた唯人は、人垣を押しのけて中に飛び込もうとしたが、その時ふいに肩を掴まれて、唯人は後ろへ引き戻された。
「唯人さん!?」
そう呼ばれ、振り返った唯人はそこに思いがけない人の顔を見て思わず叫んだ。
「江戸川!?」
「唯人さん!」
2人は手を取って、互いの存在を確認し合うように見つめ合った。
江戸川は微かに震える唯人の手を握りしめたまま、まだモクモクと黒煙を上げている家を見つめて言った。
「これは――一体何があったんですか?」
「分からない……分からないんだ。でもまだ中にお父さん達が――」
唯人は江戸川の腕にしがみつき、家の方を振り返った。サイレンが幾重にもなって近づいてくる。それにしたがって、人垣も次第に広がってゆくようだ。
騒ぎは刻一刻と大きくなっていた。
「消防車が来たらしい」
江戸川がそう呟いて、人垣の向こうを見つめた。赤い車両の後ろからは、救急車もついてきている。この分ではきっと、警察もやってくるだろう。
警察――
その単語が互いの脳裏を過った瞬間、唯人も江戸川も黙り込んだ。
警察が来る。
そうすれば当然、自分たちが人目に晒されることになる。新聞にだって載るだろう。テレビにだって出るかもしれない。
普通なら、身内が大変な目に遭っているのだ。そんなことをいちいち考えている暇はない。助けに走り、縋りつくのが当然だろう。
が――
唯人は崩れ落ちる家屋を見つめた。そこから吹き上がる不気味な黒煙を見つめた。
長い間、清宮の家の中で知らず知らずのうちに悟った暗黙の了解。
自分たちは決して、人目に触れてはならないのだということ―――
それが瞬時に2人を冷静にした。
「向こうに車が止めてあります。行きましょう、唯人さん」
江戸川は素早くそう耳打ちすると、半ば放心したように佇む唯人の肩を抱いて、そっと人垣から離れた。
唯人は逆らわなかった。促されるまま、白いセダンに乗り込むと、その窓からじっと人垣を見つめた。
緊急車両が到着して、消火活動が始まる。
それをまるで他人事のように見つめていた。
「ここにいてはマズい。ひとまず走ります」
江戸川はあくまでも事務的にエンジンをかけ、アクセルを踏み込んだ。車は音もなく滑り出す。
こんな騒ぎの中では、現場付近から走り去る車に注意を払うものなどいない。
唯人たちの乗る車は、誰の目にも止まることなく現場から遠ざかっていった。
ゆっくりと、ゆっくりと。
遠ざかる黒煙を見つめながら唯人は両手を握りしめて――初めて手に何も持っていないことに気が付いた。
「いけない……卵、せっかく買ったのに……どこかに置いてきちゃった」
そしてもう一度振り返って家の方を見る。
「唯人さん?」
ミラー越しに江戸川がそう呼びかけたが、唯人は何も言わず、ただいつまでもじっと遠ざかる黒煙を見つめていた。
11月の陽気にしては暖かく、天気の良い日曜日だった。
それなのに――
黒煙が、秋の澄んだ青空に不気味に立ち昇る。
運命の歯車が回り出したことを告げる――それが合図の狼煙であるかのように。
誰かが呼んだのだろう。遠くの方からサイレンが聞こえてきた。
唯人は人垣が取り囲んで見ているのが自分の家だと分かると、そのあまりの衝撃に言葉を無くした。
呆然としたように、人垣の後ろから黒煙を吹き上げる屋根を見つめる。
一体どうしたというのだろう……
何があったというのだろう――
頭がしびれた様になっていて、何も考えられない。
(一体どうしたら……)
唯人は狼狽えた。が、少しずつ事態を把握してくると、今度は例えようもない恐怖を感じて震えあがった。
父たちがまだ中にいる――
「お父さん……」
そのことに気づいた唯人は、人垣を押しのけて中に飛び込もうとしたが、その時ふいに肩を掴まれて、唯人は後ろへ引き戻された。
「唯人さん!?」
そう呼ばれ、振り返った唯人はそこに思いがけない人の顔を見て思わず叫んだ。
「江戸川!?」
「唯人さん!」
2人は手を取って、互いの存在を確認し合うように見つめ合った。
江戸川は微かに震える唯人の手を握りしめたまま、まだモクモクと黒煙を上げている家を見つめて言った。
「これは――一体何があったんですか?」
「分からない……分からないんだ。でもまだ中にお父さん達が――」
唯人は江戸川の腕にしがみつき、家の方を振り返った。サイレンが幾重にもなって近づいてくる。それにしたがって、人垣も次第に広がってゆくようだ。
騒ぎは刻一刻と大きくなっていた。
「消防車が来たらしい」
江戸川がそう呟いて、人垣の向こうを見つめた。赤い車両の後ろからは、救急車もついてきている。この分ではきっと、警察もやってくるだろう。
警察――
その単語が互いの脳裏を過った瞬間、唯人も江戸川も黙り込んだ。
警察が来る。
そうすれば当然、自分たちが人目に晒されることになる。新聞にだって載るだろう。テレビにだって出るかもしれない。
普通なら、身内が大変な目に遭っているのだ。そんなことをいちいち考えている暇はない。助けに走り、縋りつくのが当然だろう。
が――
唯人は崩れ落ちる家屋を見つめた。そこから吹き上がる不気味な黒煙を見つめた。
長い間、清宮の家の中で知らず知らずのうちに悟った暗黙の了解。
自分たちは決して、人目に触れてはならないのだということ―――
それが瞬時に2人を冷静にした。
「向こうに車が止めてあります。行きましょう、唯人さん」
江戸川は素早くそう耳打ちすると、半ば放心したように佇む唯人の肩を抱いて、そっと人垣から離れた。
唯人は逆らわなかった。促されるまま、白いセダンに乗り込むと、その窓からじっと人垣を見つめた。
緊急車両が到着して、消火活動が始まる。
それをまるで他人事のように見つめていた。
「ここにいてはマズい。ひとまず走ります」
江戸川はあくまでも事務的にエンジンをかけ、アクセルを踏み込んだ。車は音もなく滑り出す。
こんな騒ぎの中では、現場付近から走り去る車に注意を払うものなどいない。
唯人たちの乗る車は、誰の目にも止まることなく現場から遠ざかっていった。
ゆっくりと、ゆっくりと。
遠ざかる黒煙を見つめながら唯人は両手を握りしめて――初めて手に何も持っていないことに気が付いた。
「いけない……卵、せっかく買ったのに……どこかに置いてきちゃった」
そしてもう一度振り返って家の方を見る。
「唯人さん?」
ミラー越しに江戸川がそう呼びかけたが、唯人は何も言わず、ただいつまでもじっと遠ざかる黒煙を見つめていた。
11月の陽気にしては暖かく、天気の良い日曜日だった。
それなのに――
黒煙が、秋の澄んだ青空に不気味に立ち昇る。
運命の歯車が回り出したことを告げる――それが合図の狼煙であるかのように。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる