薔薇を抱いて眠れ

sorarion914

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第1章・狼煙

#5

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 前方に人垣ができている。
 誰かが呼んだのだろう。遠くの方からサイレンが聞こえてきた。

 唯人は人垣が取り囲んで見ているのが自分の家だと分かると、そのあまりの衝撃に言葉を無くした。
 呆然としたように、人垣の後ろから黒煙を吹き上げる屋根を見つめる。

 一体どうしたというのだろう……
 何があったというのだろう――

 頭がしびれた様になっていて、何も考えられない。

 (一体どうしたら……)

 唯人は狼狽えた。が、少しずつ事態を把握してくると、今度は例えようもない恐怖を感じて震えあがった。

 父たちがまだ中にいる――

「お父さん……」

 そのことに気づいた唯人は、人垣を押しのけて中に飛び込もうとしたが、その時ふいに肩を掴まれて、唯人は後ろへ引き戻された。


「唯人さん!?」


 そう呼ばれ、振り返った唯人はそこに思いがけない人の顔を見て思わず叫んだ。

「江戸川!?」
「唯人さん!」

 2人は手を取って、互いの存在を確認し合うように見つめ合った。
 江戸川は微かに震える唯人の手を握りしめたまま、まだモクモクと黒煙を上げている家を見つめて言った。

「これは――一体何があったんですか?」
「分からない……分からないんだ。でもまだ中にお父さん達が――」

 唯人は江戸川の腕にしがみつき、家の方を振り返った。サイレンが幾重にもなって近づいてくる。それにしたがって、人垣も次第に広がってゆくようだ。
 騒ぎは刻一刻と大きくなっていた。

「消防車が来たらしい」

 江戸川がそう呟いて、人垣の向こうを見つめた。赤い車両の後ろからは、救急車もついてきている。この分ではきっと、警察もやってくるだろう。


 警察――


 その単語が互いの脳裏を過った瞬間、唯人も江戸川も黙り込んだ。

 警察が来る。
 そうすれば当然、自分たちが人目に晒されることになる。新聞にだって載るだろう。テレビにだって出るかもしれない。
 普通なら、身内が大変な目に遭っているのだ。そんなことをいちいち考えている暇はない。助けに走り、縋りつくのが当然だろう。

 が――

 唯人は崩れ落ちる家屋を見つめた。そこから吹き上がる不気味な黒煙を見つめた。

 長い間、清宮の家の中で知らず知らずのうちに悟った暗黙の了解。



 自分たちは決して、のだということ―――



 それが瞬時に2人を冷静にした。

「向こうに車が止めてあります。行きましょう、唯人さん」

 江戸川は素早くそう耳打ちすると、半ば放心したように佇む唯人の肩を抱いて、そっと人垣から離れた。
 唯人は逆らわなかった。促されるまま、白いセダンに乗り込むと、その窓からじっと人垣を見つめた。

 緊急車両が到着して、消火活動が始まる。
 それをまるで他人事のように見つめていた。

「ここにいてはマズい。ひとまず走ります」

 江戸川はあくまでも事務的にエンジンをかけ、アクセルを踏み込んだ。車は音もなく滑り出す。
 こんな騒ぎの中では、現場付近から走り去る車に注意を払うものなどいない。

 唯人たちの乗る車は、誰の目にも止まることなく現場から遠ざかっていった。
 ゆっくりと、ゆっくりと。
 遠ざかる黒煙を見つめながら唯人は両手を握りしめて――初めて手に何も持っていないことに気が付いた。

「いけない……卵、せっかく買ったのに……どこかに置いてきちゃった」

 そしてもう一度振り返って家の方を見る。

「唯人さん?」

 ミラー越しに江戸川がそう呼びかけたが、唯人は何も言わず、ただいつまでもじっと遠ざかる黒煙を見つめていた。
 11月の陽気にしては暖かく、天気の良い日曜日だった。
 それなのに――


 黒煙が、秋の澄んだ青空に不気味に立ち昇る。
 運命の歯車が回り出したことを告げる――それが合図の狼煙のろしであるかのように。
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