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第2章・星を巡る人々
#4
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不意に耳鳴りがして、唯人は目を開けた。
目を開けて、見上げた天井がいつもと違うことに気づき、慌てて身を起こす。
ベッドにテーブル。小さなテレビが一台。
「あぁ……起きましたね」
声がして唯人は振り向いた。部屋の中に入ってきた江戸川の姿を見て、ようやく夢からさめたような気持ちになる。
えぇっと……ここは――
そう考えた時、昨日の光景が走馬灯のように脳裏を過った。
(そうだ――思い出した……)
「少しは眠れましたか?」
「……」
まだぼんやりとしている唯人に向かって、江戸川は言った。
「急だったので、こんな部屋しか取れなくてすみません。うるさくて眠れなかったでしょう?」
唯人は黙って俯いた。その様子を横目に、江戸川は買ってきたばかりのコンビニ弁当をテーブルの上に並べて言った。
「おなか空いていませんか?夕べから何も食べていませんからね」
「……」
「こんなものしかありませんけど……」
目の前のテーブルに、おにぎりやサンドイッチ、ペットボトルのお茶やジュースを並べる江戸川を見て、唯人はさり気なく聞いた。
「ねぇ江戸川……お父さん達はどうなった?」
その問いに、江戸川の手が止まった。ゆっくりと唯人の方を振り返り、その目を黙って見つめる。
ベッドの上で半身を起こしたまま、唯人は江戸川の返事をじっと待った。
結果は聞くまでもないと分かっていた。
分かってはいたけれど、確かなことを聞くまでは希望を持ち続けられる。
もしかしたら―――と。
噓でもいいから、「助かった」と江戸川は言うだろうか?……そう考えて唯人は首を振った。
いいや。
江戸川はそういう男じゃない。
事実は事実として、ハッキリと言い切る男だ。思いやりがないというのではない。
ただ、見え透いた気遣いや嘘をつくような人間ではないのだ。
江戸川は、言った。
「残念ですが、亡くなりました。喜代も一緒です」
あくまでも事務的なその言い方も、こういう時は返って効果がある。なまじ同情めいた言い方は、相手の感情を変に刺激するだけだ。
唯人はその言葉にただ頷いた。そうか……とも、やっぱり……とも言わなかった。
ただ何も言わず――不意に顔を覆って泣き出した。
喉の奥で声を押し殺し、激しく肩を震わせて唯人はむせび泣いた。
江戸川は何も言わなかった。ただ目の前で泣く唯人の隣に黙って腰を下ろすと、その肩に手をやってそっと抱き寄せた。
何も言わず、時折優しく肩を撫でながら、唯人が泣き止むのをひたすら待つ。
泣きたいだけ泣かせておく。こういう時は、それが一番いいということを江戸川はよく知っていた。
一度昂った感情は、涙を流すことで鎮火するのだ。頭の中で色々なことを考えながら、自分なりに答えを出す。
それを、江戸川はじっと待った。
10分。20分。
やがて小さな嗚咽を漏らしながらも、唯人は静かに顔を上げた。涙に濡れた目はやや曇っていたが、でも正常な眼差しだと江戸川は思った。
これなら大丈夫だ……
唯人は、自分を見つめる江戸川に少し照れた笑みを浮かべてみせた。
「ごめんね……もう平気だよ」
それを聞いて江戸川も小さく頷き笑い返した。
「あぁ――なんだか、泣いたらおなかが空いてきた」
「すぐに食べられますよ。でもその前に、顔を洗ってきた方がいい」
そう言われて唯人は鼻を啜ると、「そうだね。ついでにシャワーも浴びてくる」と言って、バスルームの方へ走った。
その様子を、江戸川は小さく笑って見送った。
程なくして、シャワーを使う音が聞こえてきた。それをぼんやりと聞きながら、江戸川はそっと上着の内ポケットに手をやった。そこから、今朝の新聞の切り抜きを取り出すと、しばらくそれを眺めた。
僅かな活字を幾度も目で追って、再び内ポケットにしまい込むと、立ち上がって窓辺に寄った。
4階の窓から見えるものは、隣り合うビルの背中だけだった。
コンクリートが剝き出しのままの殺風景な壁が、すぐ眼前まで迫っているので日当たりが悪く、空調のファンが回転する音が一晩中唸っていた。安い宿泊料なので文句は言えないが、それにしたってヒドイ。
江戸川はホテルとビルの間の、日の当たらない狭い路地に視線を落とした。
ホテルから出るゴミを、清掃員が車に放り込んでいる。清掃車がウンウンと唸りながらゴミを飲み込んでいる。それを見下ろす江戸川の目はどこか冷ややかで、先程まで唯人に見せていた眼差しとはまったく違っていた。
清掃車はゴミを半分まで飲み込んだところで止まり、清掃員を乗せて次の回収場所へと走り去っていく。
辺りに、静寂が戻ったような気がした。
バスルームから聞こえていたシャワーの音も、いつの間にか止んでいる。
江戸川は窓辺を離れてテーブルの前に座ると、胸中で小さく呟いた。
さて……これからどうしようか?
バスルームから出てきた唯人に軽く微笑みかけ、当たり障りのない会話を交わして再度呟く。
どうしようか―――
目を開けて、見上げた天井がいつもと違うことに気づき、慌てて身を起こす。
ベッドにテーブル。小さなテレビが一台。
「あぁ……起きましたね」
声がして唯人は振り向いた。部屋の中に入ってきた江戸川の姿を見て、ようやく夢からさめたような気持ちになる。
えぇっと……ここは――
そう考えた時、昨日の光景が走馬灯のように脳裏を過った。
(そうだ――思い出した……)
「少しは眠れましたか?」
「……」
まだぼんやりとしている唯人に向かって、江戸川は言った。
「急だったので、こんな部屋しか取れなくてすみません。うるさくて眠れなかったでしょう?」
唯人は黙って俯いた。その様子を横目に、江戸川は買ってきたばかりのコンビニ弁当をテーブルの上に並べて言った。
「おなか空いていませんか?夕べから何も食べていませんからね」
「……」
「こんなものしかありませんけど……」
目の前のテーブルに、おにぎりやサンドイッチ、ペットボトルのお茶やジュースを並べる江戸川を見て、唯人はさり気なく聞いた。
「ねぇ江戸川……お父さん達はどうなった?」
その問いに、江戸川の手が止まった。ゆっくりと唯人の方を振り返り、その目を黙って見つめる。
ベッドの上で半身を起こしたまま、唯人は江戸川の返事をじっと待った。
結果は聞くまでもないと分かっていた。
分かってはいたけれど、確かなことを聞くまでは希望を持ち続けられる。
もしかしたら―――と。
噓でもいいから、「助かった」と江戸川は言うだろうか?……そう考えて唯人は首を振った。
いいや。
江戸川はそういう男じゃない。
事実は事実として、ハッキリと言い切る男だ。思いやりがないというのではない。
ただ、見え透いた気遣いや嘘をつくような人間ではないのだ。
江戸川は、言った。
「残念ですが、亡くなりました。喜代も一緒です」
あくまでも事務的なその言い方も、こういう時は返って効果がある。なまじ同情めいた言い方は、相手の感情を変に刺激するだけだ。
唯人はその言葉にただ頷いた。そうか……とも、やっぱり……とも言わなかった。
ただ何も言わず――不意に顔を覆って泣き出した。
喉の奥で声を押し殺し、激しく肩を震わせて唯人はむせび泣いた。
江戸川は何も言わなかった。ただ目の前で泣く唯人の隣に黙って腰を下ろすと、その肩に手をやってそっと抱き寄せた。
何も言わず、時折優しく肩を撫でながら、唯人が泣き止むのをひたすら待つ。
泣きたいだけ泣かせておく。こういう時は、それが一番いいということを江戸川はよく知っていた。
一度昂った感情は、涙を流すことで鎮火するのだ。頭の中で色々なことを考えながら、自分なりに答えを出す。
それを、江戸川はじっと待った。
10分。20分。
やがて小さな嗚咽を漏らしながらも、唯人は静かに顔を上げた。涙に濡れた目はやや曇っていたが、でも正常な眼差しだと江戸川は思った。
これなら大丈夫だ……
唯人は、自分を見つめる江戸川に少し照れた笑みを浮かべてみせた。
「ごめんね……もう平気だよ」
それを聞いて江戸川も小さく頷き笑い返した。
「あぁ――なんだか、泣いたらおなかが空いてきた」
「すぐに食べられますよ。でもその前に、顔を洗ってきた方がいい」
そう言われて唯人は鼻を啜ると、「そうだね。ついでにシャワーも浴びてくる」と言って、バスルームの方へ走った。
その様子を、江戸川は小さく笑って見送った。
程なくして、シャワーを使う音が聞こえてきた。それをぼんやりと聞きながら、江戸川はそっと上着の内ポケットに手をやった。そこから、今朝の新聞の切り抜きを取り出すと、しばらくそれを眺めた。
僅かな活字を幾度も目で追って、再び内ポケットにしまい込むと、立ち上がって窓辺に寄った。
4階の窓から見えるものは、隣り合うビルの背中だけだった。
コンクリートが剝き出しのままの殺風景な壁が、すぐ眼前まで迫っているので日当たりが悪く、空調のファンが回転する音が一晩中唸っていた。安い宿泊料なので文句は言えないが、それにしたってヒドイ。
江戸川はホテルとビルの間の、日の当たらない狭い路地に視線を落とした。
ホテルから出るゴミを、清掃員が車に放り込んでいる。清掃車がウンウンと唸りながらゴミを飲み込んでいる。それを見下ろす江戸川の目はどこか冷ややかで、先程まで唯人に見せていた眼差しとはまったく違っていた。
清掃車はゴミを半分まで飲み込んだところで止まり、清掃員を乗せて次の回収場所へと走り去っていく。
辺りに、静寂が戻ったような気がした。
バスルームから聞こえていたシャワーの音も、いつの間にか止んでいる。
江戸川は窓辺を離れてテーブルの前に座ると、胸中で小さく呟いた。
さて……これからどうしようか?
バスルームから出てきた唯人に軽く微笑みかけ、当たり障りのない会話を交わして再度呟く。
どうしようか―――
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