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第2章・星を巡る人々
#6
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「ねぇ、パパは?」
少し鼻にかかる甘えた口調で、円香はそう聞いた。すると、椅子にもたれて本を読んいた母親が、顔も上げずに言った。
「さぁ……急な御用が出来たとかで、会社の方へ行かれましたよ」
大して興味がないとでもいうように、そう答える彼女を見て円香は口をを尖らせた。
美也子はまだ40を少し超えたばかり。品の良い顔立ちと清楚な和服姿が、如何にも父の好みだと円香は思えて苦笑した。
戸籍上は円香の母親になっているが、この女は後妻だ。
円香の本当の母親は、幼い頃に死んだ。
年甲斐もなく、自分より30も年下の後妻をもらった父親に少なからず反感はあるものの、しかしそれをとやかく言うほど円香はもう子供ではなかった。
家の事は一切通いの家政婦に任せ、自分は悠々自適の有閑マダムを気取って、日がな一日読書だの習い事だの……
それでも円香は別に文句を言わなかった。
その代わり、自分のすることに対しても文句を言わぬよう、2人の間にはそういう取り決めが出来ているのだ。
円香は美也子の返事を聞くと、怒ったように眉を寄せて言った。
「信じられない!今日は一緒に車を見に行くって約束したのに」
「車?」
「そうよ。新しい車にするの。前から約束してるのに……ひどい、パパ忘れてるんだわ」
「円香さんの車、どうかなさって?」
愁いを帯びた目を円香に向けて、美也子はそう聞いた。
「別に。どうもしやしないわ。ただ新しいのが欲しいだけよ」
円香はそう言ってイライラした様に爪を噛んだ。
「仕方がないわ。急なお仕事ですもの。そうなったらプライベートなんて二の次ね」
そう呟いて美也子は寂しげに笑った。
彼女が父と上手くいっていないことは、円香も薄々気づいていた。しかし、体面上妻がいた方が何かと都合がいいので、父も形だけの夫婦を保っているのだ。
でも円香の知る限り、2人の間で離婚話が出たことはない。彼女にしても、たとえ妻とは名ばかりの立場であったとしても、咲屋の財力はそれだけで一つの魅力なのだ。
日本の製薬会社では最大手の一つ。
サキヤ製薬。
かつてはそこの社長であり、現在は会長職に退いている円香の父、咲屋昇一は現在72。だが未だその影響力は衰えず、社長を継いだ実弟の陰で今も全ての采配を振るっている。
普段は物静かで穏やかな父だが、一旦仕事となるとそれ以外の事は一切目に入らない。
50になって初めてできた一人娘の円香でさえ例外ではないのだ。
「パパはいつもそうね。でももう慣れたわ」
円香はそう言うと、車のキーを指で回し鞄を取り上げた。
「お出かけ?」
「1人で見てくるわ。パパの帰りを待ってたら、お婆ちゃんになっちゃうもの。うんと高いヤツを選んでくるから、覚悟しといてってパパに言っといて」
円香はそれだけ言うと、さっさと靴を履いて家を出た。
山の手の閑静な住宅街。
そこにひと際大きく構えた家がある。周囲を威圧するような高い塀に囲まれた、見るからに厳めしい屋敷。
そのガレージの扉が開き、そこからキレイに磨かれた青いポルシェが一台、静かに滑り出してきた。
通りに出ると、エンジン音を轟かせながら風を切り走り去っていく。
【咲屋】と書かれた小さな表札が、申し訳なさそうにそれを見送っていた。
少し鼻にかかる甘えた口調で、円香はそう聞いた。すると、椅子にもたれて本を読んいた母親が、顔も上げずに言った。
「さぁ……急な御用が出来たとかで、会社の方へ行かれましたよ」
大して興味がないとでもいうように、そう答える彼女を見て円香は口をを尖らせた。
美也子はまだ40を少し超えたばかり。品の良い顔立ちと清楚な和服姿が、如何にも父の好みだと円香は思えて苦笑した。
戸籍上は円香の母親になっているが、この女は後妻だ。
円香の本当の母親は、幼い頃に死んだ。
年甲斐もなく、自分より30も年下の後妻をもらった父親に少なからず反感はあるものの、しかしそれをとやかく言うほど円香はもう子供ではなかった。
家の事は一切通いの家政婦に任せ、自分は悠々自適の有閑マダムを気取って、日がな一日読書だの習い事だの……
それでも円香は別に文句を言わなかった。
その代わり、自分のすることに対しても文句を言わぬよう、2人の間にはそういう取り決めが出来ているのだ。
円香は美也子の返事を聞くと、怒ったように眉を寄せて言った。
「信じられない!今日は一緒に車を見に行くって約束したのに」
「車?」
「そうよ。新しい車にするの。前から約束してるのに……ひどい、パパ忘れてるんだわ」
「円香さんの車、どうかなさって?」
愁いを帯びた目を円香に向けて、美也子はそう聞いた。
「別に。どうもしやしないわ。ただ新しいのが欲しいだけよ」
円香はそう言ってイライラした様に爪を噛んだ。
「仕方がないわ。急なお仕事ですもの。そうなったらプライベートなんて二の次ね」
そう呟いて美也子は寂しげに笑った。
彼女が父と上手くいっていないことは、円香も薄々気づいていた。しかし、体面上妻がいた方が何かと都合がいいので、父も形だけの夫婦を保っているのだ。
でも円香の知る限り、2人の間で離婚話が出たことはない。彼女にしても、たとえ妻とは名ばかりの立場であったとしても、咲屋の財力はそれだけで一つの魅力なのだ。
日本の製薬会社では最大手の一つ。
サキヤ製薬。
かつてはそこの社長であり、現在は会長職に退いている円香の父、咲屋昇一は現在72。だが未だその影響力は衰えず、社長を継いだ実弟の陰で今も全ての采配を振るっている。
普段は物静かで穏やかな父だが、一旦仕事となるとそれ以外の事は一切目に入らない。
50になって初めてできた一人娘の円香でさえ例外ではないのだ。
「パパはいつもそうね。でももう慣れたわ」
円香はそう言うと、車のキーを指で回し鞄を取り上げた。
「お出かけ?」
「1人で見てくるわ。パパの帰りを待ってたら、お婆ちゃんになっちゃうもの。うんと高いヤツを選んでくるから、覚悟しといてってパパに言っといて」
円香はそれだけ言うと、さっさと靴を履いて家を出た。
山の手の閑静な住宅街。
そこにひと際大きく構えた家がある。周囲を威圧するような高い塀に囲まれた、見るからに厳めしい屋敷。
そのガレージの扉が開き、そこからキレイに磨かれた青いポルシェが一台、静かに滑り出してきた。
通りに出ると、エンジン音を轟かせながら風を切り走り去っていく。
【咲屋】と書かれた小さな表札が、申し訳なさそうにそれを見送っていた。
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