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第2章・星を巡る人々
#8
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父は身元を偽って働いていた。
都内にある民間の福祉施設で、ボランティアのような仕事をしていた父は、本名とは別の名前で働いていたのだ。
この事は、新聞やテレビのニュースで知ったことで、唯人は一切知らないことだった。
なぜそんなことをしていたのか……何か後ろ暗いことがあるからでは?と、憶測を呼んだが、誰よりもショックを受けたのは唯人自身だった。
父親の事なのに――自分は何も知らなかった。
「唯人さん?」
ふいに声を掛けられて、唯人は我に返った。隣のベッドで寝ていた江戸川が、いつの間にか目を覚ましていて起き上がっていた。まだ少し眠たそうに眉間を寄せると、サイドテーブルの時計を見て苦笑する。
「ずいぶん早起きですね」
「ごめん……起こした?」
いいえ、というように首を振って、江戸川は笑った。唯人は布団の下で膝を抱えるように蹲ると、何かを考えるようにじっとしていた。
その姿に江戸川は目を細め、何かを言おうとして口を開いた時、その言葉を遮るように唯人が言った。
「ねぇ江戸川……お前は知ってたんでしょう?」
「え?」
「お父さんの事。名前を変えて仕事してたって」
「……」
江戸川は答えなかった。
だが唯人には、その無言の意味が分かっていた。
秘書として雇われていた彼が、そのことを知らぬはずがない。
まるで何かを恐れるように、息を潜めて生活していた祖父や父。
身元を偽って働く理由は素性を知られたくなかったからだろう。
外との繋がりを最低限にとどめて生活していた自分たちを、この男はどう思って見ていたのだろうか?
江戸川はしばらく黙っていたが、「えぇ、知ってました」と頷くと、「すみません……」と頭を下げた。
「そっか……」
唯人も頷くと、隣でじっと俯いている江戸川を見て「じゃあ……」と呟いた。
「誰も僕の事を探さない理由も、知ってるんじゃない?」
そう聞かれ、江戸川は視線を向けた。
黙ったまま。
何も答えない江戸川を見て、唯人は苦笑いを浮かべてため息をつくと、言った。
「おかしいことぐらい僕でも分かるよ……あんな騒ぎがあったのに、誰も僕の存在に気づかないなんてさ」
「――」
「そんなことないよね?ふつう調べたら分かるんじゃないの?僕だってバカじゃないよ、江戸川。お爺ちゃんやお父さんが、何かを隠していたことぐらい気づいてた。それが何かまでは分からないけど――でも自分が普通の子と違う扱いを受けていたことはちゃんと気づいていたよ」
「……唯人さん」
利口であるという事は、ある意味ひどく残酷なことだった。
知らずに済めばよかった事も、利口であるがゆえに気づき、知り過ぎてしまう。
望もうと望むまいと。
それは本人の意思とは全く無関係なのだ。
「やっぱりそうなんだね?」
唯人の問いかけに、江戸川は言った。
「でも唯人さん。私は、そのことに関してはあまり詳しくはありません。本当です」
「でもそうなんでしょう?」
ひと呼吸おいて、江戸川は小さく頷いた。
「やっぱりそうだったんだ……僕は存在しない子供なんだね?」
無戸籍児。
出生届を出されずに生まれた子。
だから、誰も気づかない。
被害に遭った住民に、子供がいたことを証明する物がないからだ。
「でも、そんなことって可能なの?」
「妊娠した事実を伏せて自宅で出産した場合、それを知っている者で口を閉ざしていれば、あるいは――可能でしょうね」
「そんな……」
分かってはいたが、いざ現実を突きつけられると身震いがした。
自分の出生に関して、そんな非合法な措置が取られていたなんて思いたくなかった。
でも、あらゆる事実がそれを裏付けている。
未だに、自分たちの身辺に捜索が及ばないのがいい証拠ではないか—―
確かなものが何もない不安定な状態で目の前は真っ暗だった。
どうしてよいのか見当もつかず、唯人はただ怯えていた。
「僕はこれからどうしたらいいの?どうしたら……」
行く場所も分からず。
待つ人もいない。
確実に分かっていることは、いつか訪れるであろう死のみだ。
それだっていつか分からない。
遠い未来か、近い未来か……
人々が、未だ冷めぬ夢の中を漂っている頃。
小さな部屋の中で1人の絶望した少年と、それを見つめる1人の男がいた。
小さな星を中心に回る歯車は、確実に動き出していた。
運命に導かれるように、ゆっくりと、ゆっくりと――……
都内にある民間の福祉施設で、ボランティアのような仕事をしていた父は、本名とは別の名前で働いていたのだ。
この事は、新聞やテレビのニュースで知ったことで、唯人は一切知らないことだった。
なぜそんなことをしていたのか……何か後ろ暗いことがあるからでは?と、憶測を呼んだが、誰よりもショックを受けたのは唯人自身だった。
父親の事なのに――自分は何も知らなかった。
「唯人さん?」
ふいに声を掛けられて、唯人は我に返った。隣のベッドで寝ていた江戸川が、いつの間にか目を覚ましていて起き上がっていた。まだ少し眠たそうに眉間を寄せると、サイドテーブルの時計を見て苦笑する。
「ずいぶん早起きですね」
「ごめん……起こした?」
いいえ、というように首を振って、江戸川は笑った。唯人は布団の下で膝を抱えるように蹲ると、何かを考えるようにじっとしていた。
その姿に江戸川は目を細め、何かを言おうとして口を開いた時、その言葉を遮るように唯人が言った。
「ねぇ江戸川……お前は知ってたんでしょう?」
「え?」
「お父さんの事。名前を変えて仕事してたって」
「……」
江戸川は答えなかった。
だが唯人には、その無言の意味が分かっていた。
秘書として雇われていた彼が、そのことを知らぬはずがない。
まるで何かを恐れるように、息を潜めて生活していた祖父や父。
身元を偽って働く理由は素性を知られたくなかったからだろう。
外との繋がりを最低限にとどめて生活していた自分たちを、この男はどう思って見ていたのだろうか?
江戸川はしばらく黙っていたが、「えぇ、知ってました」と頷くと、「すみません……」と頭を下げた。
「そっか……」
唯人も頷くと、隣でじっと俯いている江戸川を見て「じゃあ……」と呟いた。
「誰も僕の事を探さない理由も、知ってるんじゃない?」
そう聞かれ、江戸川は視線を向けた。
黙ったまま。
何も答えない江戸川を見て、唯人は苦笑いを浮かべてため息をつくと、言った。
「おかしいことぐらい僕でも分かるよ……あんな騒ぎがあったのに、誰も僕の存在に気づかないなんてさ」
「――」
「そんなことないよね?ふつう調べたら分かるんじゃないの?僕だってバカじゃないよ、江戸川。お爺ちゃんやお父さんが、何かを隠していたことぐらい気づいてた。それが何かまでは分からないけど――でも自分が普通の子と違う扱いを受けていたことはちゃんと気づいていたよ」
「……唯人さん」
利口であるという事は、ある意味ひどく残酷なことだった。
知らずに済めばよかった事も、利口であるがゆえに気づき、知り過ぎてしまう。
望もうと望むまいと。
それは本人の意思とは全く無関係なのだ。
「やっぱりそうなんだね?」
唯人の問いかけに、江戸川は言った。
「でも唯人さん。私は、そのことに関してはあまり詳しくはありません。本当です」
「でもそうなんでしょう?」
ひと呼吸おいて、江戸川は小さく頷いた。
「やっぱりそうだったんだ……僕は存在しない子供なんだね?」
無戸籍児。
出生届を出されずに生まれた子。
だから、誰も気づかない。
被害に遭った住民に、子供がいたことを証明する物がないからだ。
「でも、そんなことって可能なの?」
「妊娠した事実を伏せて自宅で出産した場合、それを知っている者で口を閉ざしていれば、あるいは――可能でしょうね」
「そんな……」
分かってはいたが、いざ現実を突きつけられると身震いがした。
自分の出生に関して、そんな非合法な措置が取られていたなんて思いたくなかった。
でも、あらゆる事実がそれを裏付けている。
未だに、自分たちの身辺に捜索が及ばないのがいい証拠ではないか—―
確かなものが何もない不安定な状態で目の前は真っ暗だった。
どうしてよいのか見当もつかず、唯人はただ怯えていた。
「僕はこれからどうしたらいいの?どうしたら……」
行く場所も分からず。
待つ人もいない。
確実に分かっていることは、いつか訪れるであろう死のみだ。
それだっていつか分からない。
遠い未来か、近い未来か……
人々が、未だ冷めぬ夢の中を漂っている頃。
小さな部屋の中で1人の絶望した少年と、それを見つめる1人の男がいた。
小さな星を中心に回る歯車は、確実に動き出していた。
運命に導かれるように、ゆっくりと、ゆっくりと――……
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