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第3章・接近
#6
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黒い野球帽。青いトレーナー。生成りのパンツ――見覚えがあった。
咄嗟に、(あの子だ!)と要は思った。
少年は真っ直ぐにエレベーターに向かう。やはり宿泊客だったのだ。
要は慌てて新聞を畳むと、自分も乗りますというように手を挙げて、エレベーターの方に駆け寄った。
少年は乗り込んできた男を見て、一瞬「あっ」と声を出した。
「あれ?君は――さっきの」
要は、偶然を装った驚きの表情で少年を見つめた。
「君もここに泊ってたんだ?」
「は……はい」
少年はそう言ったまま俯いてしまった。
「何階?」
要に聞かれて、少年は小さな声で言った。
「あ、5階を……」
「5階ね」
要は5を押した後、さも自分も泊っているような顔をして7を押した。
エレベーターの中は2人きりだった。
この偶然は神に感謝しなければいけないな……と要は思い、隣の少年をさり気なく見下ろした。
5階に着くまで、互いに無言だった。
到着し、扉が開くと、少年は逃げるように外へ出た――が。
その背を追うように、要は言い放った。
「お父さんのことは残念だったね」
「!?」
少年がハッとなって振り返った。間髪を入れずに要は言った。
「新聞で読んだよ。でも君が無事でよかった。出来ればその事について君と色々話がしたい。2人きりで――」
「――」
「気が向いたら連絡して。待ってるから。じゃあね、清宮唯人君」
そう言って、要はポケットから丸めたメモ用紙を取り出して少年の方へ投げた。
そして、相手が何か言い出す前に素早くエレベーターの扉を閉めた。
一瞬、少年が扉に駆け寄るのが見えたが、別に構わない。
エレベーターは上昇した。
まず7階に止まる。
しかし要は降りなかった。ひと呼吸置くと、今度は5階のボタンを押して扉を閉めた。
下降ランプに変わり、程なくしてエレベーターは再び5階に止まる。
これは1つの賭けだった。
要は静かに扉が開くのを待った。
5階のフロアには誰もいなかった。そして、放り投げたあのメモも――消えている。
「……」
それだけで十分だった。
要は満足げな笑みを浮かべると、1階を押してそのままエレベーターの壁にもたれかかった。そして小さく鼻歌を歌った。
「何か面白いものでもありましたか?」
部屋に戻って来た唯人に、江戸川はそう声を掛けた。
唯人は、「別に……」と呟いて、ベッドの隅に腰かけた。
「どこも同じようなドアが一杯あって、あんまり面白くないや」
「そうでしょうね」と呟いて江戸川は苦笑した。
「ねぇ江戸川。今――」
唯人は言いかけて口を開いたが、思い直したように首を振ると、「ゴメン、なんでもない」と言って笑った。
「なんですか?言いかけてやめるなんて」
「何でもないんだ。ゴメン、気にしないで」
唯人はそう言ってポケットに手を入れると、さり気なくトイレに行く振りをして中に入り、それを掴み出した。
丸められた紙には僅かな重みがあった。開いてみると、100円硬貨が5枚包まれていた。
「?」
クシャクシャになった紙を丁寧に広げてみると、そこには数字が書かれていた。
11桁の数字。
(電話番号かな?)
唯人は迷った。
この事を江戸川に話すべきだろうか?
それとも……内緒で連絡をとってみようか――
さっきの男は何者だろうと考えて、真っ先に思い浮かんだのは警察だった。
もしそうなら、1人で会うのはマズい。
あの口ぶりでは、向こうは自分の事を知っているようだった。
コンコン、というノックの音がして唯人は我に返った。
「唯人さん?大丈夫ですか?」
唯人は慌てて紙をポケットにねじ込むと、必要もないのに水だけ流してドアを開けた。
「平気ですか?お腹の具合でも――」
「ううん、大丈夫だよ」
唯人は努めて平静を装った。江戸川が何か言いたげに自分を見ているが、知らぬふりをした。
黙っているつもりはなかったが、でも打ち明けようという気にも何故かなれなかった。
明日になったら考えよう――そう思い、唯人はこの日、いつもより早くベッドに入った。
その様子を、江戸川は黙って見ていた。
何か隠しているな、とは感じたが、深く問い詰めることはしなかった。
聞いたところで、喋る子じゃない。自分から話そうとしない限り、決して口を開かない子だ。
江戸川は、静かな寝息を立て始めた唯人に目をやり、そっと近づいた。
枕元に立ち、寝顔を見下ろしたまま暫くそうしていた。
一時の嵐は過ぎ去り、慣れぬホテル暮らしでも夜はちゃんと眠れるようになった。
3度の食事はきちんと取り、健康状態は申し分ない。
心に少し余裕が出来てからは、好奇心に動かされるようになった。
見るもの聞くもの全てが新鮮で新しい世界。
もしこのまま……
――と考えて、江戸川は思いとどまった。
唯人に向かって、無意識に伸びていた手を引っ込め、代わりに小さなため息をついた。
(俺は一体、何をしているんだろう……)
意味もなく笑みを浮かべながら、眠る少年の傍らでぼんやりと色のない世界を思い浮かべていた。
それは久しく忘れていた。
遠い過去の幻だった。
咄嗟に、(あの子だ!)と要は思った。
少年は真っ直ぐにエレベーターに向かう。やはり宿泊客だったのだ。
要は慌てて新聞を畳むと、自分も乗りますというように手を挙げて、エレベーターの方に駆け寄った。
少年は乗り込んできた男を見て、一瞬「あっ」と声を出した。
「あれ?君は――さっきの」
要は、偶然を装った驚きの表情で少年を見つめた。
「君もここに泊ってたんだ?」
「は……はい」
少年はそう言ったまま俯いてしまった。
「何階?」
要に聞かれて、少年は小さな声で言った。
「あ、5階を……」
「5階ね」
要は5を押した後、さも自分も泊っているような顔をして7を押した。
エレベーターの中は2人きりだった。
この偶然は神に感謝しなければいけないな……と要は思い、隣の少年をさり気なく見下ろした。
5階に着くまで、互いに無言だった。
到着し、扉が開くと、少年は逃げるように外へ出た――が。
その背を追うように、要は言い放った。
「お父さんのことは残念だったね」
「!?」
少年がハッとなって振り返った。間髪を入れずに要は言った。
「新聞で読んだよ。でも君が無事でよかった。出来ればその事について君と色々話がしたい。2人きりで――」
「――」
「気が向いたら連絡して。待ってるから。じゃあね、清宮唯人君」
そう言って、要はポケットから丸めたメモ用紙を取り出して少年の方へ投げた。
そして、相手が何か言い出す前に素早くエレベーターの扉を閉めた。
一瞬、少年が扉に駆け寄るのが見えたが、別に構わない。
エレベーターは上昇した。
まず7階に止まる。
しかし要は降りなかった。ひと呼吸置くと、今度は5階のボタンを押して扉を閉めた。
下降ランプに変わり、程なくしてエレベーターは再び5階に止まる。
これは1つの賭けだった。
要は静かに扉が開くのを待った。
5階のフロアには誰もいなかった。そして、放り投げたあのメモも――消えている。
「……」
それだけで十分だった。
要は満足げな笑みを浮かべると、1階を押してそのままエレベーターの壁にもたれかかった。そして小さく鼻歌を歌った。
「何か面白いものでもありましたか?」
部屋に戻って来た唯人に、江戸川はそう声を掛けた。
唯人は、「別に……」と呟いて、ベッドの隅に腰かけた。
「どこも同じようなドアが一杯あって、あんまり面白くないや」
「そうでしょうね」と呟いて江戸川は苦笑した。
「ねぇ江戸川。今――」
唯人は言いかけて口を開いたが、思い直したように首を振ると、「ゴメン、なんでもない」と言って笑った。
「なんですか?言いかけてやめるなんて」
「何でもないんだ。ゴメン、気にしないで」
唯人はそう言ってポケットに手を入れると、さり気なくトイレに行く振りをして中に入り、それを掴み出した。
丸められた紙には僅かな重みがあった。開いてみると、100円硬貨が5枚包まれていた。
「?」
クシャクシャになった紙を丁寧に広げてみると、そこには数字が書かれていた。
11桁の数字。
(電話番号かな?)
唯人は迷った。
この事を江戸川に話すべきだろうか?
それとも……内緒で連絡をとってみようか――
さっきの男は何者だろうと考えて、真っ先に思い浮かんだのは警察だった。
もしそうなら、1人で会うのはマズい。
あの口ぶりでは、向こうは自分の事を知っているようだった。
コンコン、というノックの音がして唯人は我に返った。
「唯人さん?大丈夫ですか?」
唯人は慌てて紙をポケットにねじ込むと、必要もないのに水だけ流してドアを開けた。
「平気ですか?お腹の具合でも――」
「ううん、大丈夫だよ」
唯人は努めて平静を装った。江戸川が何か言いたげに自分を見ているが、知らぬふりをした。
黙っているつもりはなかったが、でも打ち明けようという気にも何故かなれなかった。
明日になったら考えよう――そう思い、唯人はこの日、いつもより早くベッドに入った。
その様子を、江戸川は黙って見ていた。
何か隠しているな、とは感じたが、深く問い詰めることはしなかった。
聞いたところで、喋る子じゃない。自分から話そうとしない限り、決して口を開かない子だ。
江戸川は、静かな寝息を立て始めた唯人に目をやり、そっと近づいた。
枕元に立ち、寝顔を見下ろしたまま暫くそうしていた。
一時の嵐は過ぎ去り、慣れぬホテル暮らしでも夜はちゃんと眠れるようになった。
3度の食事はきちんと取り、健康状態は申し分ない。
心に少し余裕が出来てからは、好奇心に動かされるようになった。
見るもの聞くもの全てが新鮮で新しい世界。
もしこのまま……
――と考えて、江戸川は思いとどまった。
唯人に向かって、無意識に伸びていた手を引っ込め、代わりに小さなため息をついた。
(俺は一体、何をしているんだろう……)
意味もなく笑みを浮かべながら、眠る少年の傍らでぼんやりと色のない世界を思い浮かべていた。
それは久しく忘れていた。
遠い過去の幻だった。
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