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第4章・見えない糸
#5
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軽い衝撃を感じて、江戸川は(やられたな……)と思った。
車を止め、外に出て後方に回ったが、案の定、バンパーに僅かな凹みがある。
「ヤダもう、信じられない!」
そう言って後方に止まった車の中から、二十歳前後と思われる派手な女が出てきた。
「ごめんなさい。あぁ……」
円香は、ぶつけた跡を見てため息をついた。
「こんな事って初めてよ。ぶつけたことなんて一度もないのに」
「大したことないですよ。バンパーを少し掠っただけです」
「でも凹んでるわ」
円香はそう言うと、車へ戻り鞄を取り出すと、その中から名刺を一枚取り出した。
「悪いけどちょっと急いでるの。必ず弁償しますから――これ、私の連絡先です」
女がそう言って差し出す名刺に、江戸川は思わずハッとした。
サキヤ製薬株式会社
役員秘書 咲屋円香
「サキヤ?」
「あなたのお名前と連絡先、教えて下さる?」
江戸川は名刺から目を離し、目の前に立つ女を見つめた。
青いポルシェに赤い口紅。茶になびく長い髪と、体に密着した細身のスーツ。地面に穴でも開きそうなピンヒール。
こんな靴で、よく運転ができるもんだ――と思ったが、しなやかに伸びた足と細い腰の括れがゾクリとするほど美しかった。
江戸川は、「大した傷じゃないからいいですよ」と言った。
「そんなわけにはいかないわ。ちゃんと弁償します」
「あいにく携帯電話を持っていなくて。それに今、ホテルに滞在中でいつ他へ移るか分からないんです」
「あらそうなの?じゃあとりあえず、そのホテルを教えて下さる?」
食い下がる円香に、江戸川は仕方なく差し出されたメモ用紙にホテルの名前と自分の名前を書いた。
「江戸川さんね」
「明日にはいなくなってるかもしれませんよ」
「ふふふ。なら急いで連絡しなきゃね」
「大した金額じゃないですよ。あなたの車に比べたら」
そう言って苦笑する江戸川に、円香は自分の車を見て肩を竦めた。
「いいのよ。どうせもう買い替えるんだもの。査定額が下がるだけだわ」
「まだ新しいのに?」
「飽きっぽいの、私」
円香はそう言って笑った。
高級車を乗り回す、我の強そうな女。サキヤと名乗る女――
江戸川は名刺の名前に目を落としたまま、何気なく聞いた。
「咲屋って……あのサキヤ製薬の身内の方ですか?」
それを聞いて、円香は口元に微笑を浮かべた。
「まさか社長令嬢じゃないでしょうね?」
「当たらずとも遠からずってところね。残念だけど、社長令嬢じゃないわ。会長令嬢よ」
「――」
その瞬間、江戸川は本気で言葉を失くした。
目を見開き、唖然としたように相手の顔を凝視する。
もしこの時の様子を唯人が見ていたら、驚くに違いない。
この男がこれほど動揺するなんて――と。
思いがけない衝撃を受けて、ほんの一瞬我を忘れたが、すぐに冷静さを取り戻して江戸川は言った。
「会長と言うと、咲屋昇一氏?」
「あら?パパをご存知?」
「大手製薬会社の重鎮でしょう。名前ぐらいは聞いたことがある」
ふふふ、と円香は笑って江戸川を見た。
「でも驚いたな。確か彼はもう70を過ぎていると……」
「私は歳いって出来た子なのよ。そんなに驚いた?」
「ええ、もちろん」
江戸川は頷くと、挑発するように自分を見つめる円香の眼差しに、挑むような笑みを浮かべて言った。
「年頃の、こんなに美しいお嬢さんがいると思わなかった」
「上手いのね」
円香は艶やかに笑って自分の車に乗り込んだ。
「電話、待ってるわ」
そう言って走り出すポルシェの後ろ姿を見送って、江戸川はもう一度名刺に視線を落とした。
咲屋……サキヤ……
(咲屋の娘?娘だと?)
シートに座り、ハンドルに手をかけたまま、江戸川は無意識に笑っていた。
清宮の孫。咲屋の娘。
こんな偶然、あるだろうか?
(どうなってるんだ……)
江戸川はぼんやりとハンドルを握りしめたまま、いざ走り出そうとしてエンジンをかけていないことに気づき、慌ててスターターを押した。
動揺しているのが自分でもハッキリと分かった。
(落ち着け……まずホテルに戻ろう)
そうだ。
ホテルに戻らなきゃ――……
車を止め、外に出て後方に回ったが、案の定、バンパーに僅かな凹みがある。
「ヤダもう、信じられない!」
そう言って後方に止まった車の中から、二十歳前後と思われる派手な女が出てきた。
「ごめんなさい。あぁ……」
円香は、ぶつけた跡を見てため息をついた。
「こんな事って初めてよ。ぶつけたことなんて一度もないのに」
「大したことないですよ。バンパーを少し掠っただけです」
「でも凹んでるわ」
円香はそう言うと、車へ戻り鞄を取り出すと、その中から名刺を一枚取り出した。
「悪いけどちょっと急いでるの。必ず弁償しますから――これ、私の連絡先です」
女がそう言って差し出す名刺に、江戸川は思わずハッとした。
サキヤ製薬株式会社
役員秘書 咲屋円香
「サキヤ?」
「あなたのお名前と連絡先、教えて下さる?」
江戸川は名刺から目を離し、目の前に立つ女を見つめた。
青いポルシェに赤い口紅。茶になびく長い髪と、体に密着した細身のスーツ。地面に穴でも開きそうなピンヒール。
こんな靴で、よく運転ができるもんだ――と思ったが、しなやかに伸びた足と細い腰の括れがゾクリとするほど美しかった。
江戸川は、「大した傷じゃないからいいですよ」と言った。
「そんなわけにはいかないわ。ちゃんと弁償します」
「あいにく携帯電話を持っていなくて。それに今、ホテルに滞在中でいつ他へ移るか分からないんです」
「あらそうなの?じゃあとりあえず、そのホテルを教えて下さる?」
食い下がる円香に、江戸川は仕方なく差し出されたメモ用紙にホテルの名前と自分の名前を書いた。
「江戸川さんね」
「明日にはいなくなってるかもしれませんよ」
「ふふふ。なら急いで連絡しなきゃね」
「大した金額じゃないですよ。あなたの車に比べたら」
そう言って苦笑する江戸川に、円香は自分の車を見て肩を竦めた。
「いいのよ。どうせもう買い替えるんだもの。査定額が下がるだけだわ」
「まだ新しいのに?」
「飽きっぽいの、私」
円香はそう言って笑った。
高級車を乗り回す、我の強そうな女。サキヤと名乗る女――
江戸川は名刺の名前に目を落としたまま、何気なく聞いた。
「咲屋って……あのサキヤ製薬の身内の方ですか?」
それを聞いて、円香は口元に微笑を浮かべた。
「まさか社長令嬢じゃないでしょうね?」
「当たらずとも遠からずってところね。残念だけど、社長令嬢じゃないわ。会長令嬢よ」
「――」
その瞬間、江戸川は本気で言葉を失くした。
目を見開き、唖然としたように相手の顔を凝視する。
もしこの時の様子を唯人が見ていたら、驚くに違いない。
この男がこれほど動揺するなんて――と。
思いがけない衝撃を受けて、ほんの一瞬我を忘れたが、すぐに冷静さを取り戻して江戸川は言った。
「会長と言うと、咲屋昇一氏?」
「あら?パパをご存知?」
「大手製薬会社の重鎮でしょう。名前ぐらいは聞いたことがある」
ふふふ、と円香は笑って江戸川を見た。
「でも驚いたな。確か彼はもう70を過ぎていると……」
「私は歳いって出来た子なのよ。そんなに驚いた?」
「ええ、もちろん」
江戸川は頷くと、挑発するように自分を見つめる円香の眼差しに、挑むような笑みを浮かべて言った。
「年頃の、こんなに美しいお嬢さんがいると思わなかった」
「上手いのね」
円香は艶やかに笑って自分の車に乗り込んだ。
「電話、待ってるわ」
そう言って走り出すポルシェの後ろ姿を見送って、江戸川はもう一度名刺に視線を落とした。
咲屋……サキヤ……
(咲屋の娘?娘だと?)
シートに座り、ハンドルに手をかけたまま、江戸川は無意識に笑っていた。
清宮の孫。咲屋の娘。
こんな偶然、あるだろうか?
(どうなってるんだ……)
江戸川はぼんやりとハンドルを握りしめたまま、いざ走り出そうとしてエンジンをかけていないことに気づき、慌ててスターターを押した。
動揺しているのが自分でもハッキリと分かった。
(落ち着け……まずホテルに戻ろう)
そうだ。
ホテルに戻らなきゃ――……
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