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第5章・宿敵
#2
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12月上旬。
ホテルのロビーで、要は腕時計に目をやった。
こうして時計を確認するのは、もう4度目だ。
柄にもなく緊張している――と感じて、要はソファにもたれた。
すると、背後から「要さん」という声が飛んできて、ハッと腰をあげた。
フロントを横切り、こちらへ手を振る唯人の姿があった。
それに応えようと手を振りかけて、要は動きを止めた。唯人の後ろから、ゆっくりと近づいてくる男の姿を見て、サッと背筋が緊張するのが分かった。
(江戸川千景――)
その姿に、腹の底が無意識に硬くなる。なんとか口元に微笑を浮かべると、要は極力平常を装いながら男と対峙した。
「おはようございます」
要の挨拶に、江戸川は目だけで挨拶をした。
「要さん、彼が江戸川だよ」
「初めまして。麻生と言います」
差し出された右手に、江戸川は一瞬躊躇ったが、仕方なく握り返して言った。
「初めまして。江戸川です。唯人さんが世話になったそうで。私からも礼を言います」
ありがとうございます――と、やたら丁寧な口調で答えた。
要は素早く江戸川の全身を眺めた。
紺色のスラックスに白いシャツ。ジャケットの上には黒いコート。ネクタイこそしていないが、全体の雰囲気はまるでSPだ。
写真で見るより威圧感がある。
目鼻立ちが整った涼しい顔をしている。
背は高くて体格もいい。本気で挑んだら勝てるだろうか――と考えて、要は苦笑した。
出来ればそんな事にはなりたくない。
黒い双眸が、今は穏やかな光を宿して自分に向けられているが、しかしそこからこの男の感情を読み取ることはできなかった。
剥き出しの敵意こそないが、オブラートに包まれた敵意は感じる。
密かな敵意だ。
「どこへ行くか決めてきた?」
「うん。動物園に行く。この間、雨で行けなかったから」
無邪気にはしゃぐ唯人の横で、江戸川が言った。
「我々の車で行きましょう」
「いいですよ」
要は軽く承諾した。
ホテルの駐車場に停めてある、白いセダンに近づく。その背後に回った時、要はふと気づいて足を止めた。
「ぶつけたんですか?バンパーが少し凹んでる」
「……ええ、ちょっと」
「ぶつけられた跡ですね……ちゃんと警察呼びました?」
「お気になさらず。大丈夫ですから」
あまり構うな――という言い方に、要は内心苦笑すると、「修理代はちゃんと請求した方がいいですよ」とわざと余計なアドバイスをしながら後部シートに座った。
江戸川は運転席でムッとした表情を浮かべると、「そのつもりですよ」ぶっきらぼうに答えた。
「……」
唯人は助手席に座りながら、妙な居心地の悪さを感じて戸惑った。
この、張り詰めたような重たい空気は一体なんだろうか――
チラリと運転席の江戸川を見て、ルームミラーに映る要を見た。
鏡越しに目が合った要が、ニッコリ笑いかけてくる。
要に至っては、この前会った時と大して変わらない様に思えた。
唯人は再度江戸川に目をやった。
いつもなら何か話しかけてくるのに、今日は何も言わない。
ジッと前方を見据えたまま、無言でアクセルを踏み続けるだけだった。
やはり怒っているのだろうか?
勝手に連絡を取ってしまった事や、彼と一緒に出掛けてしまった事。
江戸川は根掘り葉掘り聞くことはしなかったが……
そして、今日もこうして一緒に出掛ける提案をして、それを無理やり承諾させてしまった事を……
(やっぱり怒っているのかな……)
信号待ちで車が止まる。その横顔を、唯人は恐る恐る見た。
江戸川は何も言わずにじっと正面を向いていたが――ふと、何を思ったのか突然こんな事を言い出した。
「私はまだ一度も、パンダを見たことがない」
その台詞に、唯人も要も一瞬驚いたが、すかさず唯人が言った。
「僕もないよ。要さんは?」
「え?あぁ……俺は――子供の頃にあるよ」
そう答えて苦笑した。
「でも寝てるところしか見たことないや。パンダは一日の半分以上が食事で、それ以外は寝たりゴロゴロしてるだけなんだってさ」
「へぇ」
「だから起きて動いてるところが見られたらラッキーだな」
「だって。起きてるといいね」
そう言って唯人は江戸川に笑いかけた。その横顔に微笑が広がるのを見て、唯人は何故かホッとした。
ホテルのロビーで、要は腕時計に目をやった。
こうして時計を確認するのは、もう4度目だ。
柄にもなく緊張している――と感じて、要はソファにもたれた。
すると、背後から「要さん」という声が飛んできて、ハッと腰をあげた。
フロントを横切り、こちらへ手を振る唯人の姿があった。
それに応えようと手を振りかけて、要は動きを止めた。唯人の後ろから、ゆっくりと近づいてくる男の姿を見て、サッと背筋が緊張するのが分かった。
(江戸川千景――)
その姿に、腹の底が無意識に硬くなる。なんとか口元に微笑を浮かべると、要は極力平常を装いながら男と対峙した。
「おはようございます」
要の挨拶に、江戸川は目だけで挨拶をした。
「要さん、彼が江戸川だよ」
「初めまして。麻生と言います」
差し出された右手に、江戸川は一瞬躊躇ったが、仕方なく握り返して言った。
「初めまして。江戸川です。唯人さんが世話になったそうで。私からも礼を言います」
ありがとうございます――と、やたら丁寧な口調で答えた。
要は素早く江戸川の全身を眺めた。
紺色のスラックスに白いシャツ。ジャケットの上には黒いコート。ネクタイこそしていないが、全体の雰囲気はまるでSPだ。
写真で見るより威圧感がある。
目鼻立ちが整った涼しい顔をしている。
背は高くて体格もいい。本気で挑んだら勝てるだろうか――と考えて、要は苦笑した。
出来ればそんな事にはなりたくない。
黒い双眸が、今は穏やかな光を宿して自分に向けられているが、しかしそこからこの男の感情を読み取ることはできなかった。
剥き出しの敵意こそないが、オブラートに包まれた敵意は感じる。
密かな敵意だ。
「どこへ行くか決めてきた?」
「うん。動物園に行く。この間、雨で行けなかったから」
無邪気にはしゃぐ唯人の横で、江戸川が言った。
「我々の車で行きましょう」
「いいですよ」
要は軽く承諾した。
ホテルの駐車場に停めてある、白いセダンに近づく。その背後に回った時、要はふと気づいて足を止めた。
「ぶつけたんですか?バンパーが少し凹んでる」
「……ええ、ちょっと」
「ぶつけられた跡ですね……ちゃんと警察呼びました?」
「お気になさらず。大丈夫ですから」
あまり構うな――という言い方に、要は内心苦笑すると、「修理代はちゃんと請求した方がいいですよ」とわざと余計なアドバイスをしながら後部シートに座った。
江戸川は運転席でムッとした表情を浮かべると、「そのつもりですよ」ぶっきらぼうに答えた。
「……」
唯人は助手席に座りながら、妙な居心地の悪さを感じて戸惑った。
この、張り詰めたような重たい空気は一体なんだろうか――
チラリと運転席の江戸川を見て、ルームミラーに映る要を見た。
鏡越しに目が合った要が、ニッコリ笑いかけてくる。
要に至っては、この前会った時と大して変わらない様に思えた。
唯人は再度江戸川に目をやった。
いつもなら何か話しかけてくるのに、今日は何も言わない。
ジッと前方を見据えたまま、無言でアクセルを踏み続けるだけだった。
やはり怒っているのだろうか?
勝手に連絡を取ってしまった事や、彼と一緒に出掛けてしまった事。
江戸川は根掘り葉掘り聞くことはしなかったが……
そして、今日もこうして一緒に出掛ける提案をして、それを無理やり承諾させてしまった事を……
(やっぱり怒っているのかな……)
信号待ちで車が止まる。その横顔を、唯人は恐る恐る見た。
江戸川は何も言わずにじっと正面を向いていたが――ふと、何を思ったのか突然こんな事を言い出した。
「私はまだ一度も、パンダを見たことがない」
その台詞に、唯人も要も一瞬驚いたが、すかさず唯人が言った。
「僕もないよ。要さんは?」
「え?あぁ……俺は――子供の頃にあるよ」
そう答えて苦笑した。
「でも寝てるところしか見たことないや。パンダは一日の半分以上が食事で、それ以外は寝たりゴロゴロしてるだけなんだってさ」
「へぇ」
「だから起きて動いてるところが見られたらラッキーだな」
「だって。起きてるといいね」
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