薔薇を抱いて眠れ

sorarion914

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第5章・宿敵

#2

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 12月上旬。

 ホテルのロビーで、要は腕時計に目をやった。
 こうして時計を確認するのは、もう4度目だ。
 柄にもなく緊張している――と感じて、要はソファにもたれた。
 すると、背後から「要さん」という声が飛んできて、ハッと腰をあげた。

 フロントを横切り、こちらへ手を振る唯人の姿があった。
 それに応えようと手を振りかけて、要は動きを止めた。唯人の後ろから、ゆっくりと近づいてくる男の姿を見て、サッと背筋が緊張するのが分かった。

(江戸川千景――)

 その姿に、腹の底が無意識に硬くなる。なんとか口元に微笑を浮かべると、要は極力平常を装いながら男と対峙した。

「おはようございます」

 要の挨拶に、江戸川は目だけで挨拶をした。

「要さん、彼が江戸川だよ」
。麻生と言います」

 差し出された右手に、江戸川は一瞬躊躇ったが、仕方なく握り返して言った。

。江戸川です。唯人さんが世話になったそうで。私からも礼を言います」

 ありがとうございます――と、やたら丁寧な口調で答えた。
 要は素早く江戸川の全身を眺めた。

 紺色のスラックスに白いシャツ。ジャケットの上には黒いコート。ネクタイこそしていないが、全体の雰囲気はまるでSPだ。
 写真で見るより威圧感がある。
 目鼻立ちが整った涼しい顔をしている。
 背は高くて体格もいい。本気で挑んだら勝てるだろうか――と考えて、要は苦笑した。
 出来ればそんな事にはなりたくない。

 黒い双眸が、今は穏やかな光を宿して自分に向けられているが、しかしそこからこの男の感情を読み取ることはできなかった。
 剥き出しの敵意こそないが、オブラートに包まれた敵意は感じる。

 密かな敵意だ。

「どこへ行くか決めてきた?」
「うん。動物園に行く。この間、雨で行けなかったから」

 無邪気にはしゃぐ唯人の横で、江戸川が言った。

「我々の車で行きましょう」
「いいですよ」

 要は軽く承諾した。
 ホテルの駐車場に停めてある、白いセダンに近づく。その背後に回った時、要はふと気づいて足を止めた。

「ぶつけたんですか?バンパーが少し凹んでる」
「……ええ、ちょっと」
「ぶつけられた跡ですね……ちゃんと警察呼びました?」
「お気になさらず。大丈夫ですから」

 あまり構うな――という言い方に、要は内心苦笑すると、「修理代はちゃんと請求した方がいいですよ」とわざと余計なアドバイスをしながら後部シートに座った。
 江戸川は運転席でムッとした表情を浮かべると、「そのつもりですよ」ぶっきらぼうに答えた。

「……」

 唯人は助手席に座りながら、妙な居心地の悪さを感じて戸惑った。
 この、張り詰めたような重たい空気は一体なんだろうか――

 チラリと運転席の江戸川を見て、ルームミラーに映る要を見た。
 鏡越しに目が合った要が、ニッコリ笑いかけてくる。

 要に至っては、この前会った時と大して変わらない様に思えた。

 唯人は再度江戸川に目をやった。
 いつもなら何か話しかけてくるのに、今日は何も言わない。
 ジッと前方を見据えたまま、無言でアクセルを踏み続けるだけだった。

 やはり怒っているのだろうか?
 勝手に連絡を取ってしまった事や、彼と一緒に出掛けてしまった事。
 江戸川は根掘り葉掘り聞くことはしなかったが……

 そして、今日もこうして一緒に出掛ける提案をして、それを無理やり承諾させてしまった事を……

(やっぱり怒っているのかな……)


 信号待ちで車が止まる。その横顔を、唯人は恐る恐る見た。
 江戸川は何も言わずにじっと正面を向いていたが――ふと、何を思ったのか突然こんな事を言い出した。

「私はまだ一度も、パンダを見たことがない」

 その台詞に、唯人も要も一瞬驚いたが、すかさず唯人が言った。

「僕もないよ。要さんは?」
「え?あぁ……俺は――子供の頃にあるよ」

 そう答えて苦笑した。

「でも寝てるところしか見たことないや。パンダは一日の半分以上が食事で、それ以外は寝たりゴロゴロしてるだけなんだってさ」
「へぇ」
「だから起きて動いてるところが見られたらラッキーだな」
「だって。起きてるといいね」

 そう言って唯人は江戸川に笑いかけた。その横顔に微笑が広がるのを見て、唯人は何故かホッとした。
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