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第6章・動き出す駒
#1
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『昨日の午後1時頃、東京都日野市の多摩川河川敷で、人が浮いているのを近くに住む住民が見つけて110番通報しました。
引き上げられたのは男性で、すでに死亡しており、所持品から東京都八王子市に住む無職、奥村隆文さん54歳と判明。
近所の人の話では、奥村さんは以前勤めていた会社を退職後、ギャンブルなどで多額の借金をしていたという事で、遺体からは相当量のアルコールと、自宅からは遺書が発見されたことから、警察では奥村さんが借金を苦に自殺を図ったのではないかとみて、慎重に捜査を進めていく方針です――
次のニュースです。今朝未明――』
江戸川はテレビを切った。
週が明けて月曜日。
時刻は朝八時を少し回ったばかりだが、唯人はまだベッドの上だった。
頭まで布団をかぶり、静かな寝息を立てている。
江戸川はルームキーを掴んで立ち上がると、足音を忍ばせてそっと部屋を出た。
ロビーに行き、新聞を読もうと思った。どうせ大した記事は載ってないだろうが……今しがた聞いたニュースの断片が、何となく耳に残っている。
1階に下りて、フロントの前を横切った時、「江戸川様」と声を掛けられて江戸川は立ち止まった。
「おはようございます。メッセージがございます」
「メッセージ?」
江戸川はフロントからメモを受け取った。ハートマークが書かれただけの意味不明なメッセージだった。
「?」
「あちらの方からでございます」
そう言われてハッと振り向くと、ロビーのソファからゆっくり手を振る円香の姿が目に飛び込んできた。
「ありがとう」
江戸川はそう言うと、真っ直ぐ円香の元に歩み寄った。
「連絡もなく、突然ご迷惑だったかしら?」
――という円香の口調は単なる社交辞令止まりで、心底相手を気遣うものではなかった。
勝気な娘というに相応しい言い方で、江戸川は返事に詰まった。
朝から挑発的な赤い口紅と、この間のように体に密着したスーツに丈の短いスカート。その下から覗く2本の足が妙に艶めかしく、江戸川は思わず視線を逸らした。
円香は江戸川の前でわざと大きく足を交差すると、口元に微笑を浮かべて言った。
「お急ぎ?どこかへお出掛けするつもりでした?」
「いいえ」
「それなら座ったら?」
江戸川は円香と向かい合わせのソファに座り、じっと相手の顔を見た。
その目に円香は笑うと、「修理代、どのくらいかかりました?」と聞いた。
「あいにくまだ修理に出していません」
「あら。そうなの?ふぅん……そう――」
円香は視線を巡らせて、ふと鞄の中から封筒を1通取り出すと、それをテーブルの上に置いた。
「これで足りるかしら?」
江戸川は封筒を受け取り、中を見て苦笑した。
「こんなにかかりませんよ」
「それでもいいわ。迷惑料よ。取っておいて下さる?」
「……」
江戸川はしばらく相手の顔を見たあと、素直に頷くと「じゃあ遠慮なく」と言って上着の内ポケットに入れた。
円香はそれを見て満足そうに笑うと、ソファに深く身を沈めて言った。
「今日はお仕事?」
「いいえ」
「何かご予定は?」
「特に何も」
「そう……じゃあ……」
円香は飛び跳ねるように身を起こして言った。
「少し私に付き合って下さらない?」
「え?」
驚く江戸川に、円香は続けた。
「行きたい所があるの。一緒に行きましょうよ」
「でも仕事は?役員秘書をされてるんでしょう?」
「私?うふふ――」
円香はくすぐったそうに笑うと「形だけの肩書よ」と肩を竦めた。
そして、ふと気になる様に江戸川を見た。
「もしかして――お連れの方がいるの?」
江戸川は一瞬迷ったが、素直に「ええ」と頷いた。
「それってもしかして、奥さん?」
「いいえ。友人――ですかね」
「男の方?」
「ええ」
その返事に、円香は「そう……」とだけ呟いた。
てっきり仕事で滞在しているのかと思っていたが、どうもそうではなさそうだ。
妻でも恋人でもない人間と一緒に滞在中――とは。
一体何をしている人なのだろうか?
俄然興味がわいてきて、円香は江戸川の方へ身を乗り出した。
「あなたが出掛けたら心配するかしら?そのご友人」
「まぁ……心配はするでしょうね。黙って出かけたら」
「じゃあ伝言を残せばいいわ。ねぇ、そうしましょう。私に付き合ってよ」
「――」
強引な誘いに江戸川は黙り込んだ。
その戸惑う様子に、円香は興奮した。
こういう時の男の顔は見ていて楽しかった。
円香にとっては、手慣れた駆け引きだった。
いつも知らずに胸が躍る。必ず餌に食いついてくると知って、針を投げる時の興奮。そして食らいついてきた時の歓喜。
だがそれも、食らいついてくる魚に寄りけりだぞ――
というように江戸川は内心笑っていた。
しかし、表面上はあくまでも若い女の誘いを受けて戸惑う男を演じなければならない。
「分かりました……いいですよ。お付き合いしましょう。フロントにキーを預けて、連れのものに伝言を残してきます」
そしていそいそと席を立ち、フロントへと駆け出した。
さも嬉しそうに――
引き上げられたのは男性で、すでに死亡しており、所持品から東京都八王子市に住む無職、奥村隆文さん54歳と判明。
近所の人の話では、奥村さんは以前勤めていた会社を退職後、ギャンブルなどで多額の借金をしていたという事で、遺体からは相当量のアルコールと、自宅からは遺書が発見されたことから、警察では奥村さんが借金を苦に自殺を図ったのではないかとみて、慎重に捜査を進めていく方針です――
次のニュースです。今朝未明――』
江戸川はテレビを切った。
週が明けて月曜日。
時刻は朝八時を少し回ったばかりだが、唯人はまだベッドの上だった。
頭まで布団をかぶり、静かな寝息を立てている。
江戸川はルームキーを掴んで立ち上がると、足音を忍ばせてそっと部屋を出た。
ロビーに行き、新聞を読もうと思った。どうせ大した記事は載ってないだろうが……今しがた聞いたニュースの断片が、何となく耳に残っている。
1階に下りて、フロントの前を横切った時、「江戸川様」と声を掛けられて江戸川は立ち止まった。
「おはようございます。メッセージがございます」
「メッセージ?」
江戸川はフロントからメモを受け取った。ハートマークが書かれただけの意味不明なメッセージだった。
「?」
「あちらの方からでございます」
そう言われてハッと振り向くと、ロビーのソファからゆっくり手を振る円香の姿が目に飛び込んできた。
「ありがとう」
江戸川はそう言うと、真っ直ぐ円香の元に歩み寄った。
「連絡もなく、突然ご迷惑だったかしら?」
――という円香の口調は単なる社交辞令止まりで、心底相手を気遣うものではなかった。
勝気な娘というに相応しい言い方で、江戸川は返事に詰まった。
朝から挑発的な赤い口紅と、この間のように体に密着したスーツに丈の短いスカート。その下から覗く2本の足が妙に艶めかしく、江戸川は思わず視線を逸らした。
円香は江戸川の前でわざと大きく足を交差すると、口元に微笑を浮かべて言った。
「お急ぎ?どこかへお出掛けするつもりでした?」
「いいえ」
「それなら座ったら?」
江戸川は円香と向かい合わせのソファに座り、じっと相手の顔を見た。
その目に円香は笑うと、「修理代、どのくらいかかりました?」と聞いた。
「あいにくまだ修理に出していません」
「あら。そうなの?ふぅん……そう――」
円香は視線を巡らせて、ふと鞄の中から封筒を1通取り出すと、それをテーブルの上に置いた。
「これで足りるかしら?」
江戸川は封筒を受け取り、中を見て苦笑した。
「こんなにかかりませんよ」
「それでもいいわ。迷惑料よ。取っておいて下さる?」
「……」
江戸川はしばらく相手の顔を見たあと、素直に頷くと「じゃあ遠慮なく」と言って上着の内ポケットに入れた。
円香はそれを見て満足そうに笑うと、ソファに深く身を沈めて言った。
「今日はお仕事?」
「いいえ」
「何かご予定は?」
「特に何も」
「そう……じゃあ……」
円香は飛び跳ねるように身を起こして言った。
「少し私に付き合って下さらない?」
「え?」
驚く江戸川に、円香は続けた。
「行きたい所があるの。一緒に行きましょうよ」
「でも仕事は?役員秘書をされてるんでしょう?」
「私?うふふ――」
円香はくすぐったそうに笑うと「形だけの肩書よ」と肩を竦めた。
そして、ふと気になる様に江戸川を見た。
「もしかして――お連れの方がいるの?」
江戸川は一瞬迷ったが、素直に「ええ」と頷いた。
「それってもしかして、奥さん?」
「いいえ。友人――ですかね」
「男の方?」
「ええ」
その返事に、円香は「そう……」とだけ呟いた。
てっきり仕事で滞在しているのかと思っていたが、どうもそうではなさそうだ。
妻でも恋人でもない人間と一緒に滞在中――とは。
一体何をしている人なのだろうか?
俄然興味がわいてきて、円香は江戸川の方へ身を乗り出した。
「あなたが出掛けたら心配するかしら?そのご友人」
「まぁ……心配はするでしょうね。黙って出かけたら」
「じゃあ伝言を残せばいいわ。ねぇ、そうしましょう。私に付き合ってよ」
「――」
強引な誘いに江戸川は黙り込んだ。
その戸惑う様子に、円香は興奮した。
こういう時の男の顔は見ていて楽しかった。
円香にとっては、手慣れた駆け引きだった。
いつも知らずに胸が躍る。必ず餌に食いついてくると知って、針を投げる時の興奮。そして食らいついてきた時の歓喜。
だがそれも、食らいついてくる魚に寄りけりだぞ――
というように江戸川は内心笑っていた。
しかし、表面上はあくまでも若い女の誘いを受けて戸惑う男を演じなければならない。
「分かりました……いいですよ。お付き合いしましょう。フロントにキーを預けて、連れのものに伝言を残してきます」
そしていそいそと席を立ち、フロントへと駆け出した。
さも嬉しそうに――
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