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第6章・動き出す駒
#2
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「お連れの方はお出掛けになりました。お部屋の鍵はこちらでお預かりしております」
そう言われ、キーと一枚のメモを受け取って、唯人はロビーのソファに腰かけた。
メモには簡単に一言だけ、『所用で出掛けます』とあった。
いつもなら、どんな用事でいつまでに帰ると書き残すはずなのに……
筆跡は確かに江戸川のものだが、らしくない感じがして唯人は不安を覚えた。
――そもそも、夕べから少し様子がおかしかった。
(要さんと、何を話していたんだろう?)
部屋に戻ってきた江戸川は、妙に苛立っていた。
唯人が、2人で何を話していたのか聞いても、一切答えてはくれなかった。
あんなに苛立ちを隠せず、落ち着きのない江戸川を見たのは初めてだった。
それに、こんな風に自分を置いて出掛けていくのも……
唯人はメモをポケットにしまい込み、代わりに消えたもう一枚のメモの事を考えた。
自分のポケットから、要の電話番号が書かれた名刺を抜き取ったのは江戸川だろう。
捨ててしまったのか――それとも江戸川が持っているのか。
番号は記憶しているから別にもう必要はないが、今は掛けてみようという気にはならなかった。
ふいに。
唯人は立ち上がるとフロントにキーを預けた。
「お出掛けですか?」
「ちょっと、散歩してきます」
唯人はそう言って笑うと、ホテルの外に出た。
車寄せを回り、通りに出る。
目の前を行きかう人を見て、その流れに乗る様に歩き出す。
しかし、ものの数歩歩いただけで立ち止まってしまった。
周囲を見回して、再び歩き始める。
すれ違う人や、自分を追い越して先を行く人の背中がひどく恐ろしかった。
目的を持った確かな足取りが、不確かな自分という存在をスイスイ避けていく。
唯人は再度立ち止まってしまった。
あぁ……自分は江戸川なしでは、1人で外を歩くこともできないんだ――と、改めて思い知らされた。
涙が出そうになり、唯人は慌てて歩き出した。
どこでもいい、とにかく歩こう。
流れの中の流木にしがみ付くような思いで、唯人はあてもなくフラフラと彷徨った。
周囲の土地勘などないが、宿泊しているホテルの姿が見えていれば、帰りはあれを目指して戻ればいい。
空気の冷たさに、もっと分厚いコートを着てくればよかったと少し後悔したが、それでも唯人は戻る気もなく歩き続けた。
歩きながら、江戸川はどこへ行ってしまったんだろう?と考えた。
すると突然、もう二度と帰ってこないような気がして恐ろしくなった。
(1人にされたらどうしよう――)
不安に駆られたことなら何度もあったが、ここまで激しい恐怖を感じたのはこれが初めてだった。
(怖い……)
祖父が死んだ時も、父や喜代が死んだ時も、ひとり取り残される恐怖を感じたことはなかった。
自分の傍にはいつも、江戸川がいてくれた――だから恐怖など感じなかったのだ。
すれ違う人が、皆自分の方を見ていく。
(なんで?なんでみんな、僕を見るの?)
唯人はフラフラと歩き続けた。
なぜ僕を見るの?
なんでみんな、僕を――
「清宮唯人君ですね?」
ふいに肩を掴まれて、唯人は振り返った。
一瞬、江戸川かと思ってハッとしたが、目の前に立っていたのは、まったく見覚えのない男だった。
「どうしたんですか?何を泣いているんです?さぁ、こちらへ――」
泣いてる?
唯人は相手に促されるまま、路肩に止めてあった黒いセダンに乗り込んだ。ドアが閉まるとすぐに、車は音もなく走り出した。
唯人はまだ状況が飲み込めず、ぼんやりとしていたが、横からハンカチを手渡され、初めて泣いているのが自分だという事に気が付いた。
「僕をどこへ連れて行くんですか?あなたは誰ですか?」
運転席と後部座席との間は、壁のようなもので仕切られている。
こんな車は初めてだった。
両窓はカーテンで塞がれ、外の様子がまるで分らない。どこを走っているのかも――
「あなたにとても会いたがっている人がいます。今はそれしか言えません。ただ、あなたに危害を加えるつもりはありませんから、安心してください。用が済めばホテルまで送ります」
男はそれだけ言うと、以後一切口をきかなかった。
唯人は仕方なくシートにもたれた。
この人たちが誰で、自分をどこに連れて行こうとしているのか……気にはなるが、もうどうでもいいと思った。
考えるのも億劫で、何もかもどうでもいい。こいつらが何者だろうと、この先自分がどうなろうと、もう知るものか。
(どうにでもなれ)
と、半ば捨て鉢気味に唯人は目を閉じた。
そう言われ、キーと一枚のメモを受け取って、唯人はロビーのソファに腰かけた。
メモには簡単に一言だけ、『所用で出掛けます』とあった。
いつもなら、どんな用事でいつまでに帰ると書き残すはずなのに……
筆跡は確かに江戸川のものだが、らしくない感じがして唯人は不安を覚えた。
――そもそも、夕べから少し様子がおかしかった。
(要さんと、何を話していたんだろう?)
部屋に戻ってきた江戸川は、妙に苛立っていた。
唯人が、2人で何を話していたのか聞いても、一切答えてはくれなかった。
あんなに苛立ちを隠せず、落ち着きのない江戸川を見たのは初めてだった。
それに、こんな風に自分を置いて出掛けていくのも……
唯人はメモをポケットにしまい込み、代わりに消えたもう一枚のメモの事を考えた。
自分のポケットから、要の電話番号が書かれた名刺を抜き取ったのは江戸川だろう。
捨ててしまったのか――それとも江戸川が持っているのか。
番号は記憶しているから別にもう必要はないが、今は掛けてみようという気にはならなかった。
ふいに。
唯人は立ち上がるとフロントにキーを預けた。
「お出掛けですか?」
「ちょっと、散歩してきます」
唯人はそう言って笑うと、ホテルの外に出た。
車寄せを回り、通りに出る。
目の前を行きかう人を見て、その流れに乗る様に歩き出す。
しかし、ものの数歩歩いただけで立ち止まってしまった。
周囲を見回して、再び歩き始める。
すれ違う人や、自分を追い越して先を行く人の背中がひどく恐ろしかった。
目的を持った確かな足取りが、不確かな自分という存在をスイスイ避けていく。
唯人は再度立ち止まってしまった。
あぁ……自分は江戸川なしでは、1人で外を歩くこともできないんだ――と、改めて思い知らされた。
涙が出そうになり、唯人は慌てて歩き出した。
どこでもいい、とにかく歩こう。
流れの中の流木にしがみ付くような思いで、唯人はあてもなくフラフラと彷徨った。
周囲の土地勘などないが、宿泊しているホテルの姿が見えていれば、帰りはあれを目指して戻ればいい。
空気の冷たさに、もっと分厚いコートを着てくればよかったと少し後悔したが、それでも唯人は戻る気もなく歩き続けた。
歩きながら、江戸川はどこへ行ってしまったんだろう?と考えた。
すると突然、もう二度と帰ってこないような気がして恐ろしくなった。
(1人にされたらどうしよう――)
不安に駆られたことなら何度もあったが、ここまで激しい恐怖を感じたのはこれが初めてだった。
(怖い……)
祖父が死んだ時も、父や喜代が死んだ時も、ひとり取り残される恐怖を感じたことはなかった。
自分の傍にはいつも、江戸川がいてくれた――だから恐怖など感じなかったのだ。
すれ違う人が、皆自分の方を見ていく。
(なんで?なんでみんな、僕を見るの?)
唯人はフラフラと歩き続けた。
なぜ僕を見るの?
なんでみんな、僕を――
「清宮唯人君ですね?」
ふいに肩を掴まれて、唯人は振り返った。
一瞬、江戸川かと思ってハッとしたが、目の前に立っていたのは、まったく見覚えのない男だった。
「どうしたんですか?何を泣いているんです?さぁ、こちらへ――」
泣いてる?
唯人は相手に促されるまま、路肩に止めてあった黒いセダンに乗り込んだ。ドアが閉まるとすぐに、車は音もなく走り出した。
唯人はまだ状況が飲み込めず、ぼんやりとしていたが、横からハンカチを手渡され、初めて泣いているのが自分だという事に気が付いた。
「僕をどこへ連れて行くんですか?あなたは誰ですか?」
運転席と後部座席との間は、壁のようなもので仕切られている。
こんな車は初めてだった。
両窓はカーテンで塞がれ、外の様子がまるで分らない。どこを走っているのかも――
「あなたにとても会いたがっている人がいます。今はそれしか言えません。ただ、あなたに危害を加えるつもりはありませんから、安心してください。用が済めばホテルまで送ります」
男はそれだけ言うと、以後一切口をきかなかった。
唯人は仕方なくシートにもたれた。
この人たちが誰で、自分をどこに連れて行こうとしているのか……気にはなるが、もうどうでもいいと思った。
考えるのも億劫で、何もかもどうでもいい。こいつらが何者だろうと、この先自分がどうなろうと、もう知るものか。
(どうにでもなれ)
と、半ば捨て鉢気味に唯人は目を閉じた。
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