薔薇を抱いて眠れ

sorarion914

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第8章・バラの花

#3

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 ふいに窓ガラスを叩く音がして、要は慌ててウィンドウを下げた。

「唯人君!?」
「こんばんわ」
「何でこんな時間――」
「乗ってもいい?」

 答えを聞く前に唯人は強引に助手席側に回ると、戸惑う要を尻目にドアを開けてシートに座り込んだ。

「あぁ寒かったぁ」

 唯人は両手をこすり合わせ、寒そうに身を震わせながら笑った。

「コートを着てこなかったの?」

 要はそう聞きながら、自分が来ていたジャケットを脱いで唯人の膝にかけてやった。そして車のエンジンをかけてエアコンを全開にする。

「よくここにいるのが分かったね」

 ホテル前の通りから、少し脇へ逸れた路地に要は車を止めていた。
 例の、グレーのレクサスは、そこから更に少し離れた場所に止まっている。

 そして――恐らく、サキヤの連中だろうと思われる2台の車。
 紺のマツダと黒のクラウン。
 彼らは日替わりで張り込んでいるようだが、今夜はマツダの方が止まっていた。こことは反対側の路地だ。

 今のところ、ただ見張っているだけでいいと言われているが、もし万が一両者が動き出した場合、互いの動きがよく分かる位置がいいと思って選んだ場所がここだったのだが――

「夕方からここに止めてあったでしょう?部屋の窓から双眼鏡で見たんだ。江戸川がいつもそうやって外を見てたから」
「……」

 まぁ、あの男の事だ。
 自分がここにいることぐらい、とっくに知られているだろう……とは思っていた。
 まったく、どこまでも抜け目のない嫌な男だな――というように要は苦笑した。
 そしてふと、気づいたように言った。

「こんな所に来てどうしたの?江戸川さんは?」
「さぁ?どっかに行っちゃったみたい」
「え?」

 要は驚いて唯人を見た。
 外に出てきた気配はないが――

「どっかって……こんな夜中に?」
「……」

 唯人は答えなかった。頭の中に、昼間見た光景がサッと過った。
 ――髪の長い、若い女性だった。
 江戸川とエレベーターの前で話をしていた。宿泊客の1人だろうか?
 いやに馴れ馴れしく背中に手を回して笑っていた。

 知り合いかと聞いたが、適当にはぐらかされてしまった。
 でも唯人には見知らぬ他人とは思えなかった。

 もしかしたら、江戸川の恋人かもしれない……

 最近行く先も告げず、突然ふらりと出掛けたり、部屋ではなく外の電話を使ったりするのは、ひょっとしたら自分に内緒であの女性と連絡を取るためではないか?

 そして今夜、そっと外出したのも……



「ねぇ要さん。要さんも僕たちのことを見張ってるの?」
「――」

 要は何も答えずに唯人を見た。

「でも要さんは悪い人じゃないよね?」

 唯人はそう言って要に目を向けると、泣きそうな顔をして笑った。その笑みに、要は目を細めた。ふいに、抱きしめてやりたい衝動に駆られたが、それを何とか抑えると、要は言った。

「戻らなくて平気?いなくなったら江戸川さん、心配するんじゃない?」
「江戸川は多分朝まで戻らないよ。僕が朝まで起きないって思ってるからね」
「――」
「それに、部屋の鍵だって、江戸川が持ってっちゃった」
「え!?じゃあ君、どうやって中に入るの?オートロックだろう?」
「知ーらない!」

 シートにもたれて笑い出す唯人を、要は半ば呆れた様に見つめていたが、つられて一緒に笑い出した。

「驚いたな……意外と大胆なんだ」
「江戸川が悪いんだよ。探しに行こうとして外に出たら、入れなくなっちゃったって言えばいいんだ」
「あはは」
「今夜はここに泊ってもいい?」

 そう聞かれて要は戸惑った。

「それは……別にいいけど。でもエンジン切ったら寒いよ」
「平気だよ。要さんも今夜はここで野宿するんでしょ?」
「野宿?――うん……まぁ、ね」
「毎日そうしてたの?」
「まさか。今夜だけだよ」

 要はそう言って笑うと、「シートを少し倒すといい」と助手席の方へ手を伸ばした。
 そして膝にかけていたジャケットを胸の方へ引き上げてやる。
 その動きを、じっと目で追っていた唯人は、ポツリと呟いた。

「要さんは優しいんだね」
「?」

 要は動きを止めて唯人を見た。

「江戸川も優しいけど、要さんとは少し違う」
「どう違うの?」

 その問いに、唯人は「うーん」と唸ると、少し考えてから言った。

「よく分からないけど、要さんの優しさは、なんだかくすぐったい感じがする」
「くすぐったい?」

 うん、と頷いて笑う唯人に要も微笑んだ。
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