個人授業は放課後に

須藤慎弥

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 ドン──ッとテーブルを一度叩いた橘が、勢いよく立ち上がる。


「あんたらのせいで由宇が悪夢を見るからだよ!  お前らどんだけ家で大喧嘩してたんだ!  由宇が夜中に泣きながら目覚ます事知ってんのか!?  どうせ知らねーんだろ!  由宇を蔑ろにして自分達優先して入学式も来ねぇ、外泊しても一切気が付かねぇ、なんだその放任!  ほんとはパワハラよりもネグレクトでム所入れって言いてーんだからな!!」


 長身ゆえに父親らを見下ろす形になり、両親共にあまりの橘の剣幕と迫力に圧倒され、唇がわなわなしていた。


「………………っ」
「………………」
「メシは作らねー、家ではジメジメ、あんたら顔合わせれば大喧嘩、由宇を顧みないくせに勉強はしろって!?  いっちょ前に親らしい事言いやがってバカじゃねーの!  由宇を幸せに出来んのはあんたら親だけだろ!  こいつ、いがみ合ってる親がいるとは思えねーくらいめちゃくちゃ素直に育ってんだから、もっと愛情かけてやれよ!!」
「………………」
「………………」


 押し黙り、ぐうの音も出ない両親は呆然と橘を見上げている。

 凄まじい勢いの橘は、ここが由宇の自宅ではなかったらヘッドホン越しに聞いた大暴れがきっと始まっていた。


(……先生……。  これで惚れるなって方が、おかしくない……?)


 ただただ、由宇のため。

 両親がこうなってしまった原因を探り、調べ上げ、どういう手筈かは知らないが父親が勤める病院の院長にまで手を回し、「暴露会」を開いた橘の惚れ惚れする背中を見詰めてキュン…とした。

 由宇の事がどうでも良かったら、こんな事は絶対にしない。

 橘はめんどくさいと言いながらも、困った人は見捨てられない質だが、それにしても介入し過ぎだ。

 どれだけ由宇に冷たくしても、事態の収集を急ごうとしてくれた紛れもない正義に、涙が溢れてきた。

 動くと宣言してから、まだ二週間も経っていない。

 こんなにも早く、由宇の幸せを取り戻すために動いてくれたなど、惚れ直さないはずがなかった。

 悪夢を見た由宇を目の当たりにして放っておけなかったのは分かるが、あんなにも熱く優しい言葉を紡がれたら……この想いを止められるのか分からない。


「…………先生……」


 ポケットに両手を突っ込み、ふぅ、と息を吐いた橘を見上げる。

 まだ両親を睨み付けていたが、由宇の声に反応した橘がふと視線を落としてきて、ポン、と頭に手を置かれた。

 その顔には困ったように笑う、下手くそな笑顔が乗っていた。


「俺はこれだけ言いに来た。  あとはあんたら親子で話し合え。  由宇を不幸せにする選択したら俺は迷わず行政動かすからな」
「お、お前のような若造、いつでも蹴落として……」
「あんま無茶は言わない方がいいと思う…っす。  俺、そこら辺の若造とちょっと、こことここが違うんで」


 恐れを成した父親が橘に強気な態度を取ろうとするも、ニヤッと悪魔顔で笑った男にはまるで通用しなかった。

 頭と胸元を順に指差した橘が、それだけ言い捨ててリビングを出て行く。


「あっ、待って、先生!」


 呆けていた由宇が、玄関まで走って追い掛けると橘はすでに革靴を履きつま先をトントン、としている所だった。


「先生っ、俺、頭悪くないから今の全部理解したよ。  ……ありがとう」
「お礼はまだ早えよ。  あの親の修復はかなり時間が掛かる。  ひょろ長んとこよりもだ。  あと俺に出来んのはお前に数学教える事だけ」
「うん、……うん!  頑張る!  俺、頑張る!」
「おぅ、頑張れ。  じゃまた明日。  個人授業は放課後に」


 髪をハーフアップに結った後ろ姿を見送り、パタン、と玄関が閉まる。

 …………追い掛けたい。

 橘の背中に飛び付きたい。

 そんな衝動に駆られたけれど、由宇はグッと我慢した。

 両親は離婚間近の夫婦ならよくある仲違いだと思っていたが、そうでは無かったと知って多少なりとも狼狽えてはいる。

 怜の家族をどうこう言う前に、我が家にも母親の不倫が存在したとは想像だにしなかった。

 それが原因で、父親は仕事と権力に取り憑かれ、あの大量の文書に記されたパワハラの実態も存在する。

 大喧嘩するはずである。

 疲れたのよ、とくたびれた顔で母親が言っていたのを思い起こせば、すべての発端は母親にあったのだ。

 由宇はそんな事実など知りもせず、夜毎繰り返される両親の怒鳴り合う声に怯えていた。

 父親は権力を手にしてから本当に人が変わってしまい、母親と由宇を蔑みの目で見るようになっていたから、その存在すら視界に入れたくなかった。

 説明されれば事態が分かる年齢になってしまい、その事実を知ってしまえば、由宇を傷付ける事になるかもしれないと橘は危ぶんだはずだ。

 それでも暴露会を強行したのは、橘が言ってくれた事がすべて。

 何も知らないままでいるより、知っておいた方がいい。

 由宇も交えて三人で話し合うべき事が山のようにあるだろう。

 橘が大量の書類を置いて行った事で、両親は話し合わずにはいられない空気を作り上げた。

 自分達の事も大事だろうが、一人息子である由宇を一番に考えてやれ、──と。


「…………ありがとう、先生……」


(先生は間違いなく正義だよ。  ……俺が我慢してれば先生が正義になるなら、想いは閉じ込めとくからね……)


 橘が由宇を気にかけてくれているのは、充分伝わった。

 キスも、いやらしい行為も、冷たい態度も、全部、全部、由宇の事が好きだからだ。

 けれど、我慢しなければならない。

 二人が好きだと言い合えば、橘は正義で居られなくなる。

 由宇はそんな事、……望まない。



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