永遠のクロッカス

須藤慎弥

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✦ 永遠のクロッカス ✦

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 絶叫に近い雄叫びに、廊下に佇む乃蒼と月光、そして陣痛室から廊下へと一歩を踏み出した海翔が揃って顔を見合わせた。


「………………」
「………………」
「………………」
「月光ぉぉぉおっっっ!!! どこに行きやがったぁぁぁ!!」


 初産婦なので余計に、陣痛中の痛みが想像を絶するようで、雄叫びは廊下中に響き渡っている。
 その痛みを一生味わう事のない男達三人は、それぞれ自身の頬をピクピクと動かした。


「……呼ばれてるよ、月光」


 沈黙を破ったのは乃蒼で、早く行ってやれと目で合図する。
 月光の頬は引き攣りっぱなしで、乃蒼の合図に気付いていながら少しも戻る様子を見せない。
 聞き取れない呻きと、月光を罵倒する声が絶え間なく聞こえてくるため、乃蒼は月光の腕を取って「行け」と言いかけたのだが───。


「この野郎ぉぉぉっ! 産まれたら覚えてやがれぇぇぇっっ!」


 この雄叫びが、月光の足を別方向へ進ませた。
 乃蒼の腕を掴み直し、海翔を指差して妻を託す。


「お、お前に任せた!!」
「えっ!? ちょっ、月光さんっ……」
「はっ!? うわ、っ……おい! 月光!」


 すれちがいざまに、「院内は走らないで」と注意を促す看護師には目もくれない月光と共に、乃蒼はそのまま一階のロビーまで走らされた。
 エレベーターは使わずに非常階段を走り抜けたその時、ふと高校時代に似たような事があったなと思い出を振り返る。

 煙草が吸いたいと言い出した月光に付き合い、非常階段の一番上……つまり屋上と通ずる場所まで行った。
 するとあえなく、運悪く屋上の見回りにやって来た見た目からして恐ろしい生徒指導の教員に喫煙現場が見付かってしまい、しつこく追い掛け回され、今のように二人で慌てて非常階段を降りた思い出が唐突に蘇る。


「……はぁ、はぁ……っ、なんで非常階段使うんだよっ」
「はぁ、……っなんとなく!」


 息を整えながら、なんだそれ、と苦笑する乃蒼に月光は缶コーヒーを買って渡してきた。
 脈絡もなく走らされた乃蒼は、遠慮なく受け取ってすぐに飲み干す。
 色々な事から逃げたかったらしい月光は長椅子にドカッと腰掛け、乃蒼と同じコーヒーを買って飲み始めた。
 すぐには早紀の元へ戻らない事を予感させたため、気持ち距離を置いて乃蒼も腰掛ける。


「いいのかよ、……嫁さん置き去りにして」
「よくないのかもしんないけど~……せっかく乃蒼が来てくれたから話したいし~……」


 缶の飲み口を指先で触れながら、月光は唇を尖らせる。
 思えば乃蒼は、打ちのめされた自身の想いに支配されていて、突然家族が増えた月光の苦悩を少しも聞いてやれていなかった。

 いつかに海翔と月光の会話を盗み聞きした事があったが、あの時、月光も自身の身に起こっている事態を受け止めきれていないようだった。
 奔放過ぎた性生活がそもそもの原因なのかもしれないけれど、避妊具を付けた上での妊娠ならば狼狽えても仕方がないと思う。

 ゲイである乃蒼には、孕ませてしまった月光の心境は理解できない。
 だがしかし、自分の生活と人生が突如として一変する事になろうとは、月光もさぞかし動揺し、悩んだに違いなかった。
 月光はきっと、乃蒼に話を聞いてもらいたかったのだ。

 けれど、乃蒼と付き合っている最中に巻き起こった出来事上、軽率に悩みを打ち明ける事など出来なかった。
 恋人としてではなく親友として話を聞いてほしいなど、そんな都合の良い台詞を誰が言えるだろうか。
 間違いなく乃蒼を心底傷付けてしまった、その自覚をきちんと持っていたからこそ、月光は乃蒼の着信拒否にも大人しく従った。

 ……本当のところはどうだか分からないが、乃蒼はそう思う事にした。

 心に余裕が生まれた今こそ、月光と向き合うべきなのかもしれない。
 話し合う事など特にありはしないけれど、今なら、好意を持つ前の純粋な気持ちで月光と話が出来そうだった。


「……すんごい暴言吐かれてたな」
「あいつ昔からあんななんだよ~。 知ってた?」
「いや、早紀ちゃんとはあんまり話した事ないから知らない。 ま、月光はあれくらい気の強そうな人との方がうまくいくと思うよ」


 先程の雄叫びを思い出し、二人で苦笑いした。
 月光は、気は利かなくてお馬鹿だが常々優しい。 一緒に過ごす時間はとても楽しいので、人好きされるのもよく分かる。

 難点と言えばなんと言っても女好きなところだ。
 早紀には絶対に言えないけれど、今後も浮気の可能性は捨てきれない。
 それならば、ハートが強靭で打たれ強く、あれくらい罵倒が出来る女性でなければ月光とは恐らくやっていけない。

 子どもが産まれる以上、そう簡単に夫婦関係が破綻しては乃蒼も相当に寝覚めが悪い。
 黙ってしまった月光の横顔を見ると、乃蒼が知るそれではもうないような気がした。


「…………俺は乃蒼が良かった」


 絞り出すような声で、月光が呟く。
 缶コーヒーを大きな掌の中で転がしながら、いじけた子どものようにしかめっ面をした。


「無理だね、もう。 色々……遅過ぎる」
「はぁぁ……。 遅過ぎるってアイツにも言われたんだよ~ムカつく~」
「……アイツって、海翔?」
「そうそう~。 乃蒼と海翔は付き合ってるわけじゃないんだろ~? いくら海翔が乃蒼の事好きだからって、なんであんな出しゃばってくんの~?」
「………………」




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