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✦ 後悔の果て ✦
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季節は湿気鬱陶しい梅雨から夏へと移り変わろうとしていた。
海翔と共に暮らし始めて二週間。
整形外科から外科勤務に変わった海翔は夜勤が多くなってしまい、せっかく同棲と相成ったというのにあまり一緒に過ごす時間が取れなかった。
ほとんどすれ違い生活だが、相変わらず海翔は毎日マメに連絡をくれるため、乃蒼はそれだけで幸せだった。
帰宅してきた乃蒼は、ほぼ同時刻に出勤する海翔と玄関先で「おかえり」と「行ってらっしゃい」を言い合うのが、この一週間の日課だ。
抱擁を交わし、名残惜しくキスをして、恋人を見送る。
見送って数分後、車に乗り込んだ海翔から再び「行ってきます」のメッセージまで届く愛されっぷりだ。
乃蒼は海翔のおかげで、いつの間にか笑顔を取り戻せていた。
……最高の気分だった。
愛し、愛される事がこれほどまでに日々を充実させてくれるとは、乃蒼の想像の範疇を超えている。
朝方帰宅する海翔のために作る料理も、ご機嫌に鼻歌交じりでどこか足取りも軽い。
一人で食べる夕飯はほんの少し寂しいけれど、この部屋では海翔の存在を確かに感じるからかどうって事はなかった。
午後八時、粗熱を取った海翔への朝食にラップをかけ、皿洗いも済ませた乃蒼はシャワーを浴びようとしていた。
そこへ、……。
───ピンポーン……。
「…………?」
こんな時間に玄関先からのインターホンが鳴り、乃蒼は首を傾げながら扉の向こうの人物を確認した。
そこに在ったのはなんと、───。
「……月光!?」
思わぬ人物がモニターに映し出され、ギョッとなった乃蒼は急いで玄関の扉を開けた。
「乃蒼ー! 久しぶり~! 元気してた~?」
「はっ? え、……はっ? なんでここに……!」
「はい、これ~」
出産の日から会わずに居た月光が飛び付いてきて、理解出来ない状況に乃蒼の体は固まった。
一度ギュッと抱き締めてきた月光は、呆然とする乃蒼に向かって嬉しそうにヘラヘラ笑い、重たい紙袋を手渡してきた。
「なに、……?」
「引っ越しの挨拶~」
「…………なに?」
「何だったっけなぁ~タオルとか洗剤とか使えそうなもんが色々入ってるよ~」
「いや、中身を聞いてるんじゃない。 引っ越しの挨拶って何」
「隣に引っ越してきました、近藤で~す」
「………………!?!」
何だと!?と声を荒げたかったが、あまりの事に喉がキュッと締まる。
驚いて声も出せない乃蒼は瞬きも忘れて目を丸くしていると、月光は家主の許可も得ず勝手に靴を脱いで部屋の中へと上がった。
「いい部屋だよね~。 俺が住んでたとこは子育てに向かないから、いいとこないかなぁって探してたんだよ~。 そしたら乃蒼がここに居るって知って、即決!」
「はぁ!? おまっ……なんで……っ?」
「うわぁ、物が少ないな~! シンプルでいいね~。 子ども居ると物がめちゃくちゃ増えるんだよなぁ~」
玄関先で取り残されていた乃蒼は、室内をキョロキョロと興味深そうに見回している月光の背中を小突いた。
どういう事だと詰め寄ろうとしたのだが、ダイニングテーブルに置いてあったスマホが着信を知らせる。
画面で相手の名を見ると仕事中のはずの海翔からで、月光の存在が瞬間的に乃蒼の目の前から消え失せた。
明日までおあずけだと思っていた海翔の声を聞きたいあまり、知らず乃蒼の頬はだらしなく緩んでいる。
「もしもし? 海翔、どうした?」
『明日は明けの休みで、明後日もお休みだよって伝え忘れたから。 あと、乃蒼が寝ちゃう前におやすみって言いたかった』
ちょうど時間が空いたんだ、と微笑む様子が目に浮かんで、ジーンとする。
離れていてもこんなに想ってくれて、乃蒼の事を考えてくれている……。
感激だ。
「海翔……」
「お、海翔? 久しぶり~! 俺だよ~!」
背後に迫る背の高い男の存在を忘れていたがために、数秒後にはその感激は激しい焦りへと変わる。
『…………なんで月光の声がするの? 乃蒼、月光と居るの?』
「え、っ? あ、い、いや、違う、違わないけど、違……っ」
『どういう事? 俺の居ない間に部屋に月光を連れ込んでたの? ……いつから?』
「へへへ~連れ込まれちゃった~!」
『………………』
「海翔、違うんだ! 誤解するなよ、俺は海翔の事が好き! 大好き! 俺もよく分かんないけど、近藤一家が隣に引っ越してきたらしいんだよ!」
『……それ本当?』
「ほんとだよ~! 末永くよろしく~!」
「お前はもう喋るな!」
『……乃蒼、明日不動産屋巡りしよ。 別の物件探しに行こう』
「えぇ……っ」
「なんでだよ~二人がどこに行ってもお隣さんになるつもりだから、そんな事しても無駄だよ~?」
「いいからお前は黙ってろ!」
『今すぐ月光を部屋から追い出して。 俺がキレちゃう前に』
「わ、わかった! 俺も今そうしようと思ってたとこ!」
静かに怒りを滲ませた聞いた事のない低い声に、乃蒼は焦りながらもドキドキしていた。
父親となった今も空気が読めない男の余計な口出しに、この場に居られない海翔の怒りはよく分かる。
一刻も早く月光を追い出さなければ、海翔は悶々とした思いを抱えて勤務にあたる事になるため、乃蒼は必死で海翔に同調した。
『……愛してる。 乃蒼、信じてるからね』
「俺もっ。 愛してるよ、海翔。 ご飯作っといたから、帰ってきたら食べてな」
『ありがとう。 乃蒼のご飯美味しいから楽しみ』
「……へへ」
『じゃあね。 月光の事、すぐに追い出してね。 ……おやすみ』
「うん、おやすみ」
海翔が冷静さを装っていたのは分かっていたが、乃蒼が月光の口を手のひらで押さえていたのでひとまずは事無きを得た。
スマホをポケットにしまい、ふぅ、と一度溜め息を吐いて、余計な悶着の火種を乃蒼は睨み上げる。
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