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◆ 葛藤と純情 ◆ ─潤─
第三十一話
しおりを挟む信頼性の低い、効き目の定かでない漢方薬をおまじない代わりに手に入れてそれを毎日服用する潤の近頃の悩みは、天の存在に心を奪われている事。
潤には確かに、好きな人が居る。
しかし相手は既婚者で、敵は我が兄。
中学生だった潤が兄から紹介された彼女がやけに大人びていて美しく見えてしまい、それ以来他の女性にまったく興味が無くなった。
すなわちそれは恋なのであろうと悩み葛藤する日々は、潤にとって性別の苦患と同等だった。
そんな中、恋人から夫婦へと段階を進めた二人が四六時中潤の目の届くところに居るようになり、フラストレーションが溜まる一方となった。
なぜなら、両親の強い意向で本宅を二世帯住宅にリフォームしたからである。
完全に、身の置き場がなくなった。
絶対に叶うはずのない片思いの相手が、世帯を分けているとはいえ目と鼻の先で兄と暮らしている。
仲の良い二人を見て祝福に浸る時もあったが、ほぼほぼはジレンマとの戦いだ。
唯一全員が揃う朝食は共にという決まりに合わせ、父親の出社時間を鑑みたかなり早朝から潤の家族は本宅のリビングに集合する。
翌日も例外無く、潤は早朝六時半に起き出し本宅に居た。
「潤ー、おはよー」
「おはようございます。 あれ、兄さんは?」
食卓につく前、母親の手伝いをしていた潤に挨拶してきたのが件の想い人、美咲である。
いつもは仲良く兄と連れ立ってやって来るのだが、ここ何日かは喧嘩でもしたのか別行動をしていて、美咲はあまり機嫌がよろしくない。
「知らなーい。 もうすぐ来るんじゃない?」
「……まだ喧嘩中なんだ」
ツンと唇を尖らせたメイク前の美咲を、潤は苦笑で見やった。
この二人が仲違いするのは非常に稀で、初めてと言っていい。
美咲は義理の両親に気を使い、潤に最接近すると我慢出来ないとばかりに感情を顕にした。
「だって怪し過ぎるんだもん! 絶対浮気してると思う!」
「浮気……!?」
マズイ単語が飛び出してきた。
小声でもこれはよくない。
キッチンで味噌汁を人数分注いでいる母親に万が一にも聞かせてはならないと、潤は美咲に「こっち」と手招きし、洗面所へと向かった。
「兄さんに限って浮気なんてあり得ないと思うけどな」
「私だってそう信じたいよ……。 でもね、昨日だってコソコソ電話してたんだよ。 私が見てないところで頻繁にメールとかLINEとかしてるんじゃないかしら! こんな事今まで無かったのに……!」
「それ、ほんとにコソコソだった?」
「最初は私の前で電話してたんだよ。 なのに途中から違う部屋行って話してた」
「えぇ……それは怪しい」
「でしょ!? 会話もなーんか嘘くさかったんだよ。 口調とか身振りがね、私に見せつけるみたいにやたらとオーバーだったの。 はぁ、潤~私こんな思いするのヤダよぉ!」
「だよね……」
兄は美咲一筋だった。
高校に入ってすぐから付き合い始め、誰にも目移りする事なく結婚と相成った事からも、何か事情があるのではと思った。
けれど妻である美咲に隠れて "コソコソ" 電話をするというのは、誰が見ても疑わしい。
他でもない、兄と一番長い時を過ごしている美咲が言うのだから、女の勘というやつが働いているのかもしれない。
半信半疑ではあったが、潤は腕を組み、モヤモヤとイライラを募らせている美咲に真っ当なアドバイスを送った。
「いっそスマホ見ちゃったらどう? もし本当に浮気してるかもしれないなら証拠取っておかないと」
「そこまでやんなきゃかなぁ……」
「僕ならそうするね。 恋人が浮気してるかもって疑った時点でスマホは絶対見ちゃうよ。 あと、尾行」
「……スマホ、尾行、……」
もしも潤が美咲の立場であれば、そう長く我慢はしていられない。
芽を摘み、自白させるまで容赦なく問い詰めるだろう。
兄の性別からして起きてはならない間違いの心配は無いだろうが、心体の裏切りは分からない。
想いを寄せている美咲相手だからではなく、潤は至極冷静に中立的立場でものを言っている。
「まぁ……僕の場合は別れるっていう選択肢は無いから、問い詰めて、白状させて、生涯僕の部屋に閉じ込めるけどね」
「潤……? そうしたい相手でも居るの? なんかリアルだね」
旦那の浮気疑惑に翻弄されている美咲が、予期せぬ恋話に興味が移りかけている。
潤は、 "もしも" を考えた。 自分が美咲と同じ状況に陥った場合、何をどうするだろう。
ふとよぎったのは、長年恋をしているはずの目の前の女性では無かった。
「僕の未来のお嫁さん……番が出来た時の話だよ」
「え、……もしかして、ついに潤にも恋人が?」
「出来てないよ」
「なーんだ」
美咲には性別を知られているので構わず、意味深に薄く笑ってみせたところで玄関先から兄の声がした。
怒っている素振りを見せておきながら、そっと洗面所から顔を出している美咲の後頭部を眺めていると、「早く問い詰めて仲直りすればいいのに」と安直にも思ってしまった。
ほんの一ヶ月前の潤であれば、兄にそんな疑惑があると知ったそばから別れるようにけしかけている。
恋とは人を盲目にするからだ。
だが今や、間違いなく盲目となっていた潤の心は別にあった。
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