36 / 139
◆ 葛藤と純情 ◆ ─潤─
第三十六話
しおりを挟むせっかくの人気店でのディナーの味を、潤はほとんど覚えていない。
いくらとイカの入ったたらこクリームに舌鼓をうっていた天は、一口食べるごとに「美味しい」と感激していて、それはもう愛愛しかった。
けれどやはり大人一人前は食べ切れないと嘆かれ、残りは潤が頂いたのだがその時はかなり緊張した。
何せ天が口をつけたものだ。
これは間接キスになりやしないかと考え始めると、ただでさえ自身のジェノベーゼさえ無味だったにも関わらずもっと味が分からなかった。
味の保証は出来ない。 そう思っていられたのは、入店から十分ほどだけである。
あとは何が何だか分からぬまま、レモン水で喉を潤した緊張しきりの潤は支払いをしようとしていた。
「え、ちょっ……今日は俺が……!」
「いいってば。 あ、会計分けなくて結構です」
財布を出して張り切っていた天を遮り、それを見越していた潤が先に札を出してウエイターに微笑んだ。
店を出ると案の定、財布を握ったままの天は潤を見上げて噛み付く。
「潤くんっ、今日は俺が払うって言ったじゃん! 絶対全額返すからな!」
「要らないよ。 ていうか、僕と居る時にお財布出したらその場で静電気お見舞いするから」
「なんでだよっ」
「……理由なんて分かりきってる。 天くんだからだって言ったじゃない」
「そんなの理由になってな……」
「ほら見て、イルミネーションが綺麗だよ。 二十時の解散まで夜のお散歩しよ」
「…………っ」
支払いに関してお互い譲らない者同士だが、潤の方が一枚上手だった。
静電気を怖がる天はサッとポケットに財布をしまい、苦い顔をして「ごちそうさまでした」と頭を下げて隣に並ぶ。
潤が指差した先には、まさにカップルのデートスポットと化したイルミネーションスペースが在った。
駅前に特設されたそこへ歩むまで、天は納得がいかないとむくれたままである。
けれど潤には、頑なに支払いを譲らない理由があった。
それというのも、「お礼」を受けてしまうと即座に天との関係が絶たれるような気がしていたから。
朝晩の通話や日中のメッセージを欠かさないのも、天が潤の前からフェードアウトしないようにするためだった。
何故それほどまでに繋ぎ留めておきたいのかは分からない。
天の目を盗み、通常一つでいいカプセルを二つレモン水で流し込んだ潤の脳が、彼との関係を絶たせてはいけないと指令を送ってくるのでただそれに従っている。
潤と二十センチは差がありそうな背の低い天を見下ろし、そのつむじを見ているだけで心がグラグラした。
「……天くんはどうしてバイト三昧だったの?」
大木に巻き付けられた色鮮やかなイルミネーションライトを眺めながら、何気なく先程の会話を思い出す。
目の前のカップルがイチャつき始めたので、二人はそっと示し合わせたかのように場所を移動した。
「えっ、う、ーん……母子家庭、だから」
「そっか。 お母さんを助けてたんだね」
「ま、まぁな。 そういや、例の片思いの人はどうなった?」
空いていたベンチに天を腰掛けさせ、潤は傍にあった自販機でホットの缶コーヒーを二本買った。
もちろん微糖だ。
指先に触れないよう注意してそれを手渡すと、「ありがと」と受け取る天の表情は未だ複雑そうである。
「あー……気になる?」
「そりゃあね。 その話を聞くために俺は今ここにいる。 潤くんが抱えてること、全部吐き出しな?」
「男らしいね」
「えっ、ほんと? 俺男らしい? ちゃんと歳上っぽくやれてる?」
「あはは……っ、その発言は男らしくない」
「ぷはっ……」
ようやく屈託のない笑顔を見せてくれた。 ケラケラと笑う歳上らしくない天は、コートのボタンを一番上まで留めて、缶コーヒーを両手で持ち暖を取っている。
憎い静電気さえ無ければ、潤がその手を取り、温めてやるのに。
それに、だ。 二十時解散という厳しい決まりを天が設けているため、Briseに寄って挽きたての温かなコーヒーをご馳走する時間も無い。
寒空の下、様々な灯りが美しいイルミネーションを前に缶コーヒーに口をつけるのも悪くはないが、潤の考えるスマートなデートとは到底言えなかった。
「───最近ね、その人がすごく思い悩んでて。 ここ一週間くらい、相談というか愚痴をよく聞かされてる」
「……なんで?」
「相手が既婚者だって事は言ったよね? なんか夫婦間でトラブル発生みたい」
「マジでっ? どんなトラブル?」
「旦那の方の浮気疑惑、かな」
「お、うっ!?」
足を組んで缶コーヒーを啜る潤は、隣で驚きの声を上げた天の気持ちがよく分かった。
前を見据えて数分沈黙したかと思えば、「そっかぁ」と呟いて小ぶりな唇から真っ白な吐息を零す。
「めちゃくちゃタイムリーだなぁ。 言ったじゃん、俺の上司もまさに今浮気疑惑かけられてるんだよ」
「そうだったね。 それで週末の飲み会なくなったんだっけ」
「うん。 いや~夫婦って大変なんだね~」
潤がそう感じたように、天も「よくある事」だと疑わない。
隣からもの言いたげな視線がビシビシ飛んできていたが、それはそんなに心地良いものではなかった。
21
あなたにおすすめの小説
あなたと過ごせた日々は幸せでした
蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。
消えない思い
樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。
高校3年生 矢野浩二 α
高校3年生 佐々木裕也 α
高校1年生 赤城要 Ω
赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。
自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。
そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。
でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。
彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。
そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。
伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい
マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。
最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡)
世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
雪を溶かすように
春野ひつじ
BL
人間と獣人の争いが終わった。
和平の条件で人間の国へ人質としていった獣人国の第八王子、薫(ゆき)。そして、薫を助けた人間国の第一王子、悠(はる)。二人の距離は次第に近づいていくが、実は薫が人間国に行くことになったのには理由があった……。
溺愛・甘々です。
*物語の進み方がゆっくりです。エブリスタにも掲載しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる