123 / 139
はじめての巣作り
7
しおりを挟む● ● ●
お湯で濡らしたタオルで天の全身を丁寧に拭う潤の頭から、しょんぼりと垂れたフサフサの耳が見えた。
膝が笑い歩けなくなった天は、正座するどころかベッドに横たわっている。
考えなしに行動しようとした事を謝りたいのだが、「ごめんね」を繰り返す潤がそれをさせてくれない。
「天くん、……怒ってる?」
噛み跡が強く残ってしまった首筋を撫で、今にも泣き出しそうな表情で天を窺う潤は終始この調子だ。
天はフサフサの尻尾まで見え始めた潤を抱き寄せ、「怒ってないよ」と言って背中を撫でてやる。
無意識に放っていた怒りのオーラが、彼の欲情フェロモンを上回っていた衝撃はまだ鮮明だけれど、怒らせてしまったのは自分だという自覚があった。
天の体を清めてすぐ、当たり前のように正座しようとした彼を止めたのは良心の呵責からだ。
「ほんと? ほんとに怒ってない?」
「怒ってないってば。てか怒ってたのは潤くんだろ。なんであんなにキレてたの」
「だって天くんがっ、「帰る」なんて……」
カマをかけてみると、潤も怒りの理由をきちんと覚えていた。
なんで怒ってたんだっけ……と言いかねないほど、普段の潤は温厚で〝怒〟の感情が薄い。天に対しては特に、声を荒げる事すら無いのだ。
あのオーラはやはり、無意識下で放たれていた。あれはきっと、α性の根幹にある支配欲からきている。
Ω性である天の行動が潤の気に触り、しきりに「許せない」と呟かれていた事を思うと、自らの性を未だ受け入れられていない彼の本能を呼び覚ましてしまった天の方が、何となく罪悪感が強い気がした。
主従関係とは言わないまでも、α性と番う事で生かされるΩ性の天の心には、彼の葛藤も知るだけにどうしても卑屈な思いが宿ってしまう。
「潤くん、……さっきお母さんに怒られたんじゃないの? 俺のせいで今学校休んでるよね」
「それは……っ」
腹に乗った潤をグッと引き寄せて抱き締める。
二人の性別、β性のみである潤の家族、此処が造られた経緯を考えると、恋人がヤキモチを焼いた──それだけで済む話ではなかった。
「……ごめんね、潤くん」
「え……?」
「俺がΩ性じゃなかったら……発情期なんて無かったら……潤くんに無理させることも、嫌な気持ちになる事もなかったのにね」
「天くん! それは違っ……」
「俺、次からはちゃんと抑制剤飲むよ」
「天くん……っ」
悲観していた人生が、潤が現れてからは一気に華やいだ。天の毎日が美しく、楽しいものになった。
潤の存在を手放したくはない。けれど天の存在は、恐らく潤を不快にする言葉ばかり生む。
突き放すように言ってしまったけれど、それは今後どうしていくのが適切か二人で考える時間を欲したからだ。
二人の性別も、潤の家族も変えられない。
だが離れられない──。
少しだけ高い位置から、ハの字眉の情けない表情の美形が天を見下ろしている。
心がくすぐったい。
天への恋心を微塵も隠さない愛おしい男は、今は特に敏感な天の本能をすぐに刺激してくる。
しばらく見詰め合っていると、潤のために離れようとした強い気持ちが別のものへと変化していった。
「……一人で帰るの不安だから、潤くん……俺を家まで送ってくれないかな?」
「本当に帰る気なのっ!?」
「うん」
「…………っ」
「俺ね、潤くんがどんな気持ちでここに居たか、分かってた気でいたんだ。寂しがり屋な潤くんは、いきなり隔離されちゃって、α性だからって将来を託されて、……不平等な世の中が嫌いだって言ってたもんね」
天に馬乗りになった潤を目で追うと、僅かにあの赤黒いオーラが見え始めた。
一見不吉な言葉を放ちそうな天の言い草は、潤を盛大に焦らせてしまう。
「そうだよっ、僕は性別に縛られたくない! だから天くんが謝る必要も無いんだよっ」
「……俺も、潤くんも、自分の性別大っ嫌いなんだよね。でも世の中も、遺伝子も、俺達の意思を無視する。本能には逆らえないって……痛いほど分かったよ」
「何が言いたいの、天くん」
「一応、俺は年上だからさ。潤くんにばっか甘えてらんない」
「……別れたいって言いたいの?」
普段とは違う潤の低い声と同時に、赤黒いオーラがふた回りは大きくなった。
天が心に秘めたのは、そういう物騒なものを引き出すための諭しではない。
何ならもっとずるくて、年下に向けていい促しでもなく。
直接的に言うのは躊躇いがある。
どう話せば伝わるのか考えようにも、オーラを前にすると思考が定まらない。一旦それを引っ込めてからでないと、まともに目も見られない。
「ち、違うよ。……うーん、……どう言ったらいいのかな。別れるとかじゃない。俺は潤くんが嫌な気持ちになってほしくなくて……」
「嫌な気持ちになんてなってないよ! 僕は誰に何を言われても天くんと居たいんだ! 僕が寂しがり屋なの知ってるでしょっ? 甘えてらんないって言うけど、僕は天くんが甘えてくれて嬉しかったよ! 頼ってくれて、……嬉しかった!」
「うん……。俺も、潤くんが甘えさせてくれて嬉しかった」
「じゃあ帰るなんて言わないでよ! あと三日も残ってるのに、どうするつもりなのっ? 天くんの体はもう、一人じゃ絶対治められないよっ?」
帰宅の意思が強い事を知った潤は、明らかに苛立っていた。口調は優しいが、声色とオーラが半端ではない。
非常に躊躇ったものの、潤を落ち着かせるためには意味深な含みを持って彼の瞳に訴えかけるしかなさそうだ。
「だから……〝送って〟って言ってる」
天はそう言うと、プイと横を向いた。
はじめは眉間に皺を寄せて泣きそうに瞳を潤ませていた潤だが、数秒経ってから「あ!」と閃きを見せ、勢いよく天に抱きつく。
熱烈な愛情表現に、小柄な天は「うっ」と呻いた。どうやら意味が通じたらしいが、ここで圧迫死すると何も笑えない。
「わわ、っ……! 年上のくせにって言わないでね。俺がしっかり挨拶出来ればいいんだけど、たぶん潤くんのお母さんは俺に会いたくないだろうから、少しだけ……」
「うん……っ、うん……! 僕達はまだ未熟なんだもん! 二人で逃げちゃお、うるさい世の中から」
「……うん」
──俺は最低な〝大人〟だ……。
まるで、純朴な青年を悪の道にそそのかした淫魔のような気分だ。
しかし彼は泣きそうな表情から一転、加減も忘れて嬉しそうに抱きつき甘えてくる。大型犬のごとく喜びを爆発させ、怒りのオーラではなく癒やしのフェロモンを漂わせる潤が、可愛くて愛おしくてたまらなかった。
萎れていたフサフサの耳が、ぴょこんと立った。背後には千切れんばかりに振られるモフモフした尻尾の幻覚まで見えた。
今が良ければいい。まさかそんな軽率な気持ちでは無いけれど、どうすればいいか分からないものを考え続けて時間を無駄にするくらいなら、潤の笑顔を見ていたかった。
ずる賢い大人は、計略が巧いと聞く。
すぐに答えの出ない問題はひとまず後回しにしなければ、α性らしくない大好きな恋人がしくしく泣いてしまう。
41
あなたにおすすめの小説
あなたと過ごせた日々は幸せでした
蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。
愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない
了承
BL
卒業パーティー。
皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。
青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。
皇子が目を向けた、その瞬間——。
「この瞬間だと思った。」
すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。
IFストーリーあり
誤字あれば報告お願いします!
消えない思い
樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。
高校3年生 矢野浩二 α
高校3年生 佐々木裕也 α
高校1年生 赤城要 Ω
赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。
自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。
そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。
でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。
彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。
そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。
2度目の恋 ~忘れられない1度目の恋~
青ムギ
BL
「俺は、生涯お前しか愛さない。」
その言葉を言われたのが社会人2年目の春。
あの時は、確かに俺達には愛が存在していた。
だが、今はー
「仕事が忙しいから先に寝ててくれ。」
「今忙しいんだ。お前に構ってられない。」
冷たく突き放すような言葉ばかりを言って家を空ける日が多くなる。
貴方の視界に、俺は映らないー。
2人の記念日もずっと1人で祝っている。
あの人を想う一方通行の「愛」は苦しく、俺の心を蝕んでいく。
そんなある日、体の不調で病院を受診した際医者から余命宣告を受ける。
あの人の電話はいつも着信拒否。診断結果を伝えようにも伝えられない。
ーもういっそ秘密にしたまま、過ごそうかな。ー
※主人公が悲しい目にあいます。素敵な人に出会わせたいです。
表紙のイラストは、Picrew様の[君の世界メーカー]マサキ様からお借りしました。
【完結・BL】胃袋と掴まれただけでなく、心も身体も掴まれそうなんだが!?【弁当屋×サラリーマン】
彩華
BL
俺の名前は水野圭。年は25。
自慢じゃないが、年齢=彼女いない歴。まだ魔法使いになるまでには、余裕がある年。人並の人生を歩んでいるが、これといった楽しみが無い。ただ食べることは好きなので、せめて夕食くらいは……と美味しい弁当を買ったりしているつもりだが!(結局弁当なのかというのは、お愛嬌ということで)
だがそんなある日。いつものスーパーで弁当を買えなかった俺はワンチャンいつもと違う店に寄ってみたが……────。
凄い! 美味そうな弁当が並んでいる!
凄い! 店員もイケメン!
と、実は穴場? な店を見つけたわけで。
(今度からこの店で弁当を買おう)
浮かれていた俺は、夕飯は美味い弁当を食べれてハッピ~! な日々。店員さんにも顔を覚えられ、名前を聞かれ……?
「胃袋掴みたいなぁ」
その一言が、どんな意味があったなんて、俺は知る由もなかった。
******
そんな感じの健全なBLを緩く、短く出来ればいいなと思っています
お気軽にコメント頂けると嬉しいです
■表紙お借りしました
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる