優しい狼に初めてを奪われました

須藤慎弥

文字の大きさ
37 / 206
真実 ─和彦─

しおりを挟む



 膝を抱えて完全に丸くなってしまった七海さんを、僕は凝視した。

 唇が震える。

 七海さんから発せられた耳を疑う言葉に、僕の心臓が激しく脈打ち始めた。


「え……っ?」
「初めて? 七海、初めてだったのか? もしかして、……こいつが?」
「うん……」


 僕と九条さんが同時に身を乗り出すと、七海さんは耳を赤らめて僅かに髪を揺らした。


「っ七海、さん……ほ、本当なの……っ?」


 嘘でしょ、七海さん……!

 丸くなった背中に触れようとしてやめた僕は、もう一度小さく頷いた七海さんを信じられない思いで見詰めた。

 ……それが本当なら、僕は償いきれない罪を犯し、……純粋なる一人の人間の心と体を……汚した。

 「恋」をして、ドキドキする毎日を過ごし、この人ならと決意するまで守ってきた貞操を、僕が無残にも奪い取ってしまった。

 七海さんは経験豊富だと勘違いしたまま、勝手に嫉妬し、勝手に手中に収めたいと狼狽し、独りよがりに七海さんを傷付けた。

 ──だから……だからあんなに怒っていたんだ。

 大事にしてきた「初めて」を、好きでもない僕に奪われたから。

 だから……。


「……あの噂、半分以上デタラメじゃねぇか」
「俺が悪いから……そんな噂流されるような事してきたのも事実、だし……」
「………………」
「………………」


 七海さん、……七海さんは何も悪くない。

 噂は本当に、ただの噂だったんだ。

 よく分からない大きな間違いと共に流れていた、単なる噂。

 こんなに純粋な気持ちを持った七海さんが、男漁りなんてするはずがない。

 理由を聞いてやっと腑に落ちた。

 七海さんは悲観しつつ合コンに参加していたんだ。

 出会いを求める反面、好きになってくれる人や、七海さん自身が「好きだ」と思える人はこの中には居ないと諦めていたから、あんなにも切ない愛想笑いを浮かべていた──。


「七海さん……」


 好きな人に出会ってみたい、恋をしてみたい、毎日が輝くという経験をしてみたい……そんな、清らかに「恋」を夢描いていた七海さんの気持ちを踏みにじった僕を、許せないのは当然だよ……。


「七海、信じらんねぇかもしれないけど、何もしないって誓うから俺ん家泊まれ。こいつとは別にガチのストーカーが居るんなら、ここに住むのは危険過ぎる」
「え……」
「こいつを毛嫌いしてた理由も分かったしな。そりゃ許せねぇよ。俺だって」
「…………九条君……」


 ここに居るのは危険だと九条さんも分かってくれたみたいだけど、その提案に僕の口角は引き攣った。

 どうやら九条さんは、告白した後にキスを迫ったらしいから、何もしないと言われても信じられないのか顔を上げた七海さんもひどく困惑している。

 黙っていると、九条さんがふと僕を見た。


「運転手様がお待ちだぞ。お前は早く帰れ」
「で、でも僕は……」
「七海が怒ってる。悲しんでる。嫌がってるっつーより、七海はお前の事が許せねぇんだよ。言ってる意味は分かるよな?」
「………………」


 分かってる、分かってるよ……!

 僕が全部いけなかった。

 七海さんの事を誤解したまま何もかもを自分本位に進めて、振り向いてくれるはずなんかないのに諦めない意思ばかり強くして。

 謝っても謝っても、七海さんはきっと許してくれない。

 キスをし慣れていない、体調が万全ではない七海さんを僕の家で抱くのは、さすがによくないと思って自制していた事だけが救いだ。

 早くよくなってほしい。

 七海さんが元気になったら、それから僕もエンジンを掛けよう、そう決めていたから。

 ──事情が変わり、予定が大幅に狂ってしまったけれど。


「……七海さんの事は九条さんに任せます。僕が口を出せる状況じゃなくなりました。行ってほしくないけど、……僕は何も言えない。 言うべきじゃない……」


 僕は七海さんの顔を見る事が出来なかった。

 隣から視線を感じたけれど、今までどうやってその瞳を見詰め返せていたのか分からない。



 初めてを奪ってしまったその人に、僕は初めて恋をしていたんだと……今さら気付いて下唇を噛んだ。




しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

あなたと過ごせた日々は幸せでした

蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

昔「結婚しよう」と言ってくれた幼馴染は今日、僕以外の人と結婚する

子犬一 はぁて
BL
幼馴染の君は、7歳のとき 「大人になったら結婚してね」と僕に言って笑った。 そして──今日、君は僕じゃない別の人と結婚する。 背の低い、寝る時は親指しゃぶりが癖だった君は、いつの間にか皆に好かれて、彼女もできた。 結婚式で花束を渡す時に胸が痛いんだ。 「こいつ、幼馴染なんだ。センスいいだろ?」 誇らしげに笑う君と、その隣で微笑む綺麗な奥さん。 叶わない恋だってわかってる。 それでも、氷砂糖みたいに君との甘い思い出を、僕だけの宝箱にしまって生きていく。 君の幸せを願うことだけが、僕にできる最後の恋だから。

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

殿下に婚約終了と言われたので城を出ようとしたら、何かおかしいんですが!?

krm
BL
「俺達の婚約は今日で終わりにする」 突然の婚約終了宣言。心がぐしゃぐしゃになった僕は、荷物を抱えて城を出る決意をした。 なのに、何故か殿下が追いかけてきて――いやいやいや、どういうこと!? 全力すれ違いラブコメファンタジーBL! 支部の企画投稿用に書いたショートショートです。前後編二話完結です。

家を追い出されたのでツバメをやろうとしたら強面の乳兄弟に反対されて困っている

香歌奈
BL
ある日、突然、セレンは生まれ育った伯爵家を追い出された。 異母兄の婚約者に乱暴を働こうとした罪らしいが、全く身に覚えがない。なのに伯爵家当主となっている異母兄は家から締め出したばかりか、ヴァーレン伯爵家の籍まで抹消したと言う。 途方に暮れたセレンは、年の離れた乳兄弟ギーズを頼ることにした。ギーズは顔に大きな傷跡が残る強面の騎士。悪人からは恐れられ、女子供からは怯えられているという。でもセレンにとっては子守をしてくれた優しいお兄さん。ギーズの家に置いてもらう日々は昔のようで居心地がいい。とはいえ、いつまでも養ってもらうわけにはいかない。しかしお坊ちゃん育ちで手に職があるわけでもなく……。 「僕は女性ウケがいい。この顔を生かしてツバメをしようかな」「おい、待て。ツバメの意味がわかっているのか!」美貌の天然青年に振り回される強面騎士は、ついに実力行使に出る?!

「オレの番は、いちばん近くて、いちばん遠いアルファだった」

星井 悠里
BL
大好きだった幼なじみのアルファは、皆の憧れだった。 ベータのオレは、王都に誘ってくれたその手を取れなかった。 番にはなれない未来が、ただ怖かった。隣に立ち続ける自信がなかった。 あれから二年。幼馴染の婚約の噂を聞いて胸が痛むことはあるけれど、 平凡だけどちゃんと働いて、それなりに楽しく生きていた。 そんなオレの体に、ふとした異変が起きはじめた。 ――何でいまさら。オメガだった、なんて。 オメガだったら、これからますます頑張ろうとしていた仕事も出来なくなる。 2年前のあの時だったら。あの手を取れたかもしれないのに。 どうして、いまさら。 すれ違った運命に、急展開で振り回される、Ωのお話。 ハピエン確定です。(全10話) 2025年 07月12日 ~2025年 07月21日 なろうさんで完結してます。

【完結】伯爵家当主になりますので、お飾りの婚約者の僕は早く捨てて下さいね?

MEIKO
BL
 【完結】伯爵家次男のマリンは、公爵家嫡男のミシェルの婚約者として一緒に過ごしているが実際はお飾りの存在だ。そんなマリンは池に落ちたショックで前世は日本人の男子で今この世界が小説の中なんだと気付いた。マズい!このままだとミシェルから婚約破棄されて路頭に迷う未来しか見えない!  僕はそこから前世の特技を活かしてお金を貯め、ミシェルに愛する人が現れるその日に備えだす。2年後、万全の備えと新たな朗報を得た僕は、もう婚約破棄してもらっていいんですけど?ってミシェルに告げる。なのに対象外のはずの僕に未練たらたらなのどうして? ※R対象話には『*』マーク付けます。

処理中です...