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初めてを奪われました ─和彦─
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しおりを挟む勤務終わり、迎えに来た後藤さんに七海さんが車中に居た顛末と、ネットカフェ難民(?)だという事を聞かされてすぐにここへやって来た。
九条さんの家には行かず、ネットカフェで日々を過ごしていたと聞かされたら、僕はすべての思いをひとまず捨てて、七海さんに謝らなきゃと思った。
僕が誤解しなければ、七海さんがそんな生活を強いられる事は無かったんだ。
七海さんのストーカーだったあの男には釘を差しておいたつもりでも、いつ何時やって来るか分からないから……九条さんの自宅に居るのなら貞操はともかく命は守られるだろうと、安直にもそう考えていた。
一日でも早くアプリを開けば良かった。
恋敵である九条さんの自宅を行き来するところなど見たくないからと、僕の中に芽生えた恥ずべき嫉妬がさらに七海さんを苦しめていた。
流れる涙は止まったものの、依然として潤んだ瞳は戸惑いと怒りを含んでいる。
それなのにしっかりと僕にしがみついたままの七海さんは、どこまでも初な調子で小さく首を傾げた。
「……和彦、俺の事好きなの……?」
「はい」
「…………っ!」
「七海さんの気持ちは分かっていますけど、まだ言わなくていいです。……ここまで七海さんを追い込んでしまった僕には、それを急かすなんて事はとても出来ません」
「……何……? 何を急かすって? ……なんで俺の気持ちが和彦に分かるんだよ。……好きって言われても困るんだけど」
「困るんですか?「嫌」、じゃなくて?」
──僕が、七海さんを惑わせている。
恋をしてみたいと健気に語った、僕より二つ歳上の可愛い人は自身がすでに「恋」をしている事に気付いていない。
……はじまりがあまりにも悪かったからだ。
七海さんが描いていた理想の恋の形ではなかったから、苛立ちが先にきてしまったそれをすんなりと受け入れられていない。……当然だと思う。
僕から視線を外した七海さんからは、僕に対する憎しみは感じられない。
ただただ、僕の告白に困惑している。
「……嫌じゃない。ムカつくだけ」
「僕の事を怒るのは、七海さんの初めてをあんな形で奪ってしまった事だけを怒っていて下さい。それだけは、僕自身も許せないので……」
「うん。許せないから、許さない。でも……めちゃくちゃムカつくけど、和彦のこと嫌いじゃない。だからって好きって言われても困る」
「……そうですか」
以前の僕なら、迷う七海さんの気持ちなど考えもしないで「そんな事言わずにちゃんと自分と向き合ってください」なんて偉そうな事を言っていたと思う。
でも僕はちょっとだけ変わった。
七海さんの事が好きだから、七海さんを困らせたくない。
たった今ポロポロと本音を語ってくれたあの言葉達があれば、これ以上突き詰めるのは野暮というものだ。
──七海さんは初めてなんだ。
セックスだけじゃなく、恋をするのも、「初めて」なんだ。
こんな気持ちになるのは僕も「初めて」だから、戸惑う七海さんの思いを大切にしたいよ。
責任取る、なんて堅苦しく窮屈な言い方ではなく、「好き」という言葉だけを伝えたいよ。
そのためには、僕の想いが本気だって分かってもらう必要がある。
僕を恨んでいないのなら、嫌だけど嫌いじゃないのなら、七海さんが僕を許せないと言った「意味」に気付いてもらえるまで、どうか近くに居てほしい。
新しい住まいなど探さず、いっその事ずっと傍に居てほしい。
「七海さん、……僕の家に来てくれますよね?」
真っ黒な瞳をジッと見詰めた僕は、唇を引き結んで頷きかけた七海さんのまさかの問いに驚きを隠せなかった。
「……家賃はいくら?」
「家賃!? 何を言ってるんですか、家賃なんて要りませんよ」
「でもそれじゃ行けない……」
「……分かりました。そこは要相談で」
「…………うん」
ヤンチャそうな見た目とは真逆な、律儀で真面目な一面は知っていたとはいえ胸が高鳴った。
僕の家に来る気になっているという事だけでドキドキしているのに、控え目なところにもすごくキュンとした。
そうと決まればすぐにでも帰ろう。
まだ戸惑い中の七海さんとはイチャイチャ出来ないけれど、リリくんの紹介くらいは出来る。
七海さんとリリくんが仲良くなる妄想の実現を前に、たまらない気持ちになった。
「さ、行きましょう。荷物はどれですか?」
「あっ……あのリュック。ちょっと下ろしてよ、取ってく……」
「いいです。このまま行きます」
「いや和彦、土足だから!」
「あぁ、すみません」
「…………そろそろ下ろしてよ」
しまった、靴のまま七海さんのお家に上がってたんだ。
僕は靴を脱いで、ベッド脇に置かれたまん丸なリュックサックを左の肩に担いだ。
幸せ……。
下ろして、って言いながら、僕の右腕には七海さんがしっかり収まってるんだよ。
嫌がってないんだよ。
「ごめんなさい、それは無理です。抱っこしていたいです。嫌なら下ろします」
「言ってる事チグハグ過ぎるよ」
「そうですよね。……でも僕、ちょっとだけ怖いんです。七海さんに恋した僕は周りが見えなくなる。七海さんの心の声も聞き逃してしまいそうになる」
「俺の知ってる和彦はずっとそうだけど」
「え……そうなんですか?」
「何回も言ったじゃん。和彦は変だって」
「七海さんに言われると何でも褒め言葉に聞こえます。……不思議だ」
しみじみ言うと、七海さんは呆れた顔で僕を見た。
僕は人並みじゃない。
七海さんはそれでも僕の腕の中に居てくれてるじゃない。
それが答えだと気付かない純心さが、僕を限りなくときめかせてる事も知らないで。
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