優しい狼に初めてを奪われました

須藤慎弥

文字の大きさ
125 / 206
さざ波 ─和彦─

10

しおりを挟む



 本来なら僕が気が付かなければならなかった、社内に蔓延る闇。

 恐らく氷山の一角に過ぎないそれを、洞察力の優れた七海さんは五日で見聞きしたというのに、生きながら死んでいた僕は腑抜けとしか言い様が無かった。

 信号待ちで、ルームミラー越しに後藤さんからの視線を感じる。

 心配気だった七海さんからは呆れたような溜め息を吐かれる始末で、身の置き場がない。

 前を向くんだと決めた矢先に、自惚れるなと我が身を叱咤せざるを得ないなんて、自分が撒いた種とはいえ本当に情けないよ……。


「……なぁ和彦、俺がリストアップした内容覚えてないの?」
「僕の短所……ですよね、覚えていますよ」


 ──七海さんがリストアップしたものと言えばアレしかない。

 繋いだままの手のひらをにぎにぎして、ざわつく心を少しでも落ち着かせようと無理に平静を装う。


「あれに書いてただろ。「自分勝手」で、「人の話を聞かない」。和彦は人間不信だって言うけど、大学での和彦見てて思ったんだ。俺と知り合う前の和彦は、講義受けてる間も、仕事してる時も、何を考えてたんだろって」
「…………」


 ──何も。僕は何も、考えていなかった。

 他人との接触は煩わしいだけ。

 友達なんか要らない。お世辞、愛想笑い、偽りの言葉、そんなの聞きたくない。 傷付きたくない。深く関わったら後が怖い。

 どうせ、どうせ、……。

 暗い影がじわじわと忍び寄る。

 幼子が叱られている時のようにジッと一点を見詰めたまま動かない僕の手を、七海さんがきゅっと握ってきた。

 いつもは僕が離したがらないのに、今は七海さんの方から力を込めてくれた。


「世襲は時代遅れだとか言って、自分の置かれた状況すら受け止めようとしなかった奴が、周りに気を配るなんて出来るはずないじゃん。自分がやるべき事は与えられた仕事をこなすだけ、……それでいいと思う?」
「……よくない、です」
「大学内での和彦もそう。あとほんのちょっと周りに目を向ければ、意外と敵ばっかりでもないじゃんって気付けたはずなんだよ。過去に何があったかは知らないけど、そうやって自分を省みる事が出来るようになったんなら、和彦にとってはそれが大きな一歩なんじゃないの?」
「……七海さん……」


 男らしくも温かい、七海さんのプチ講義がいつの間にか始まっていた。

 僕にも僕自身がよく分かっていなかったのに、七海さんにはどうしてすべてを見透かされてしまうんだろう。

 他人が嫌だ、関わりたくないとあれだけ壁を作っていた僕が、七海さんにだけは自ら話し掛けた。

 例の噂を半信半疑ながら信じてしまい、慣れている素振りで七海さんの気を引こうとした。

 後から考えてみると、僕が自分の意志で動いた事って相当に久しぶりだった気がする。

 噂の確証なんかどうでもよくなって、七海さんの事が欲しくてたまらなくなって、目が離せなくて、触れてみたくて、僕以外の男に抱かれる想像をして、……激しく嫉妬した。

 驚愕と落胆を一度に味わわせてしまった七海さんには、今でも謝っても謝りきれないけれど、やはり僕には必要な出会いだった。

 あれは紛れも無く、僕にとっては最高の出会いだった。

 諭してくれようとする七海さんは、後藤さんの目を気にしてなのかやや声のトーンを落として続ける。


「大学内で唯一まともに話せるのが占部だって言ってたよな、和彦。だから、私情挟むなよって言ったんだ。解決すると、占部との関係も考えないといけなくなるかもしれないだろ。たぶん……今まで通りではいられない」
「……そう、ですね……」
「和彦なりに、占部とはいい関係を築いてこれてたと思うんだ。せっかく友達になれたのに、父親のせいでその関係が崩れてしまう……もしそうなったら、和彦はどっちを取るの」


 占部さんのお父様の名前を聞いた瞬間、当然浮かんだ究極の選択を七海さんから迫られ、狼狽えた。

 継がなくてはならない会社と、親しくしてくれていた僕にとっては貴重な友人と呼ぶに相応しい占部さん。

 どちらも失くしたくない。

 信じたくなかったのは、その決断を早々と付けなければならないと分かっていたから。

 僕には選べない──腑抜けたままの僕ならば。

 けれど今、七海さんは言ってくれた。

 後悔するだけでなく、自分を省みる事が出来るようになったのならそれは大きな一歩だ……と。

 一進一退を繰り返す僕に、その時一番欲しい言葉をくれる七海さん。

 情けない男だと呆れられてもおかしくない僕を、真っ直ぐに導いてくれる。

 僕もそうならなければいけない。

 自身のため、何より七海さんのために。


「──会社を取ります。……見過ごすわけにはいきません。セクハラも、不正も、知っていたら僕は動いていました。その意気込みだけはあったんです。幹部になるつもりは毛頭無くても、会社のために生きようとは常日頃から思っていました。……見付けられなかった僕が言ってもなんの説得力もないでしょうけど」
「ない。ないね。でも和彦はもう、自分は何がダメで、何をしなきゃいけないのかって気付いたんだろ? ちょっと前に俺にしつこく「気付きましたか」って言ってた時の和彦、めちゃくちゃドヤ顔してたんだからな。調子乗らせたら嫌だから言わなかったけど、あの和彦は……」
「ぼ、僕が何か……?」


 珍しく言葉を詰まらせた七海さんに不安を覚えて顔を覗き込むと、さっきよりも小さな声でボソボソと何事かを呟いた。

 恥ずかしそうに俯く頬をピンクに染めて、不安を一蹴させるその呟きに僕は…七海さんの事が大好きだと、しみじみ思ったんだ。

 七海さんからもたらされる、さざ波のような心の動揺がひどく心地良い。

 大きな一歩を踏み出した僕には、その小さな動揺が重要だった。

 怖がっていては前に進めない。

 悪事を裁くために必要なのは、今まで避けてきた「見通す力」を養う事。

 七海探偵に指南を仰ごう。

 一歩どころではなく、何歩も何十歩も前へ進むべく。





しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

あなたと過ごせた日々は幸せでした

蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。

昔「結婚しよう」と言ってくれた幼馴染は今日、僕以外の人と結婚する

子犬一 はぁて
BL
幼馴染の君は、7歳のとき 「大人になったら結婚してね」と僕に言って笑った。 そして──今日、君は僕じゃない別の人と結婚する。 背の低い、寝る時は親指しゃぶりが癖だった君は、いつの間にか皆に好かれて、彼女もできた。 結婚式で花束を渡す時に胸が痛いんだ。 「こいつ、幼馴染なんだ。センスいいだろ?」 誇らしげに笑う君と、その隣で微笑む綺麗な奥さん。 叶わない恋だってわかってる。 それでも、氷砂糖みたいに君との甘い思い出を、僕だけの宝箱にしまって生きていく。 君の幸せを願うことだけが、僕にできる最後の恋だから。

家を追い出されたのでツバメをやろうとしたら強面の乳兄弟に反対されて困っている

香歌奈
BL
ある日、突然、セレンは生まれ育った伯爵家を追い出された。 異母兄の婚約者に乱暴を働こうとした罪らしいが、全く身に覚えがない。なのに伯爵家当主となっている異母兄は家から締め出したばかりか、ヴァーレン伯爵家の籍まで抹消したと言う。 途方に暮れたセレンは、年の離れた乳兄弟ギーズを頼ることにした。ギーズは顔に大きな傷跡が残る強面の騎士。悪人からは恐れられ、女子供からは怯えられているという。でもセレンにとっては子守をしてくれた優しいお兄さん。ギーズの家に置いてもらう日々は昔のようで居心地がいい。とはいえ、いつまでも養ってもらうわけにはいかない。しかしお坊ちゃん育ちで手に職があるわけでもなく……。 「僕は女性ウケがいい。この顔を生かしてツバメをしようかな」「おい、待て。ツバメの意味がわかっているのか!」美貌の天然青年に振り回される強面騎士は、ついに実力行使に出る?!

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

【完結】お義父さんが、だいすきです

  *  ゆるゆ
BL
闇の髪に闇の瞳で、悪魔の子と生まれてすぐ捨てられた僕を拾ってくれたのは、月の精霊でした。 種族が違っても、僕は、おとうさんが、だいすきです。 ぜったいハッピーエンド保証な本編、おまけのお話、完結しました! おまけのお話を時々更新しています。 ご感想欄 、うれしくてすぐ承認を押してしまい(笑)ネタバレ 配慮できないので、ご覧になる時は、お気をつけください! トェルとリィフェルの動画つくりました!  インスタ @yuruyu0 絵もあがります Youtube @BL小説動画 プロフのWebサイトから、どちらにも飛べるので、もしよかったら! 名前が  *   ゆるゆ  になりましたー! 中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!

「オレの番は、いちばん近くて、いちばん遠いアルファだった」

星井 悠里
BL
大好きだった幼なじみのアルファは、皆の憧れだった。 ベータのオレは、王都に誘ってくれたその手を取れなかった。 番にはなれない未来が、ただ怖かった。隣に立ち続ける自信がなかった。 あれから二年。幼馴染の婚約の噂を聞いて胸が痛むことはあるけれど、 平凡だけどちゃんと働いて、それなりに楽しく生きていた。 そんなオレの体に、ふとした異変が起きはじめた。 ――何でいまさら。オメガだった、なんて。 オメガだったら、これからますます頑張ろうとしていた仕事も出来なくなる。 2年前のあの時だったら。あの手を取れたかもしれないのに。 どうして、いまさら。 すれ違った運命に、急展開で振り回される、Ωのお話。 ハピエン確定です。(全10話) 2025年 07月12日 ~2025年 07月21日 なろうさんで完結してます。

人間嫌いの公爵様との契約期間が終了したので離婚手続きをしたら夫の執着と溺愛がとんでもないことになりました

荷居人(にいと)
BL
第12回BL大賞奨励賞作品3/2完結。 人間嫌いと言われた公爵様に嫁いで3年。最初こそどうなるかと思ったものの自分としては公爵の妻として努力してきたつもりだ。 男同士でも結婚できる時代とはいえ、その同性愛結婚の先駆けの1人にされた僕。なんてことを言いつつも、嫌々嫁いだわけじゃなくて僕は運良く好きになった人に嫁いだので政略結婚万歳と今でも思っている。 だけど相手は人嫌いの公爵様。初夜なんて必要なことを一方的に話されただけで、翌日にどころかその日にお仕事に行ってしまうような人だ。だから使用人にも舐められるし、割と肩身は狭かった。 いくら惚れた相手と結婚できてもこれが毎日では参ってしまう。だから自分から少しでも過ごしやすい日々を送るためにそんな夫に提案したのだ。 三年間白い結婚を続けたら必ず離婚するから、三年間仕事でどうしても時間が取れない日を除いて毎日公爵様と関わる時間がほしいと。 どんなに人嫌いでも約束は守ってくれる人だと知っていたからできた提案だ。この契約のおかげで毎日辛くても頑張れた。 しかし、そんな毎日も今日で終わり。これからは好きな人から離れた生活になるのは残念なものの、同時に使用人たちからの冷遇や公爵様が好きな令嬢たちの妬みからの辛い日々から解放されるので悪い事ばかりではない。 最近は関わる時間が増えて少しは心の距離が近づけたかなとは思ったりもしたけど、元々噂されるほどの人嫌いな公爵様だから、契約のせいで無駄な時間をとらされる邪魔な僕がいなくなって内心喜んでいるかもしれない。それでもたまにはあんな奴がいたなと思い出してくれたら嬉しいなあ、なんて思っていたのに……。 「何故離婚の手続きをした?何か不満でもあるのなら直す。だから離れていかないでくれ」 「え?」 なんだか公爵様の様子がおかしい? 「誰よりも愛している。願うなら私だけの檻に閉じ込めたい」 「ふぇっ!?」 あまりの態度の変わりように僕はもうどうすればいいかわかりません!!

処理中です...