優しい狼に初めてを奪われました

須藤慎弥

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 熱が入った俺は、勢いに任せて言わなくていい事まで言ってしまった。

 ほんと、今まで読んだどの漫画にも小説にもお手本が居なくて扱いに困る和彦に、どんどんのめり込んでいる。

 和彦の事を言えないくらい、周りが見えなくなってきてるな。……俺も。


『……カッコ良かった。ヘタレでも病んでても暴走しててもいいんだけど、俺はあのドヤ顔和彦が一番好き、かも……。自信たっぷりな方がいいよ、和彦は……』
『えっ……!』
『ほら! 今にも調子に乗りそう!』
『乗らせてくださいよ……! 七海さん、あんまり「好き」って言ってくれないから……っ』
『い、言えるわけないだろっ? 話逸れてるし!』


 趣のある老舗っぽい料亭の門を潜る、見た目だけはいかにもスパダリな和彦の背中を見詰めていると、ほっぺたが熱くなってくる。

 何かっていうとすぐに下を向いて鬱々とし始めるから、前を向いてもらえるよう俺は精一杯諭してるつもりだけど、和彦にそれが伝わってるのなら良かった。

 あの背中は、ひとまず大丈夫な背中だ。

 ほんとは、セクハラについても、不正についても、分かった時点で和彦に打ち明けてれば良かったんだろうな。

 でもてっきり俺は、そんな大事を解決するのは無理です、僕には出来ないです、なんて困り顔でしょんぼりと見詰めてくるもんだとばかり思っていた。

 和彦を信じていなかったわけじゃないけど、ただでさえ俺の噂とかストーカーの件で動かしてしまったから、また面倒事かと疎ましく思われたらどうしようってそれも怖かった。

 俺だけでどうにかしたくても限界があるのは分かってたし、いつ言おうかとタイミングを計ってたところに昨日びしょびしょに濡れてしまって、もう隠してはおけないと諦めた。

 揉み合う二人を止めようと給湯室の扉を開けた時だった。

 いよいよ我慢ならなかったらしい、松田さんが持ったコップいっぱいの水が、占部のお父さんではなく俺に掛かってしまった、という経緯なんだけど。

 昨日の事で、占部のお父さんは俺を完全にマークしたはずだ。

 誰にも言うなよ、の脅しは言う事聞くつもりでいたけど、もう無理だよ。

 デスクワークしてた俺の体の前面が濡れた、違和感バリバリの姿で「お疲れ様」なんて平然と言っても、和彦がギョッとするに決まっている。

 何たって和彦は、びっくりするくらい俺にベタベタなんだからな。

 ちょっと内面は頼りないし相変わらずずっと変なままだけど、変わろうとしてる和彦はすごく好きだ。

 俺に優しくしたい、優しく出来ていますか、って相手に問うのはどうなんだって事も、平気で聞いてきちゃうから可笑しいよ。

 不安そうに俺を見てる事が多いから、もう和彦は後悔に沈まなくていいって言ってんのに、すぐに鬱に入るのは見てて可哀想にすらなってくる。

 俺は、和彦が思ってるよりずっと、和彦の事が好きだ。
 
 夢見てた恋とはやっぱり何かが違う気もするけど、味わっている数々の想いは経験した事のない甘じょっぱさで、毎日心臓がドキドキする。

 怒りで誤魔化していた当初の和彦への反発は、「分からない」が生んだ恋の始まりだったんだ。

 恋を求めていた俺は、誰かに心を攫ってほしかった。

 無意識に追い掛けたくなるほど、夢にも出て来てしまうほど、視線が合っただけで緊張が走ってしまうほど、知らず知らずのうちに和彦に囚われている。

 魔性の男はどっちだっつーの。

 理由は分からないけど、他人と関わる事を恐れてるはずの和彦が噂そっちのけで俺に声を掛けてきたなんて……その意味が分かった今、「初めて」を奪われた事さえ俺の中では最悪な出会いじゃなくなった。

 体だけじゃなく心ごと奪っていきやがって、その上、一秒たりとも離れたくないと態度でそれを示してくる重たい愛情がめちゃくちゃくすぐったい。

 和彦に囚われた俺は、心を奪われた仕返しをしてやるんだ。

 闇に落ち込む和彦を掬い上げて、諭して、前を向かせて、もっと俺に夢中になればいい。

 そうしたら俺も胸がスッとする。

 夢中なのは俺だけじゃないって分かれば、少しはこのドキドキも落ち着くはず、……だよな。


「──七海様、……頬が緩んでおられます」
「へっ!? なにっ?」
「和彦様の事をお思いでしたか」
「あ、っ? い、いや……そんな事は……!」


 突然話し掛けられてルームミラーに視線をやると、後藤さんがクスクス笑ってこちらを温かく見ていた。

 うわ……俺また和彦の事言えないじゃん……。

 恥ずかしい。「もっと俺に夢中になればいい」……なんて。


「私、後藤は独り言が趣味でございます。 いつかの独白と同じく聞き流して頂いて結構です」
「…………?」


 料亭の駐車場にはずらりと高級車が並び、そのうちの一つがこの後藤さんの車だ。

 到着が遅れたせいで占部のお父さんの顔を見て記憶と一致させる事は出来なかったけど、それは帰りしなでもチャンスはある。

 何となく料亭の入り口を後部座席の窓から注視しながら、俺は後藤さんの独白を「聞き流す」事にした。

 だって後藤さんの独白は、前回も俺の考えをガラリと変えた重要な独り言だったから。

 おそらく、誰よりも長く和彦と同じ時を過ごした後藤さんだからこその独り言。

 俺に聞かせたいその内容は、俺が今一番知りたい事であるような気がした。




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