優しい狼に初めてを奪われました

須藤慎弥

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清算 ─和彦─

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 防犯カメラの増台と、出勤中は七海さんによるさり気ない松田さんへの張り付きが功を奏し、今週は表立ったセクハラの実態は鳴りを潜めている。

 証拠が取れないのは難点だけれど、七海さんは頑としてセクハラについての物的証拠は必要ないと語った。

 犯人が分かっていて、実害もこの目で見ていて、かつ解決への糸口も見付かった今、やすやすと今までのようにセクハラさせるのはいけ好かないから──と、七海さんらしい男前な意見に僕も賛同した形だ。

 占部さんのお父様は、僕らが出勤する夕方前にも粗相をしている可能性が高いので、死角となる給湯室とオフィス内という公の場への防犯カメラの設置は、本当に効果的だったと思う。

 この防犯カメラの設置に際して、批判を受ける前に全社員へ社長からの一斉メールで通達もされており、父はまるで抜かりがない。

 僕らに任せると言った父から、件の防犯カメラを閲覧するパスワードは預かった。

 二十桁に及ぶ順序不同の英数字の羅列は極秘であるどころの騒ぎではないので、預かったと同時に暗記してメッセージは消去し、僕の頭に入っている。


「何、それはどこのカメラ?」


 ネクタイを締めながら僕の隣にやって来た七海さんから、お風呂上がりの良い香りがした。

 今日は帰りが遅くなるから、リリくんの部屋んぽを早めてソファに腰掛けている僕は、ノートパソコンを膝に乗せて例の人物を見張っていた。


「これは営業一課です。まだ占部さんのお父様が残ってらっしゃるんですよ」
「え? あと二時間でパーティー始まるだろ? こんな日に休日出勤だし……怪し過ぎない?」


 えぇ、と頷きながら、七海さんの正装に目を奪われる。

 二時間後に迫ったパーティー出席のために支度を始めた七海さんは、お父様から大学入学時に買って頂いたという濃紺のスーツを着用するみたいで。

 本当は、スーツならば僕がプレゼントしてあげたかったけれど、パーティー用にあつらえた、なんて理由では慎ましい七海さんはきっと受け取ってくれない。

 お父様からの頂き物なら、と僕も納得して、結び慣れないのかあまり上手ではない紺色のネクタイを結び直してあげた。


「そうなんですよ。七海さんが会話を録音した日以降は、おかしな動きはしていなかったんですが。この方がこんなに熱心にパソコンに向かってる姿、僕は見た事ないな」
「そうなの? ……ますます怪しいじゃん……」


 顔をくしゃっと歪めて僕の隣に腰掛けた七海さんは、ジッと画面の中の人物を見詰めた。

 占部昭一が関わったとされる不正データは、四日間かけて四年分すべてに目を通した。

 週始めに告白されて舞い上がり、我慢が効かなかったせいで七海さんをひどく疲れさせてしまった僕は、誘惑に打ち勝って今日の日のための下準備を着々と進めていた。

 主に雑費や工事費として上げられていた多額の経費の差額はどこに消えたのかを追及すべく、言い逃れ出来ないように改ざん部分と元データの比較、明細と請求書の相違額を細かく記して表にもした。

 七海さんにも確認してもらいながら、占部昭一の悪事を本人に突き付けるために二人で試行錯誤したこの四日間。

 膨大な数字を目で追っていると頭が混乱してくる、と毎日言っては笑わせてくれた七海さんは、同じく毎日、僕に「好き」と言ってくれた。

 その言葉を聞く度に幸せを体感すると共に、今の僕にはとてもとても心強かった。

 会社の闇に気付いた七海さんが居なければ、僕はこんなにもやる気を漲らせていなかっただろう。

 見れば見るほど細々とした大量の不正に目を覆いたくなったけれど、これは継ぐべき僕に課された清算への第一歩。

 しかしながら、父がこれを僕が気付くまで放置していたなんて未だに信じ難い。


「あっ……動いたよ」
「…………」


 七海さんの声に、僕も画面へと視線を戻す。

 パソコンの電源を落とし、書類をパラパラとおざなりに見た後、占部昭一は何食わぬ顔で営業一課を退室した。


「……何してたんだろ……」
「気になりますね」
「あっちのパソコンにも入れたらいいのに」
「ふふっ……それをすると僕はハッカーになってしまいます」


 それはマズイな、と笑う七海さんから、視線を寄越される。

 白いカッターシャツのボタンを一番上まで留めてネクタイを締めた姿は、凛としてすごく素敵だ。

 出会いからの日々があまりに濃かった僕達は、「好き」と言い合う事によって以前とはまるで関係性が変わってきたような気がする。

 なんて言うのかな……。

 言わずとも、視線で分かる。そんな感じ。

 僕が顔を傾けて七海さんに迫って行くと、七海さんは逆方向に顔を傾ける。そして、無言で唇を重ねる。

 最近分かったのは、七海さんはキスをする時僕の二の腕や肘を掴むという事。

 「分かんない」を繰り返していたあの頃からこの癖はあって、慣れないキスに緊張して支えが欲しいのかと思っていたけれど、あれから何度となく交わしてきた今も癖は抜けない。

 薄く開いた唇から舌を覗かせた七海さんの誘惑に乗ろうとした僕の腿から、ノートパソコンがずり落ちそうになって慌てて受け止めた。


「おっと……」
「……あ、ごめん……っ」
「どうして謝るんですか」
「だ、だってパソコンが……、あっ! 誰か入ってき……」
「…………?」


 右手でパソコンの縁を持った僕の手元を見て、七海さんが瞳を見開いた。

 誰か入ってきた……?

 土日の休日は残業不可だから、社員ではなく警備員の方が入室したんだろうと、僕は特に気にも留めずに七海さんの視線を追う。

 けれど、僕の目に飛び込んできたのは警備員さんではなかった。




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