蓮と蜜

須藤慎弥

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〝家庭の事情〟

・①・

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 土日空けといて、かぁ……。

 これだけ聞くと、デートの約束みたいですごくいい響きだ。

 でも実際はお姉ちゃんの浮気調査だからまったく喜べないし、どちらかというと協力したくないとまで思ってしまう。

 お姉ちゃんはそんな人じゃないと信じてる僕と、証拠を手にしたい蓮くんの思いは違うところにあって、ただ共通するのは〝事実を知りたい〟という事。

 もし万が一、お姉ちゃんが蓮くんを裏切っていたとしたら……その先にあるものの想像をすると気が重いどころの話じゃない。

 大好きな人同士が仲違いするかもしれないのに、張り切って調査に向かうなんて出来ないよ。


「だからってお姉ちゃんに直接聞くわけにもいかないし……。はぁ……」


 教室の窓から初夏の澄んだ青空を眺めていると、溜め息ばかりが漏れる。授業はうわの空で、いつの間にか放課後になっていた。

 だってやっぱり、僕はお姉ちゃんの不義理が信じられない。信じたくない。

 僕らをあまり顧みなくなった両親に代わって、定時制高校に通いながらバイトを掛け持ちしてまで僕の学費や生活費の面倒を見てくれた、そんな頑張り屋さんなお姉ちゃんが他人を裏切るような事をするとは到底思えなくて。

 蓮くんがそう思った根拠って何だったんだろう。

 尾行する前に、蓮くんに詳しく話を聞いてみようか……って。


「聞けるわけないよ……」


 それは、お姉ちゃんに尋問するくらい難しい事だ。

 知り合ってからもう何年も経つのに、未だに緊張してまともに会話すら出来ない僕は、情けないけれどこのモヤモヤを溜め息で消化するしかない。

 今日は蓮くんが来ない日。

 いつもなら残念な気持ちで夕飯の買い物を済ませるんだけれど、昨日の今日でどういう顔をして食卓を囲めばいいか不安だったから少しだけ気が楽だ。


「あ……お父さんだ」


 そう思えたのも、昔ながらの丸いドアノブを回して玄関の扉を開けるまでだった。

 汚れたスニーカーが乱暴に脱ぎ捨てられてるのを見た僕の心拍数が、一気に上がってくのが分かる。

 出来れば顔を合わせたくなかったお父さんが、リビングの小さなソファにだらしなく寝そべっているのを見て、回れ右したくなった。


「よぉ蜜。遅かったじゃねぇか」
「か、帰ってたんだね」


 買い物袋がガサガサと音を立てて、それに気付いたお父さんから声をかけられると、条件反射ですぐに一歩下がってしまう。

 床に転がったお酒の缶を見て、ヤバイ、と思った時には遅かった。


「なんだよ、帰ってきちゃ悪いのか。俺の家だぞ」


 お父さんがゆらりと立ち上がる。

 一番出くわしちゃいけない時だった。

 酔っ払って目の据わったお父さんが一歩一歩近付いてくるごとに、危険を感じて僕も後退してはいたんだけれど……。


「そ、そんな事言ってな……っ」
「うるせぇ! 口答えするな!」
「……痛っ」


 パシンッ──。 

 左の頬を平手打ちされた僕は、持っていた買い物袋をドサッと床に落としてよろめいた。


「お前見てるとイライラすんだよ。さっさと晩飯作って部屋に行け」


 叩かれた頬がジンジンする。見おろしてくる視線は、とても息子を愛でるそれじゃない。

 これまで散々吐かれた「憎たらしい」の言葉通りの冷たい視線が、容赦なく僕を痛めつける。

 今日はすこぶる機嫌が悪い日らしい。

 僕を見つけた瞬間から、憂さ晴らしの相手が帰ってきたと思ったに違いないお父さんは、またゆらりとソファへと戻って行く。

 それを横目に、僕は何食わぬ顔で買い物袋から飛び出た食材を拾った。玄関で物音がしたからだ。


「ただいまー……って、お父さん帰ってたんだ」
「おう、花。おつかれー」
「お疲れじゃないわよ」


 ホワイトな会社から定時で帰ってきたお姉ちゃんは、何日ぶりかのお父さんを見つけるなり喧嘩腰だ。

 そんな言い方したらまた火に油を注いじゃうよ……と危ぶんだ矢先、案の定お父さんの眉間が険しくなる。


「お父さんに向かってなんだその口の利き方は」
「そういう事は、お父さんらしい事してから言ってくれる?」
「なんだと!?」


 僕にも分かるほど、お姉ちゃんの言葉に棘があった。

 機嫌が悪いお父さんの着火剤となるには充分で、今度はのっしのっしと短い距離を大股で歩いてくる。

 ダメだ。お父さんに倫理観なんて持ち合わせていないから、平気でお姉ちゃんにも手を上げる。


「お姉ちゃん!!」
「みっくん!」


 考えるよりも先に体が動いていた。

 僕はお姉ちゃんの前に立って、お父さんからの二発目の平手打ちを受けた。

 それに苛立ったお父さんが、グイッと僕の首元を掴んだ。大人の男の人の手のひらは想像以上に大きくて、簡単に僕を苦しませる事が出来る。

 痛いよりも、苦しい。

 息が出来ないほど喉元を押さえつけられて、初めて殺されるかもしれない恐怖を覚えた。


「くるし……っ、はな、して、お父さん……」
「お父さん! やめて、お父さん!」
「どいつもこいつも俺をコケにしやがって!」
「いいからみっくんを離しなさいよ!」


 顔を真っ赤にしたお姉ちゃんが、どうにかお父さんの暴行を止めようとしてくれている。

 されるがままの僕は息苦しさで何の抵抗も出来なくて、このまま堕ちたらお姉ちゃんに矛先が向いてしまうかもしれないから必死で意識を保っていた。

 酔っ払っているとはいえ、大人の男の力には敵わない。

 ただでさえ僕は華奢で非力。

 お姉ちゃんが叩かれるのは嫌だって、それだけを思いながら行動した。

 僕が高校に通えているのも、ごはんを毎日食べられるのも、着るものに困らないのも、全部お姉ちゃんのおかげだから。

 返せないほどの恩が、お姉ちゃんにはあるから……。


「俺はお父さんらしい事してるよなぁ?」
「は、い……っ、して、ます……」
「…………」


 お酒臭いお父さんの言葉に、僕は間髪入れずに答えた。

 それで気が済むなら、いくらでもウソを吐く。

 望んだ答えだったのか、ニヤッと笑ってリビングから消えたお父さんはまたどこかへ出掛けたみたいだ。

 ……良かった。

 お父さんの分の晩ごはん、準備しなくていいんだ。


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