蓮と蜜

須藤慎弥

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〝家庭の事情〟

・②・

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「──で? なんで蜜のほっぺたが真っ赤なわけ」


 重苦しい空気のなか晩ごはんを作っていると、来る予定じゃなかった蓮くんが血相を変えて家にやって来た。

 一目散に僕の顔をまじまじと見に来たところを見ると、お姉ちゃんが連絡したんだろう。

 突然の事にビックリする僕をよそに、蓮くんは二発叩かれて腫れた左の頬をそっと撫でてくれた。

 その目には心配と怒りが滲んでいて、しかも後者をお姉ちゃんにぶつけている。


「私が悪いのよ。顔見たらムカついて、つい言い返しちゃって……」
「話が通じる相手じゃねぇって分かってんだろうが! アイツが昔から蜜ばっか殴んのも!」
「分かってるわよ! みっくん……っ、ほんとにごめん……!」
「ごめんで済むか! 蜜のほっぺた見てみろ! てか待てよ、首……赤くね?」
「…………」


 お姉ちゃんは両手で顔を覆った。そして泣いてしまいそうな苦しげな声で「締めてた」とバカ正直に言ったもんだから、蓮くんの怒りは頂点に達した。


「アイツいっぺん殺す?」


 蓮くんの手のひらが、僕の首元をひたすら優しく撫でてくれる。言葉と行動がまるで合ってない。

 心配してくれるのはありがたいんだけれど、こんなに優しくされると僕の心拍数が急上昇して逆に危なかったりして……。


「蓮が言うと洒落になんないわ」
「それだけの事してんだろうが! 今まで蜜がどれだけ……っ」


 大きな手のひらが、首から頭に移動した。

 ぽんぽん、よしよし。ぽんぽん、よしよし。

 小さな子どもにでもなったみたいだ。

 恥ずかしくて照れくさくて、変わらない蓮くんの優しさを感じると、あと一発くらいだったら叩かれてもいいやと思ってしまう。

 いや、やっぱり叩かれたくない。痛いもん。


「蜜、親父帰ってきてるって分かった時点で、俺に連絡しなきゃダメだろ?」
「…………」


 そうだった。最近は全然お父さん帰ってこなかったから、忘れてた。

 お父さんの家庭内暴力も、ムカついたお姉ちゃんが突っかかって場が拗れるのも、今に始まった事じゃない。

 叩かれても吹っ飛ばなくなった頃から、決まってお酒が引き金のお父さんは容赦なく「憎たらしい」僕で鬱憤を晴らし始めた。

 お父さんとは血が繋がっていないし、存在そのものが気に食わないんだろうから、いつもその矛先は僕だ。

 ちなみにお姉ちゃんも、お父さんの子どもじゃない。そして僕とお姉ちゃんのお父さんはそれぞれ違う異父姉弟というやつ。


「蓮くん、お姉ちゃんは悪くないです。僕がいけないんです。先に火に油を注いだのは僕なので……」


 まず僕が先に顔を合わせて、お父さんの沸点が低い状態を作ったからいけなかった。

 お姉ちゃんは悪くない。

 だって、お父さんはお父さんらしい事なんて何一つしてくれてない。

 家族のためにたくさんの事を我慢したお姉ちゃんが、お父さんの言動にイライラしちゃう気持ちは痛いほどよく分かる。

 今にも涙が溢れそうな目で、申し訳なさそうに僕を見ないでほしい。

 たった二発叩かれて、ちょっと首を締められただけで終わったんだからむしろラッキーだ。

 一番ひどい時は投げ飛ばされて襖に穴が空いた。病院には行かなかったから分からないけれど、しばらく肋骨が痛かった。

 あの時に比べたら、どうってことない。

 お姉ちゃんが無傷で良かったよ。


「蜜、今日は俺ん家に泊まれ。いいな」
「え!? な、なん、……えっ!?」
「嫌よ。みっくん連れてかないで」
「花もダチんとこに泊まれ。また親父が帰ってくるかもしんねぇだろ」


 蓮くんはそう言いながら僕が握っていた包丁を奪い、まな板の上で転がっていた大根を手にすると、お姉ちゃんに視線を向けた。

 いやいや待ってよ。今日は家にいたら危険かもしれない、それは分かる。

 でもおかしくない? 蓮くん、僕とお姉ちゃんを言い間違えてる。


「あの……おかしいですよ。蓮くんのお家にはお姉ちゃんが行きます。僕は大丈夫ですから」
「何が大丈夫なんだよ」
「いやその……たぶん、大丈夫だと……」


 言い間違いを指摘したつもりが、ギロッと睨まれる羽目になった。

 心配のあまりキツい物言いになっちゃってる蓮くんに、答えを準備してなかった僕はしどろもどろだ。

 出来れば僕もお父さんとは鉢合わせしたくない。とは言っても、僕が蓮くんのお家に泊まるという意味がすぐには理解出来なかった。

 こんな事は初めてなんだ。


「本当ならずっと俺ん家にいろって言いたいんだぞ」
「……?」
「でももう限界。これ以上は無理。この家に居させらんねぇよ」
「……??」


 訳が分からない僕の頭の中は、クエスチョンマークで埋め尽くされた。

 蓮くんの目は真剣で、見つめ返せない僕はすぐに視線を逸らすんだけれど、それでもまだジッと怖いくらい見つめてくる。

 何が限界なのか、何が無理なのか、一生懸命頭を働かせてみても答えは出ない。

 当たり前だった。


「……蓮、だだ漏れ」
「自覚はある」


 黙って僕らを見ていたお姉ちゃんと蓮くんのやり取りさえ、意味不明なんだから。



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