公爵令嬢のため息

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序章

運命を定めた王子殿下の話

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 そして迎えた朝。

 人生の分岐点を前にして、ゆっくりと眠れるわけもなかった。
 朝も食事が喉を通らず、飲み物を少し胃に流した程度。
 別に王子との婚約が成立しなかったからと言って殺されたりするわけではない。けれど、この国の最高権力者にほど近い人物との邂逅は、ただでさえ前世で一般小市民だった私には非常にハードルが高いのだ。
 それに、エドガーやアルフレッドと違い、これから会う登場人物や攻略対象たちはエリザベートにとってもほぼ初対面。学園生活からスタートするゲームが悪役令嬢と攻略対象の幼少期を描いてくれている筈もなく、正解がわからないままに彼らと一から関係を築いていかなくてはならない。
 その初めてが最重要人物のアレクサンダー王子とは、本当についていない。うまくやれるだろうか。

 私の緊張はソフィアにも伝わっているのか、そわそわと普段より落ち着かない様子だ。
 よそ行きの中で一番上等なドレスを選び、時間をかけて髪を結いあげていく。装身具は年齢に見合うよう、ほんの少しだけ身につけた。仕上げにきらきら光る粒の入った香り水を一吹きして、ソフィアは鏡越しに私に目を合わせ力強く言う。

「お嬢様の魅力があれば、どんな男性も瞬殺ですわ!」

 緊張のポイントが私とは違ったようだ。

 王子が我が家に来るのはおおよそ午前11時くらいと聞いている。
 それまで私は母の部屋で、格好や立ち居振る舞いの最終チェックを受けた。社交慣れしている母は、娘の婚約者候補として王子が来る程度では動じた様子がない。

「いいこと、リジー。注意すべきことはあなたの身体がしっかり覚えているから、頭は失敗を恐れず振る舞うだけ。相手の目を見て、話を聞いて、目の奥からちゃんと笑うのよ」

 歌うように母が言う。

「あらもう、ガチガチじゃないの。王子程度で緊張する子じゃないでしょう。王子も所詮人の子よ。大丈夫だいじょうぶ」

 メンタルの太さが違う人間の励ましはまるで効果を発揮しない。けれど、楽しんですらいそうな母と一緒にいると、次第に少しずつ落ち着きを取り戻してきた。
 呼び鈴が鳴ると同時に、母の部屋の扉をノックする音が響く。
 にっこり笑って母が私の背中を押した。

「頑張ってらっしゃい、エリザベート」

 ◆

 ハウエルに応接室のドアを開いてもらい、落ち着いた風を装って入室する。
 室内には父を含めて5人の先客がいた。
 ぐるりと奥に回って長椅子の前に立ち客人と向かい合うと、その人物は立ち上がって礼をとった。

「ご機嫌よう、アレクサンダー王子殿下。ゴーシェナイト侯爵家が長女、エリザベート・サフィニア・フォン・ゴーシェナイトでございます。本日はご尊顔を拝する栄誉に与れましたこと、光栄の至りと存じますわ」

 微笑みながら口上を述べ、礼をする。
 相手もそれを受けて口を開いた。

「グランツェリオール国王が五子、アレクサンダー・シリウス・ディ・アクロアイトだ。本日は貴殿とお父上に内々の話があって参った。こうして場を設けて頂いたこと、深く感謝する」

 それぞれの挨拶が終わると、父をはじめ他の人間は退席した。
 扉のすぐ外に立っているうちの執事と王子の護衛以外は、近づく者もいない。

 エリザベートが王子に会うのは初めてだ。
 私はゲーム内で成長した王子の姿を見ているが、幼い姿は当然見たことがない。けれど、王立学校に入る年頃の彼とは、雰囲気が異なっていた。

 絹糸のように艶やかな鳶色の髪は変わらないが、将来アメジストのような色味を発する眼はまだ淡い色をしている。加えて大きく違うのは、彼の性格だろうか。
 ゲーム内では、初対面時は直情な傾向のある自信家といったキャラクターだったが、今の彼は取り巻きがいるわけでもなく、目に宿る光は鋭い。

「突然のことですまない」

 人払いが済んだことで、王子が改まった口調をやめた。
 話口調もなんだかゲーム時よりかなりそっけない気がする。幼少期と少年期でずいぶん性格が変っているようだ。
 そしてなんだか雲行きも怪しい。
 婚約者選びの件で来ているのに、いきなり2人きりだなんて想定外だ。何を話せばいいのかわからず、「とんでもございませんわ」と返した。

「別に敬語など使わなくてもいい。他に聞いている者はいないし、私も咎めたりはしない」

 淡々とアレクサンダーが続けるが、突然やってきた王子に敬語は使わなくていいなんて言われておいそれと外せるわけがない。話が盛り上がっているわけでもなし、だんだん間が持たない気がしてきた。

「いえ、そんな。恐れ多いことです」
「立場に縛られない本当の君が見たいんだ」

 絶対に思っていないだろうセリフを真顔で吐く王子。何が正しい選択なのかわからなくなってくる。

「……それでは、恐れながら普段の口調で失礼いたしますわ」

 根負けして口調をやや崩す。
 うなずいたアレクサンダーはそれからいくつか質問をしてきた。趣味は。交友関係は。どんな本を読むのか。今興味を持っていることは。何とか間を開けずに答え、失礼にならない程度に質問を返そうとするものの、そんないとまは与えられない。ほとんど一方通行、まるで尋問である。
 もしや私が敵国のスパイ疑惑をかけられているんじゃないかと錯覚するほどだ。彼は本当に婚約者候補に会いに来たのだろうか。

「では、どこか行ってみたいところは?」
「そうですね。お隣の、スクアテルファへは一度行ってみたいと思っています」

 王子が意外そうな顔をした。
 うちに来てずっと表情を変えなかった彼だが、何か変なことを言っただろうか。

「それはどうして?」
「我が家の領地から一番遠いゆえの好奇心もありますが……鉱物資源に恵まれた我が国と違って、かの国では農水産物が生活を支えていると聞いています。我が領地では、十数年に一度不作が訪れるのです。もしかすると、安定供給へ解決の糸口を得られるかもしれないと思いまして」

 グランツェリオールは東方を海に、のこり三方がそれぞれ別の国に隣接している。スクアテルファは北方の国で、他国の地理を簡単に学んだ際、気候や風土が日本に少し似ていると感じて印象に残っていた。

「どこで他国の産業を?」
「家庭教師ですわ。国内の産業やその経営を学ぶ際、よそと比較をした方がより理解できるかと思いまして、特別に本を取り寄せてもらいました」
「貴族令嬢が経営を?」

 私の返答にアレクサンダーは黙り込む。
 何か考え事をしているようだ。もしかして、今の返しで本当にスパイだと思われてしまったのだろうか。ゲーム本編にまるで関係のないところであわや独房生活かと私が冷や汗をかいていると、王子が再び口を開く。

「君には兄がいたと記憶しているが。領主になる可能性が低い以上、君が学ぶ必要はなかったのではないか」

 1つの質問に重ねて踏み込まれたのはここへ来て初めてだ。
 というか、物言いが直截すぎる。王子じゃなければ無礼討ちだぞと思いつつ、表面上は笑顔で言葉を返す。

「わたくしが貴族である以上、生涯を通してどこかの領民とその生活には責任をもつ必要がございますわ。わたくしが当事者とならずとも、身内の者がその任にあたるのならば、知っておかねば采配の是非も判断できませんもの」

 これはエリザベートも、私も繰り返し叩き込まれてきたことだ。
 私欲に溺れて愚行に走るものは貴族ではないと、法相である父ゆえだろうか、我が家の子供にはしっかりと刻み込まれている。

「それでは」

 王子が続ける。

「もし、貴女を娶った者が暗愚であり、忠言にも耳を貸さぬとすればどうする? あまつさえ、これ以上戯言を抜かすなら命はないと思えと脅すような愚か者ならば」

 少し改まった人称と言葉遣いに、真剣な光を宿す瞳。
 これはアレクサンダーにとって重要な問いなのだなと直感した。そんな大事に関わったことのない身からすると、その場になってみないと分からないというのが正直なところだが、これは慎重に答えなければならないだろう。
 少し置いて、自分なりの結論を出す。

「もちろん、その内容にもよりましょうが、それが領民や世間を脅かすような出来事であれば。そのときはわたくしの命を賭さなければならないでしょう。ですが」
「だが?なんだ」
「それが叶わなかった時、みすみすと処されるべきか、その場は逃げ延びて民と命運を共にすべきかは迷うところですわ」

 アレクサンダーは完全に意表を突かれた顔をする。
 答えはやはり一つに絞り切るべきだったか。答弁もできない馬鹿だと思われた? いやしかし、真剣に尋ねられたことに対して適当に嘘を並べるのは気が咎めるのだ。ええい、もうどうにでもなれ。

「エリザベート・サフィニア・フォン・ゴーシェナイト」
「はい」

 肩に力が入る。
 身構えた私を迎え撃ったのは、意外な言葉だった。

「貴女を我が妃とする。お父上にもそう伝えよう。婚約は近いうちに公表する」
「え?」

 間の抜けた声が出る。
 今の一連の尋問のどこに決め手があったのだろう。顔のいい少年に一対一で詰められて泣き出さないことが条件だったりしたのだろうか。それは置いておいても、王族の婚約は代々7歳と決まっている。アレクサンダーはまだ6歳。私は今日のことを婚約者を決めるイベントのさらに前準備くらいに捉えていたため、完全に想定外の流れだった。

 周囲もそれは同様だったようで、部屋を出て婚約を結ぶことを告げられた父や王子の付添人たちも一様に驚いた表情を見せている。

「殿下。婚約の儀は通常、御身が7つになられたときに行われるものだと記憶しておりました。昨日、通達頂いた時も使いからは顔合わせだと伺っておりますが」

 恐らく私と同様に、騙された気持ちが拭えないのであろう父がやんわりと尋ねても、王子は表情一つ変えず答えた。

「別に7歳と決まっているわけではない。先々代のご兄弟にも年少で婚約した例はある。娘御の相手が私では不足かな、ゴーシェナイト卿」

 そこまで言われては何も反論できず、もとより娘と王子の婚約に否やがあるわけもなく父はあっさり引き下がる。
 他に異を唱える人間もおらず、王子は「それではまた」と供を引き連れ帰って行った。一家総出で見送った後、驚く兄弟や何も言わない父、呆けたような私をよそに、母だけが楽しそうに「ほらね。大丈夫っていったでしょう」と笑っていた。



 帰りの馬車に、似た年恰好の少年が二人。二者の態度は正反対で、片や上機嫌の笑みを浮かべ、片やその様子を気味悪そうに眺めている。
 一人は先ほどゴーシェナイト公爵の娘と電撃婚約を決めたアレクサンダー王子。もう一人は、王子の従者として公爵邸に同行していた騎士団長の息子であるルートヴィヒ・サジタリウス・フォン・メルリナイトである。
 機嫌の良さが留まるところを知らないアレクサンダーに、ルートヴィヒは声を掛ける。

「なんであの令嬢だったんだ? 行く前はあれだけ嫌そうにしておいて」

 二人は乳母兄弟であり、生まれた時からの幼なじみだ。
 この国には、王宮に仕える高位の貴族の中で王族と同時期に子を産んだ女性が乳母となり、育ての親として学校に上がるまでの教育の一部を担う習慣がある。第5子であるアレクサンダーの乳母がルートヴィヒの母であったことから、二人は兄弟のように育てられた。
 成長につれて臣下としての立場を弁えたルートヴィヒだったが、二人きりのときだけは昔のようにというアレクサンダーたっての願いで、ぞんざいな口調も使う。

「話してみて当たりだったんだ。彼女となら結婚してもいい」

 片方の口角をあげて答えるアレクサンダーは、おそらく打算的な興味以外の感情をエリザベートに抱いていないのだろうな、とルートヴィヒは物思いに沈む。

 アレクサンダーは今、王の血を引く子供の中で最も王位に近いと言われている。
 兄2人姉2人の5番目に生まれた彼は、降嫁する予定の姉を除いても王位継承序列は3番目。普通に考えれば継承に近い人物ではない。しかし、長男が病弱であることと次男のあまりの傍若無人っぷりに、宮中でアレクサンダーを王に推す声が根強くあるのが実情だ。
 アレクサンダーはそつがない。教えられたことは問題なくこなし、覚えも早く、すでに式典でも役目を任されている。しかし、それがゆえに、大人びた――非常に冷めた子供に育っていた。彼の中で身内と判断されているのはおそらくルートヴィヒとその母親だけ。両親にすら気を許してはいない。そこは放置気味に子供を育てる王族の体質の問題もあるとルートヴィヒ自身は考えているが。

 アレクサンダーは女性が嫌いだ、というより馬鹿な女が嫌いなんだと本人はいつだか語っていた。
 王子たちの周囲では、すでにパイの奪い合いに積極的な貴族たちが勢力図を描いている。婚約者選びもその一環、長男次男の時にもそれぞれの取り巻きが水面下で争いを繰り広げたそうだ。そこに進んで巻き込まれに行く、自分の優雅な生活しか考えられない馬鹿娘が反吐が出るほど嫌いなんだ、と吐き捨てたアレクサンダーの番も間近に迫っている。そこで彼は策を講じた。
 自分にあてがわれる令嬢の候補が上がりきるまでは唯々諾々と貴族共の操り人形を演じ、出揃ったところで7歳の婚約者選びのパーティーを待たずに個別に突然訪問する。前日に通達を受けて十分な準備が出来る訳もなく、令嬢たちは彼の冷たい態度や質問責めにメッキを剥がされて涙の海に沈む――と。
 貴族共の思うがままになどならない、少なくとも馬鹿な女とだけは死んでも結婚しないというアレクサンダーの固い決意が見て取れる。気に入る女がいなければ、令嬢リストが全滅しても彼は是と言わなかっただろう。8人目のエリザベートに決まったのはむしろ早いと感じたほどだった。

「状況に適応する力はあったし、頭も悪くない。あとは――」

 曰く、化粧や宝石に興味がなさそうなところが気に入ったのだとか。
 どんな会話をしたんだよ、といつも護衛として同行するも別室での待機となるルートヴィヒは半目になった。まあ友人の口説き文句を知りたいわけではない。それにしても相手が中立派のゴーシェナイト公爵の娘でよかった、と公表後の騒ぎを考えながら馬車に揺られ城門をくぐった。
 それにしてもあの令嬢には気の毒だ、と思う。見たところ、人形のような見た目をしたいい育ちの令嬢としか思わなかったが。今後婚約者として公表されれば、様々な政治的局面に大いに巻き込まれるだろう。まだ5つ、社交界へのデビューも済ませていないと聞いた。

(そんなお嬢ちゃんが耐えられるのかね)

 アレクサンダーも案外幼女趣味だったんだな、まああいつの足を引っ張るようなことがなければいいか、と思ってそれきりルートヴィヒはエリザベートの存在を頭から消した。幼い頃からアレクサンダーと思考を共有してきた彼も大概、女性不信なのだった。
 アレクサンダーがエリザベートを選んだ理由が「ああいう女は逆境でもしぶとい」だったことを知って唖然とするのはもう少し先の話である。
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