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 気まずい沈黙が訪れたが、辺境伯の言葉を待つ。しかし、いつまで経っても返事が無くて困った。

「……後で、話をする。今は、食事を楽しもうか」

 やっと彼が口を開いた。彼の様子から察するに、恐らくはいい話ではない。聞きづらい事や、伝えにくい事が彼にもあるだろう。

 父の手紙は、マシユムールたちも邸内のあらゆる場所を探しているのに一向に見つからないと、シュメージュが言っていた。そのため、わたくしが証拠があると嘘を言ったのではないかと疑っている者も少なくない。
 わたくし自身も、自分がその場に居合わせて真実を知っているか、王家が作成した冤罪の証明がなければ、王家への反逆者である罪人など信じない。なので、彼らの気持ちは理解できる。

 現在、辺境伯やシュメージュ、わたくしと仲良くなった一部の侍女は、わたくしを早く追い出せと息巻いている人たちに大声で詰め寄られ板挟み状態なのだとか。

 本邸で、わたくしの立場はどうなっているのかを、シュメージュに訊ねてもはぐらかされてしまう。この事に関しては、ウールスタが様々な立場の人の話を聞いて調査をしたから間違いない。

 何はともあれ、彼が言うように楽しい食事中に話す内容ではない。折角の彼の心遣いに、目の前の料理に集中しようと思った。

「それにしても料理長が腕を振るった辺境の料理は、ぎゅっと旨味が凝縮していますのね。魔物の肉は独特の臭みや毒があるからか、王都ではほとんど出た事がありませんの。でも、こちらはそういった臭みなど全く無くて驚きました」
「ああ、それは……」

 辺境には王都ほどの流通がない。昔からこの地方は土地も痩せていて、魔の森での採取や狩猟を主にしているため、獲物の毒を中和するための処理を小さな子供でも出来るようになるという。
 
 感心して話を聞くわたくしの料理はハーフポーションにしている。片や、辺境伯はわたくしの倍以上の量を提供されているにも拘らず物足らなさそうだ。少し離れたバーベキュー会場は、すでに騎士たちが大勢来ているのか、楽しそうな笑い声がかすかにここまで聞こえていた。

 わたくしたちの話が聞こえないくらいの距離に待機している給仕係を呼び、彼にだけ先程焼いたお肉や包み焼きを追加するように伝える。給仕がすぐさま持ってきた途端、彼は相当お腹が空いているのか、嬉しそうに目を細めた。
 ほかほかのお肉や野菜、包み焼きがテーブルに並べられるなり、ぺろりと平らげたのを見て、大きな体に相応しい食欲にびっくりする。自分が作った料理を、辺境伯が美味しそうにたくさん食べてくれる姿を見て嬉しくなった。

 彼が、言葉を選びながらゆっくり話をしてくれる内容を聞き、わたくしが王都で座学で得た辺境の知識はほんのわずかだのだとつくづく思い知る。実際ここで暮らしている人々の、魔物と共存して生きている様子を知れば知るほど、辺境伯の、武力だけではない、領地を収めるための頭脳と手腕と人望に頭が上がらなくなった。

(荒地からこの領地に入った時、流通がそれほどないにも拘らず王都に勝るとも劣らない賑わいと、人々の活気ある笑顔を見たわ。彼は呪われていても、ずっと、辺境に住む人々の笑顔を守ってらっしゃったのね……)

 思った以上の彼の人柄にますます惹かれる。残念ながら、今は契約だけの彼の妻だけれど、もう少し打ち解けたらわたくしにも彼の手伝いをしたくなった。

(ダメよ。こんな考え、彼や辺境の人々に迷惑だわ。わたくしへの人々の気持ちが変わらないかぎり、夢のまた夢……。それに、これからは仕事をせず、のんびり自由気ままに過ごすと決めたじゃない)

 メインが終わり、スイーツが運ばれる。甘酸っぱい苺がふんだんに使われたムースは、もたれそうな胃をさっぱりさせた。

「王都のように物資がたくさん集まれば、わざわざ危険を冒してまで毒の入った魔物を食べる必要はないのだが……。魔の森に生息している魔物が、森からまれに出てくるんだ。この辺境に来るための道中にも、王都とは比べものにならない魔物が出現するために、危険だからなかなか外部からは人が来ない。だから、貴女がここに来る予定に合わせて、護衛を編成していたのだが、心配には及ばなかったようだね。貴女は、たった三人で、ここまで無事にたどり着けたのだから」

 わたくしが予定通り辺境の地に向かえば、多忙の中、騎士たちが迎えに来てくれたようだ。事情が事情だけに、そのような歓待をしてもらえるとは思っていなかったからびっくりした。

「まあ、重ね重ね申し訳ございません。実は、父達から辺境伯様の素晴らしいお話を聞いて、早くお会いしたくなり、居ても立っても居られなくなりましたの……。わたくしの身勝手なわがままで、こちらの予定を狂わせてしまいご迷惑をおかけ致しました事を謝罪致します」
「迷惑などと……。僕も、一日も早く会いたいと思っていたから、貴女が予定よりも早く来てくれたと聞いて嬉しかった」
「え?」

 耳から聞こえた擦れた声は、わたくしの願望が聞かせた幻聴だろうか。

 ヤーリ王子が彼に出した勅命には、わたくしがどれほどヤーリ王子に対して卑劣な事をしたのかを書かれていたらしい。

(彼は、勅命やマシユムールが調査した王都の噂で、わたくしが卑劣な悪女だと思っていたはず。なのに、楽しみにしてくれていたと言ったの? 嘘でしょう? でも、待って……。じゃあ、なんで会いたくないと仰ったのかしら?)

 短い時間だけれども、こうして彼と一緒に過ごすうちに、わたくしが考えているよりも嫌われていなさそうなのはなんとなく感じた。名ばかりの妻への、礼節を守るための社交辞令というよりは、好意的な彼の対応に、戸惑いつつも悦びで胸がいっぱいになる。その気持ちを、自意識過剰だと自戒して、ドキドキする胸に手を当てて呼吸を繰り返し冷静さを取り戻そうとした。

 見れば、頭巾の小さな四角の穴から見える青い瞳が、自分が何を言ったのか気付いたようで狼狽え始めた。

「あー、いや。その……。僕みたいなバケモノに、このような事を言われたら、折角の料理が台無しになるだろうね。さっき言った事は、どうか忘れて。シュメージュから、貴女は僕の見た目を気にせず、他の女性のように態度を変えるような事はないから一度会うようにと、毎日説得されていたのだ。半信半疑で、この場に来てみたのだが、彼女の言う通りだった。貴女が僕が治める辺境の地にいる以上、貴女も僕が守るべき大切な人だ。だから、少しでも幸せになれるよう、協力は惜しまない。こうして貴女と食事を取る事が出来て、とても楽しかった」

(わたくしは、彼が守るべき数多の領民の中のひとり……。そうよね、真面目な彼は、この地に住まう人として、わたくしの事を、これからも守り続けてくださるのだろう。わたくしったら、何を期待して……)

 わたくしは、紙切れ一枚でつながっただけの、特別でもなんでもない存在。そう言われたわたくしは、彼からテーブルに視線を落としたのであった。











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