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逆走のママチャリ。前後に小さな子供を乗せて
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鍵が、がちゃりと音を立てた。きっと母か短詩がカギを開けてくれたのだろう。もう一回鳴れば、玄関が開く。私はドアノブを握って、開けてくれるのを待った。
「お母さん、このままじゃ清玖は本当にダメになる。こういう子には、こうするのが一番いいって聞いたんだ」
「そんな乱暴な。一体、そんな馬鹿なことを誰に聞いたんですか。清玖になにかあったらどうするんです!」
「変な場所にさえ行かなければ、ここら辺は治安がいいし、まず大丈夫だ。清玖は、きっと立ち直る。あの子は、絶対に出来る子なんだ。だから、それまで待ってやろう」
「この家でもいいじゃないですか!」
「ダメだ。この家だと、また部屋にこもってゲームざんまいになる……このままじゃ、清玖が本当にダメになる。清玖だけじゃない、俺もお前も、短詩も終わりなんだよ」
玄関の扉一枚の向こうで、母が泣いて父に嘆願している。父の声も震えていた。
ああ、玄関は私のためにはもう開かないんだ。
私は、街灯で照らされた真っ暗な市街地をとぼとぼと歩きだした。これからどうしよう。ゲームをしていたから、楽な高校の体操服を着ている。ポケットはあるものの、一万円札30枚をそこに仕舞うことなく手に持ったまま歩いた。
裸足のままだから、アスファルトの上に乱雑に転がっている小石がささるけど、あまり痛みを感じない。
頬が濡れて気持ち悪くて、体操服の袖でそれをぬぐった。ゴムで波がつくられた袖でごしごししたから、ほっぺたが赤くなったと思う。
「おねーちゃん! お姉ちゃんったら!」
家からどのくらい離れただろう。たくさん歩いたような気がしたのに、短詩の声で振り向くと、まだ視界の向こうに家があった。
「短詩……」
一瞬、あれからなんだかんだあって、迎えに来てくれたのかと思った。でも、短詩の表情はそれを否定している。
「ほら、スマホ。せめて、これくらいはないとね。あと、お金くらいポケットにしまったら? お父さんに、お母さんがいくら頼んでも、ちゃんと自立するまではお姉ちゃんは家に入れないってさ。30万も貰ったんだから、スマホがあるし、なんとかなるでしょ?」
「……」
「ほんっと、お父さんも甘いよね」
「……」
「頭がいいからって、お姉ちゃんは中学からお金のかかる進学校だったし。授業料だけ無料ったって、寄付金に後援会費、施設設備代に高額の修学旅行費。それに交通費だって。国公立大学だって、奨学生じゃなかったら結構いったんでしょ。総額いくらなんだか。私とは大違い」
「あ、あんたは、私が出て行ってせいせいしたんでしょ?」
「そぉーんなことないよぉ? お姉ちゃんが犯罪に巻き込まれたり、よからぬ人たちと関係をもったり、ホスト狂いになって借金まみれになったら、私にもとばっちりがくるかもだし。社会人になって、せめてその額くらいは返すのかなって思ってたのにさ。なによ、その目は。お姉ちゃんは、私よりもずっと贔屓されてた。頭が悪い私を馬鹿にしていたし」
せめてスマホを持ってきてくれたのはありがたかったけど、やっぱりというか短詩は私を心配して追いかけてきてくれたわけじゃないのがわかった。結局、自分自身に悪いことが降りかかるのが嫌なだけ。
私は、短詩の言葉に、やっと沈み切って頑丈な箱に閉じ込められていた心が働きだした。そうだ。完全に見放されたわけじゃない。お父さんは、自立すれば帰って来ていいと言ってくれたじゃないか。
愛されてぬるま湯の中で甘やかされてきた私の今のずたぼろの姿を見て、短詩がにやにやしている。迷惑をかけるなと言いつつ、本心では私が底辺で暮らすことを望んでいるのが顔におもいっきり書かれていた。
「馬鹿になんかしていない。……スマホ、ありがと」
「ほんとかなぁ? ま、がんばって」
なんとなく、顔を見合わせる。短詩が家に帰ろうと足を踏み出した瞬間、その横を、ママチャリが至近距離でものすごい勢いでやってきた。
慌てて短詩をこっちに引き寄せる。
「危ないな、もう!」
ママチャリのママさんから、怒鳴られた。ふたりともぽかーんとなって、即時に言い返せない。
「どっちが危ないのよ。短詩、ケガしなかった? もう一歩踏み出していたら当たってたね」
「うん、助けてくれたおかげで大丈夫。逆走のママチャリ。前後に小さな子供を乗せてとかないわー。マジ、ああいうのはやめて欲しいよね」
「しかも、一時停止せず、交差点入っていったね」
「あんなの、いつか事故るよ。相手が気の毒」
ふたりとも、心臓がどきどきしている。さっきまでの言い争いなどなかったように、ほっと安堵のため息を吐いた。
短詩とは、いつも言い合っていたわけじゃないし、こうして助け合いもしたことだってある。お互いに罰が悪くて、ひきつった笑いが出た。
その時、キキーというブレーキ音と、がちゃん、ごんっ、っといった何とも言えないすさまじい音が鳴った。
何事?! と考える暇もない。ただ、さっき通り抜けた、今時の電動ママチャリが、私たちのほうに飛んできたのが、視界いっぱいに広がる。
「……っ!」
「……っ!」
人間、本当にびっくりした時は、声なんてでないんだなあなんて、変なことを思ったような思わなかったような。そこから先は記憶がない。
次に目が覚めると、明るい部屋で若い外国人の男女にあやされていたのだった。
「お母さん、このままじゃ清玖は本当にダメになる。こういう子には、こうするのが一番いいって聞いたんだ」
「そんな乱暴な。一体、そんな馬鹿なことを誰に聞いたんですか。清玖になにかあったらどうするんです!」
「変な場所にさえ行かなければ、ここら辺は治安がいいし、まず大丈夫だ。清玖は、きっと立ち直る。あの子は、絶対に出来る子なんだ。だから、それまで待ってやろう」
「この家でもいいじゃないですか!」
「ダメだ。この家だと、また部屋にこもってゲームざんまいになる……このままじゃ、清玖が本当にダメになる。清玖だけじゃない、俺もお前も、短詩も終わりなんだよ」
玄関の扉一枚の向こうで、母が泣いて父に嘆願している。父の声も震えていた。
ああ、玄関は私のためにはもう開かないんだ。
私は、街灯で照らされた真っ暗な市街地をとぼとぼと歩きだした。これからどうしよう。ゲームをしていたから、楽な高校の体操服を着ている。ポケットはあるものの、一万円札30枚をそこに仕舞うことなく手に持ったまま歩いた。
裸足のままだから、アスファルトの上に乱雑に転がっている小石がささるけど、あまり痛みを感じない。
頬が濡れて気持ち悪くて、体操服の袖でそれをぬぐった。ゴムで波がつくられた袖でごしごししたから、ほっぺたが赤くなったと思う。
「おねーちゃん! お姉ちゃんったら!」
家からどのくらい離れただろう。たくさん歩いたような気がしたのに、短詩の声で振り向くと、まだ視界の向こうに家があった。
「短詩……」
一瞬、あれからなんだかんだあって、迎えに来てくれたのかと思った。でも、短詩の表情はそれを否定している。
「ほら、スマホ。せめて、これくらいはないとね。あと、お金くらいポケットにしまったら? お父さんに、お母さんがいくら頼んでも、ちゃんと自立するまではお姉ちゃんは家に入れないってさ。30万も貰ったんだから、スマホがあるし、なんとかなるでしょ?」
「……」
「ほんっと、お父さんも甘いよね」
「……」
「頭がいいからって、お姉ちゃんは中学からお金のかかる進学校だったし。授業料だけ無料ったって、寄付金に後援会費、施設設備代に高額の修学旅行費。それに交通費だって。国公立大学だって、奨学生じゃなかったら結構いったんでしょ。総額いくらなんだか。私とは大違い」
「あ、あんたは、私が出て行ってせいせいしたんでしょ?」
「そぉーんなことないよぉ? お姉ちゃんが犯罪に巻き込まれたり、よからぬ人たちと関係をもったり、ホスト狂いになって借金まみれになったら、私にもとばっちりがくるかもだし。社会人になって、せめてその額くらいは返すのかなって思ってたのにさ。なによ、その目は。お姉ちゃんは、私よりもずっと贔屓されてた。頭が悪い私を馬鹿にしていたし」
せめてスマホを持ってきてくれたのはありがたかったけど、やっぱりというか短詩は私を心配して追いかけてきてくれたわけじゃないのがわかった。結局、自分自身に悪いことが降りかかるのが嫌なだけ。
私は、短詩の言葉に、やっと沈み切って頑丈な箱に閉じ込められていた心が働きだした。そうだ。完全に見放されたわけじゃない。お父さんは、自立すれば帰って来ていいと言ってくれたじゃないか。
愛されてぬるま湯の中で甘やかされてきた私の今のずたぼろの姿を見て、短詩がにやにやしている。迷惑をかけるなと言いつつ、本心では私が底辺で暮らすことを望んでいるのが顔におもいっきり書かれていた。
「馬鹿になんかしていない。……スマホ、ありがと」
「ほんとかなぁ? ま、がんばって」
なんとなく、顔を見合わせる。短詩が家に帰ろうと足を踏み出した瞬間、その横を、ママチャリが至近距離でものすごい勢いでやってきた。
慌てて短詩をこっちに引き寄せる。
「危ないな、もう!」
ママチャリのママさんから、怒鳴られた。ふたりともぽかーんとなって、即時に言い返せない。
「どっちが危ないのよ。短詩、ケガしなかった? もう一歩踏み出していたら当たってたね」
「うん、助けてくれたおかげで大丈夫。逆走のママチャリ。前後に小さな子供を乗せてとかないわー。マジ、ああいうのはやめて欲しいよね」
「しかも、一時停止せず、交差点入っていったね」
「あんなの、いつか事故るよ。相手が気の毒」
ふたりとも、心臓がどきどきしている。さっきまでの言い争いなどなかったように、ほっと安堵のため息を吐いた。
短詩とは、いつも言い合っていたわけじゃないし、こうして助け合いもしたことだってある。お互いに罰が悪くて、ひきつった笑いが出た。
その時、キキーというブレーキ音と、がちゃん、ごんっ、っといった何とも言えないすさまじい音が鳴った。
何事?! と考える暇もない。ただ、さっき通り抜けた、今時の電動ママチャリが、私たちのほうに飛んできたのが、視界いっぱいに広がる。
「……っ!」
「……っ!」
人間、本当にびっくりした時は、声なんてでないんだなあなんて、変なことを思ったような思わなかったような。そこから先は記憶がない。
次に目が覚めると、明るい部屋で若い外国人の男女にあやされていたのだった。
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