6 / 23
逆走のママチャリ。前後に小さな子供を乗せて
しおりを挟む
鍵が、がちゃりと音を立てた。きっと母か短詩がカギを開けてくれたのだろう。もう一回鳴れば、玄関が開く。私はドアノブを握って、開けてくれるのを待った。
「お母さん、このままじゃ清玖は本当にダメになる。こういう子には、こうするのが一番いいって聞いたんだ」
「そんな乱暴な。一体、そんな馬鹿なことを誰に聞いたんですか。清玖になにかあったらどうするんです!」
「変な場所にさえ行かなければ、ここら辺は治安がいいし、まず大丈夫だ。清玖は、きっと立ち直る。あの子は、絶対に出来る子なんだ。だから、それまで待ってやろう」
「この家でもいいじゃないですか!」
「ダメだ。この家だと、また部屋にこもってゲームざんまいになる……このままじゃ、清玖が本当にダメになる。清玖だけじゃない、俺もお前も、短詩も終わりなんだよ」
玄関の扉一枚の向こうで、母が泣いて父に嘆願している。父の声も震えていた。
ああ、玄関は私のためにはもう開かないんだ。
私は、街灯で照らされた真っ暗な市街地をとぼとぼと歩きだした。これからどうしよう。ゲームをしていたから、楽な高校の体操服を着ている。ポケットはあるものの、一万円札30枚をそこに仕舞うことなく手に持ったまま歩いた。
裸足のままだから、アスファルトの上に乱雑に転がっている小石がささるけど、あまり痛みを感じない。
頬が濡れて気持ち悪くて、体操服の袖でそれをぬぐった。ゴムで波がつくられた袖でごしごししたから、ほっぺたが赤くなったと思う。
「おねーちゃん! お姉ちゃんったら!」
家からどのくらい離れただろう。たくさん歩いたような気がしたのに、短詩の声で振り向くと、まだ視界の向こうに家があった。
「短詩……」
一瞬、あれからなんだかんだあって、迎えに来てくれたのかと思った。でも、短詩の表情はそれを否定している。
「ほら、スマホ。せめて、これくらいはないとね。あと、お金くらいポケットにしまったら? お父さんに、お母さんがいくら頼んでも、ちゃんと自立するまではお姉ちゃんは家に入れないってさ。30万も貰ったんだから、スマホがあるし、なんとかなるでしょ?」
「……」
「ほんっと、お父さんも甘いよね」
「……」
「頭がいいからって、お姉ちゃんは中学からお金のかかる進学校だったし。授業料だけ無料ったって、寄付金に後援会費、施設設備代に高額の修学旅行費。それに交通費だって。国公立大学だって、奨学生じゃなかったら結構いったんでしょ。総額いくらなんだか。私とは大違い」
「あ、あんたは、私が出て行ってせいせいしたんでしょ?」
「そぉーんなことないよぉ? お姉ちゃんが犯罪に巻き込まれたり、よからぬ人たちと関係をもったり、ホスト狂いになって借金まみれになったら、私にもとばっちりがくるかもだし。社会人になって、せめてその額くらいは返すのかなって思ってたのにさ。なによ、その目は。お姉ちゃんは、私よりもずっと贔屓されてた。頭が悪い私を馬鹿にしていたし」
せめてスマホを持ってきてくれたのはありがたかったけど、やっぱりというか短詩は私を心配して追いかけてきてくれたわけじゃないのがわかった。結局、自分自身に悪いことが降りかかるのが嫌なだけ。
私は、短詩の言葉に、やっと沈み切って頑丈な箱に閉じ込められていた心が働きだした。そうだ。完全に見放されたわけじゃない。お父さんは、自立すれば帰って来ていいと言ってくれたじゃないか。
愛されてぬるま湯の中で甘やかされてきた私の今のずたぼろの姿を見て、短詩がにやにやしている。迷惑をかけるなと言いつつ、本心では私が底辺で暮らすことを望んでいるのが顔におもいっきり書かれていた。
「馬鹿になんかしていない。……スマホ、ありがと」
「ほんとかなぁ? ま、がんばって」
なんとなく、顔を見合わせる。短詩が家に帰ろうと足を踏み出した瞬間、その横を、ママチャリが至近距離でものすごい勢いでやってきた。
慌てて短詩をこっちに引き寄せる。
「危ないな、もう!」
ママチャリのママさんから、怒鳴られた。ふたりともぽかーんとなって、即時に言い返せない。
「どっちが危ないのよ。短詩、ケガしなかった? もう一歩踏み出していたら当たってたね」
「うん、助けてくれたおかげで大丈夫。逆走のママチャリ。前後に小さな子供を乗せてとかないわー。マジ、ああいうのはやめて欲しいよね」
「しかも、一時停止せず、交差点入っていったね」
「あんなの、いつか事故るよ。相手が気の毒」
ふたりとも、心臓がどきどきしている。さっきまでの言い争いなどなかったように、ほっと安堵のため息を吐いた。
短詩とは、いつも言い合っていたわけじゃないし、こうして助け合いもしたことだってある。お互いに罰が悪くて、ひきつった笑いが出た。
その時、キキーというブレーキ音と、がちゃん、ごんっ、っといった何とも言えないすさまじい音が鳴った。
何事?! と考える暇もない。ただ、さっき通り抜けた、今時の電動ママチャリが、私たちのほうに飛んできたのが、視界いっぱいに広がる。
「……っ!」
「……っ!」
人間、本当にびっくりした時は、声なんてでないんだなあなんて、変なことを思ったような思わなかったような。そこから先は記憶がない。
次に目が覚めると、明るい部屋で若い外国人の男女にあやされていたのだった。
「お母さん、このままじゃ清玖は本当にダメになる。こういう子には、こうするのが一番いいって聞いたんだ」
「そんな乱暴な。一体、そんな馬鹿なことを誰に聞いたんですか。清玖になにかあったらどうするんです!」
「変な場所にさえ行かなければ、ここら辺は治安がいいし、まず大丈夫だ。清玖は、きっと立ち直る。あの子は、絶対に出来る子なんだ。だから、それまで待ってやろう」
「この家でもいいじゃないですか!」
「ダメだ。この家だと、また部屋にこもってゲームざんまいになる……このままじゃ、清玖が本当にダメになる。清玖だけじゃない、俺もお前も、短詩も終わりなんだよ」
玄関の扉一枚の向こうで、母が泣いて父に嘆願している。父の声も震えていた。
ああ、玄関は私のためにはもう開かないんだ。
私は、街灯で照らされた真っ暗な市街地をとぼとぼと歩きだした。これからどうしよう。ゲームをしていたから、楽な高校の体操服を着ている。ポケットはあるものの、一万円札30枚をそこに仕舞うことなく手に持ったまま歩いた。
裸足のままだから、アスファルトの上に乱雑に転がっている小石がささるけど、あまり痛みを感じない。
頬が濡れて気持ち悪くて、体操服の袖でそれをぬぐった。ゴムで波がつくられた袖でごしごししたから、ほっぺたが赤くなったと思う。
「おねーちゃん! お姉ちゃんったら!」
家からどのくらい離れただろう。たくさん歩いたような気がしたのに、短詩の声で振り向くと、まだ視界の向こうに家があった。
「短詩……」
一瞬、あれからなんだかんだあって、迎えに来てくれたのかと思った。でも、短詩の表情はそれを否定している。
「ほら、スマホ。せめて、これくらいはないとね。あと、お金くらいポケットにしまったら? お父さんに、お母さんがいくら頼んでも、ちゃんと自立するまではお姉ちゃんは家に入れないってさ。30万も貰ったんだから、スマホがあるし、なんとかなるでしょ?」
「……」
「ほんっと、お父さんも甘いよね」
「……」
「頭がいいからって、お姉ちゃんは中学からお金のかかる進学校だったし。授業料だけ無料ったって、寄付金に後援会費、施設設備代に高額の修学旅行費。それに交通費だって。国公立大学だって、奨学生じゃなかったら結構いったんでしょ。総額いくらなんだか。私とは大違い」
「あ、あんたは、私が出て行ってせいせいしたんでしょ?」
「そぉーんなことないよぉ? お姉ちゃんが犯罪に巻き込まれたり、よからぬ人たちと関係をもったり、ホスト狂いになって借金まみれになったら、私にもとばっちりがくるかもだし。社会人になって、せめてその額くらいは返すのかなって思ってたのにさ。なによ、その目は。お姉ちゃんは、私よりもずっと贔屓されてた。頭が悪い私を馬鹿にしていたし」
せめてスマホを持ってきてくれたのはありがたかったけど、やっぱりというか短詩は私を心配して追いかけてきてくれたわけじゃないのがわかった。結局、自分自身に悪いことが降りかかるのが嫌なだけ。
私は、短詩の言葉に、やっと沈み切って頑丈な箱に閉じ込められていた心が働きだした。そうだ。完全に見放されたわけじゃない。お父さんは、自立すれば帰って来ていいと言ってくれたじゃないか。
愛されてぬるま湯の中で甘やかされてきた私の今のずたぼろの姿を見て、短詩がにやにやしている。迷惑をかけるなと言いつつ、本心では私が底辺で暮らすことを望んでいるのが顔におもいっきり書かれていた。
「馬鹿になんかしていない。……スマホ、ありがと」
「ほんとかなぁ? ま、がんばって」
なんとなく、顔を見合わせる。短詩が家に帰ろうと足を踏み出した瞬間、その横を、ママチャリが至近距離でものすごい勢いでやってきた。
慌てて短詩をこっちに引き寄せる。
「危ないな、もう!」
ママチャリのママさんから、怒鳴られた。ふたりともぽかーんとなって、即時に言い返せない。
「どっちが危ないのよ。短詩、ケガしなかった? もう一歩踏み出していたら当たってたね」
「うん、助けてくれたおかげで大丈夫。逆走のママチャリ。前後に小さな子供を乗せてとかないわー。マジ、ああいうのはやめて欲しいよね」
「しかも、一時停止せず、交差点入っていったね」
「あんなの、いつか事故るよ。相手が気の毒」
ふたりとも、心臓がどきどきしている。さっきまでの言い争いなどなかったように、ほっと安堵のため息を吐いた。
短詩とは、いつも言い合っていたわけじゃないし、こうして助け合いもしたことだってある。お互いに罰が悪くて、ひきつった笑いが出た。
その時、キキーというブレーキ音と、がちゃん、ごんっ、っといった何とも言えないすさまじい音が鳴った。
何事?! と考える暇もない。ただ、さっき通り抜けた、今時の電動ママチャリが、私たちのほうに飛んできたのが、視界いっぱいに広がる。
「……っ!」
「……っ!」
人間、本当にびっくりした時は、声なんてでないんだなあなんて、変なことを思ったような思わなかったような。そこから先は記憶がない。
次に目が覚めると、明るい部屋で若い外国人の男女にあやされていたのだった。
103
あなたにおすすめの小説
【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)
かのん
恋愛
気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。
わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・
これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。
あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ!
本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。
完結しておりますので、安心してお読みください。
【完結】異世界召喚 (聖女)じゃない方でしたがなぜか溺愛されてます
七夜かなた
恋愛
仕事中に突然異世界に転移された、向先唯奈 29歳
どうやら聖女召喚に巻き込まれたらしい。
一緒に召喚されたのはお金持ち女子校の美少女、財前麗。当然誰もが彼女を聖女と認定する。
聖女じゃない方だと認定されたが、国として責任は取ると言われ、取り敢えず王族の家に居候して面倒見てもらうことになった。
居候先はアドルファス・レインズフォードの邸宅。
左顔面に大きな傷跡を持ち、片脚を少し引きずっている。
かつて優秀な騎士だった彼は魔獣討伐の折にその傷を負ったということだった。
今は現役を退き王立学園の教授を勤めているという。
彼の元で帰れる日が来ることを願い日々を過ごすことになった。
怪我のせいで今は女性から嫌厭されているが、元は女性との付き合いも派手な伊達男だったらしいアドルファスから恋人にならないかと迫られて
ムーライトノベルでも先行掲載しています。
前半はあまりイチャイチャはありません。
イラストは青ちょびれさんに依頼しました
118話完結です。
ムーライトノベル、ベリーズカフェでも掲載しています。
「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」
透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。
そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。
最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。
仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕!
---
いなくなった伯爵令嬢の代わりとして育てられました。本物が見つかって今度は彼女の婚約者だった辺境伯様に嫁ぎます。
りつ
恋愛
~身代わり令嬢は強面辺境伯に溺愛される~
行方不明になった伯爵家の娘によく似ていると孤児院から引き取られたマリア。孤独を抱えながら必死に伯爵夫妻の望む子どもを演じる。数年後、ようやく伯爵家での暮らしにも慣れてきた矢先、夫妻の本当の娘であるヒルデが見つかる。自分とは違う天真爛漫な性格をしたヒルデはあっという間に伯爵家に馴染み、マリアの婚約者もヒルデに惹かれてしまう……。
完璧(変態)王子は悪役(天然)令嬢を今日も愛でたい
咲桜りおな
恋愛
オルプルート王国第一王子アルスト殿下の婚約者である公爵令嬢のティアナ・ローゼンは、自分の事を何故か初対面から溺愛してくる殿下が苦手。
見た目は完璧な美少年王子様なのに匂いをクンカクンカ嗅がれたり、ティアナの使用済み食器を欲しがったりと何だか変態ちっく!
殿下を好きだというピンク髪の男爵令嬢から恋のキューピッド役を頼まれてしまい、自分も殿下をお慕いしていたと気付くが時既に遅し。不本意ながらも婚約破棄を目指す事となってしまう。
※糖度甘め。イチャコラしております。
第一章は完結しております。只今第二章を更新中。
本作のスピンオフ作品「モブ令嬢はシスコン騎士様にロックオンされたようです~妹が悪役令嬢なんて困ります~」も公開しています。宜しければご一緒にどうぞ。
本作とスピンオフ作品の番外編集も別にUPしてます。
「小説家になろう」でも公開しています。
【完結】転生したら悪役継母でした
入魚ひえん@発売中◆巻き戻り冤罪令嬢◆
恋愛
聖女を優先する夫に避けられていたアルージュ。
その夜、夫が初めて寝室にやってきて命じたのは「聖女の隠し子を匿え」という理不尽なものだった。
しかも隠し子は、夫と同じ髪の色。
絶望するアルージュはよろめいて鏡にぶつかり、前世に読んだウェブ小説の悪妻に転生していることを思い出す。
記憶を取り戻すと、七年間も苦しんだ夫への愛は綺麗さっぱり消えた。
夫に奪われていたもの、不正の事実を着々と精算していく。
◆愛されない悪妻が前世を思い出して転身したら、可愛い継子や最強の旦那様ができて、転生前の知識でスイーツやグルメ、家電を再現していく、異世界転生ファンタジー!◆
*旧題:転生したら悪妻でした
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております
紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。
二年後にはリリスと交代しなければならない。
そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。
普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる