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憂いの美女と恐怖の野獣⑤
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話には聞いていた。噂も耳に沢山入って来ていた。二人の仲睦まじさは王都一ともてはやされていたではないか。実際に彼らの距離や抱擁を見るまでは、それは単なる噂でしかなかった。
だが、こうして目から心に焼き付いてしまった光景は、サヴァイヴの何かをぼろぼろと崩してしまう。
逸らせたくとも逸らせない己の視線。幸い二人はこちらに気付いていない。今のうちにそっとここから立ち去るべきなのは分かっている。だが、首を曲げる事も出来ず、足もテラスの床にへばりついたかのように動かない。
雪がしんしんと降る。徐々に頭や肩に積もっていくそれを払いのける事もせず、曇った空の下、冷え込む気温のせいだけではない体の奥底からの底冷えで氷ついたかのようだった。
──ヴィー、俺のヴィー……。俺の女に触るな……。そこは俺の場所だ……! 今すぐ離れろ! 八つ裂きにしてやる!
頬を染めて、うっとりと王子のなすがまま吐息を絡ませるのは誰だ……。
──嫌だ、ヴィー……。俺はここだ。奴をそんな風に見るな……! 知らない……、俺は、あんな……
一度離れた彼らの影が再び重なる。
──ヴィー……、俺の……、ヴィー……。ほんとうに、もう、他の男の……
普段は、王子の妃になる彼女の立場、抗えない現状に諦めるように自らの心に言い聞かせて考えないようにしていた。数人の令嬢と会っても、サヴァイヴの心どころか魂にこびりついた彼女の影をどうする事もできなかった。
握りしめた手のひらから、皮膚の皺を伝い、赤がぽたりと床に落ちていく。
やがて二人は幸せそうに視線を絡み合わせると、王子が優しく彼女の髪に唇を落として、二人は会場内へ戻っていった。
目の前で起こった光景が信じられず、かといって、深く彼の心を切り裂いた彼らの様子に打ちのめされた。
いつまで経っても戻ってこないと心配したクロヴィスが迎えにくるまで、テラスで一人立ちすくんでいたのであった。
※※※※
流石に風邪をひいて高熱を出してしまった。
「……ぼっちゃん、小さい頃からひいた事がないのに……。なんだってあんな寒い中テラスにいたんです……」
「……。人だらけの会場が熱くて体を冷やしていただけだ」
今まで熱は多少出したとしてもけろりと元気を取り戻す彼氏しか知らなかったクロヴィスは、サヴァイヴの初めて見せた失態ともいえるべきこの状況にあきれつつも、恐らくは王子とその婚約者の二人の仲の良さを目の当たりにでもしたのかと確信していた。
手のひらには、彼自身の爪の跡も抉れたような傷があり、化膿しないように処置をする。大事な剣を持つほうが傷が深いようだ。恐らくは力いっぱい握りしめでもしていたのだろう。
小言も言わず、3日ほど体も心も弱ってしまったかのように見えた、まだ少年ともいえる彼にかいがいしく世話をしつつ、敢えて何も聞かずに、あの日のパーティーの事も口に出さずにいたのであった。
快復してから、時折ぼんやりするものの、平常通りに戻ったかのように見える彼は、相変わらず騎士科の少年たちに稽古をつけている。
あの祝賀パーティーでの、王子の催した新しい試みである、クジによる男女ペアのダンスのおかげで、ちらほら恋人になり、照れながらも幸せそうに差し入れをもらう少年たちの姿が見られるようになった。
「ちっ、あいつらうまい事やったよなあ」
「一応、家柄などを考慮してクジを渡していたらしいから、ほどなく婚約したりするんじゃないか?」
「いいよなあ……。俺なんか、楽しいひと時が会場で終わった途端、女の子は人気の野郎の所に行ったんだぜ」
「ははは、そりゃあ、俺たちみたいなもんには令嬢たちはなあ……」
「……、まあ、いいじゃねえか! 来年も王子がいる限りあの催し物はしてくれるんだろ? 今年はダメでも来年こそは……!」
「来年もダメならどうすんだよ」
「それは……」
「言うな……」
「夢くらい見させろよ……」
サヴァイヴは、そういった話題には一切加わらなかった。自分の、自分自身が起こした取り返しのつかない過去は、未だに彼を苦しめ縛る鎖が何重にも巻かれているようだった。
だが、以前お見合いをして泣かせた、なんとかいう子爵の次女は、クジでダンスをした少年と婚約したらしい。とても幸せそうで、少々バツの悪い過去の記憶が温かくなりほっとする。
ひょっとしたら、そういう事情が何かしらあり見合いなどが上手く行かなかったりする少年少女たちの救済のために王子たちが動いたのではないかと考えた。
少年たちにとって、やはりサヴァイヴは、辺境伯の後継者であり社交界での辺境の立場もあまり知らない末端の貴族も多い。
彼は卒業後、とっても美人か可愛い妻を娶る事が決まっているだろうと思い、自分たち恋人すらいない人種とは違うのだと思って恋の話で盛り上がっていたのである。
一方クロヴィスは、令嬢たちについて来た侍女たちにモテにモテていた。しかし、学園の関係者に手を出す事はない。余暇がある時など、許される範囲で街に出かけ酒場の女や娼館に行くことはあったが。
クロヴィスなりに、そろそろほとぼりがさめたかと思い女遊びに誘っても、全く興味を持たず、いつまでも初恋を引きずっているサヴァイヴに呆れつつも根気よく付き合い、見合いなどを強いる事がなくなっていたのである。
だが、こうして目から心に焼き付いてしまった光景は、サヴァイヴの何かをぼろぼろと崩してしまう。
逸らせたくとも逸らせない己の視線。幸い二人はこちらに気付いていない。今のうちにそっとここから立ち去るべきなのは分かっている。だが、首を曲げる事も出来ず、足もテラスの床にへばりついたかのように動かない。
雪がしんしんと降る。徐々に頭や肩に積もっていくそれを払いのける事もせず、曇った空の下、冷え込む気温のせいだけではない体の奥底からの底冷えで氷ついたかのようだった。
──ヴィー、俺のヴィー……。俺の女に触るな……。そこは俺の場所だ……! 今すぐ離れろ! 八つ裂きにしてやる!
頬を染めて、うっとりと王子のなすがまま吐息を絡ませるのは誰だ……。
──嫌だ、ヴィー……。俺はここだ。奴をそんな風に見るな……! 知らない……、俺は、あんな……
一度離れた彼らの影が再び重なる。
──ヴィー……、俺の……、ヴィー……。ほんとうに、もう、他の男の……
普段は、王子の妃になる彼女の立場、抗えない現状に諦めるように自らの心に言い聞かせて考えないようにしていた。数人の令嬢と会っても、サヴァイヴの心どころか魂にこびりついた彼女の影をどうする事もできなかった。
握りしめた手のひらから、皮膚の皺を伝い、赤がぽたりと床に落ちていく。
やがて二人は幸せそうに視線を絡み合わせると、王子が優しく彼女の髪に唇を落として、二人は会場内へ戻っていった。
目の前で起こった光景が信じられず、かといって、深く彼の心を切り裂いた彼らの様子に打ちのめされた。
いつまで経っても戻ってこないと心配したクロヴィスが迎えにくるまで、テラスで一人立ちすくんでいたのであった。
※※※※
流石に風邪をひいて高熱を出してしまった。
「……ぼっちゃん、小さい頃からひいた事がないのに……。なんだってあんな寒い中テラスにいたんです……」
「……。人だらけの会場が熱くて体を冷やしていただけだ」
今まで熱は多少出したとしてもけろりと元気を取り戻す彼氏しか知らなかったクロヴィスは、サヴァイヴの初めて見せた失態ともいえるべきこの状況にあきれつつも、恐らくは王子とその婚約者の二人の仲の良さを目の当たりにでもしたのかと確信していた。
手のひらには、彼自身の爪の跡も抉れたような傷があり、化膿しないように処置をする。大事な剣を持つほうが傷が深いようだ。恐らくは力いっぱい握りしめでもしていたのだろう。
小言も言わず、3日ほど体も心も弱ってしまったかのように見えた、まだ少年ともいえる彼にかいがいしく世話をしつつ、敢えて何も聞かずに、あの日のパーティーの事も口に出さずにいたのであった。
快復してから、時折ぼんやりするものの、平常通りに戻ったかのように見える彼は、相変わらず騎士科の少年たちに稽古をつけている。
あの祝賀パーティーでの、王子の催した新しい試みである、クジによる男女ペアのダンスのおかげで、ちらほら恋人になり、照れながらも幸せそうに差し入れをもらう少年たちの姿が見られるようになった。
「ちっ、あいつらうまい事やったよなあ」
「一応、家柄などを考慮してクジを渡していたらしいから、ほどなく婚約したりするんじゃないか?」
「いいよなあ……。俺なんか、楽しいひと時が会場で終わった途端、女の子は人気の野郎の所に行ったんだぜ」
「ははは、そりゃあ、俺たちみたいなもんには令嬢たちはなあ……」
「……、まあ、いいじゃねえか! 来年も王子がいる限りあの催し物はしてくれるんだろ? 今年はダメでも来年こそは……!」
「来年もダメならどうすんだよ」
「それは……」
「言うな……」
「夢くらい見させろよ……」
サヴァイヴは、そういった話題には一切加わらなかった。自分の、自分自身が起こした取り返しのつかない過去は、未だに彼を苦しめ縛る鎖が何重にも巻かれているようだった。
だが、以前お見合いをして泣かせた、なんとかいう子爵の次女は、クジでダンスをした少年と婚約したらしい。とても幸せそうで、少々バツの悪い過去の記憶が温かくなりほっとする。
ひょっとしたら、そういう事情が何かしらあり見合いなどが上手く行かなかったりする少年少女たちの救済のために王子たちが動いたのではないかと考えた。
少年たちにとって、やはりサヴァイヴは、辺境伯の後継者であり社交界での辺境の立場もあまり知らない末端の貴族も多い。
彼は卒業後、とっても美人か可愛い妻を娶る事が決まっているだろうと思い、自分たち恋人すらいない人種とは違うのだと思って恋の話で盛り上がっていたのである。
一方クロヴィスは、令嬢たちについて来た侍女たちにモテにモテていた。しかし、学園の関係者に手を出す事はない。余暇がある時など、許される範囲で街に出かけ酒場の女や娼館に行くことはあったが。
クロヴィスなりに、そろそろほとぼりがさめたかと思い女遊びに誘っても、全く興味を持たず、いつまでも初恋を引きずっているサヴァイヴに呆れつつも根気よく付き合い、見合いなどを強いる事がなくなっていたのである。
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