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「ターモくん、頑張ってー! あと、10、9……」
「う……うん……く、93、94……ひゃああああああくぅ!」

 予定していたふたりの結婚式の日から、半年が過ぎた。カーテの眼の前では、ややぽっちゃりの青年が腹筋ローラーをしている。膝をついてだが。
 それでも効果は抜群なのか、脇腹のくびれがやや見えてきており、おへそ周りだけでなく、みぞおち付近のお腹までかっちかちになってきている。

 一緒にやろうとしたが、膝コロを一回片道だけでびたんと体が地面についてしまう。筋肉モリモリの女性にはなってほしくないと懇願され、大人しく彼の訓練を見守っていた。

「こんにちは」
「こんにちは」

 大の字になりはあはあ息を荒げている彼に、冷たいタオルをもっていこうとしたところ、声をかけられた。

「久しぶりだね」
「ご無沙汰しております。ご活躍はお伺いしておりますわ。この国の民として、非常に誇らしく……」
「ああ、そういうのはいいから。幼馴染だろ。君たちの家は、私たちにずっと協力してくれているし。そんなことよりも、記憶を失ったんだって? しかも、タッセルのことだけ。聞いてびっくりした」

 カーテは、丁寧に腰を落とす。彼は、この国の第4王子で、最近まで外国の大学に留学していた。
 先月、彼の研究が世界を驚かせたばかり。頭がいいだけでなく、機転の効き剣の扱いも上手だ。独身の令嬢のみならず、マダムたちにも大人気で、ここ数年、彼のお嫁さんになりたいランキング一位をトップ独走している。

「私の幼馴染たちは、とっくに夫婦になっていると思ったんだけどね。以前フラレてから、心の傷を癒やすために外国に行ったんだが。まだ、私にもチャンスがあるのかな?」

 にやにや笑いながら、王子がそんな不謹慎ともとれる発言をした。彼は、たくましく愛情深いゴリラの血を引く。そのためか、あまり努力をしなくても大柄で頼りがいのある体型だ。
 タッセルがいなければ、カーテの夫になっていた人物でもあり、今の彼女にとって魅力あふれる理想の青年そのものと言っていいだろう。

「まぁ、殿下ったら。フラれただなんて、御冗談がすぎますわ。そのような気持ちなどなかったことは知っていますからね? それに、熱い恋におちた異国の美姫と婚約間近だとお聞きしておりますのに」

 ところが、カーテはそんな王子の言葉に、一ミリたりとも心が揺るがなかった。たしかに理想の男性像ではあるものの、彼女にとっても彼はそういう対象ではないからだ。ふたりは、一緒に悪巧みをする同志といったところだろうか。
 彼女は忘れているが、いたずらをするふたりを、毎回必死に止めていて、一緒に怒られていたのがタッセルなのだが。

「ははは、知られていたか」
「おふたりのことは有名ですもの。冤罪にかけられたその方の無実を晴らすために、異国に移住している我が家の傍系も少なからず協力しましたし」
「ああ、その説は世話になったね。来月、愛しの君を紹介しよう。自分を厳しく律しているのに、他人にはとても優しくて賢い人なんだ。きっと気が合う。彼女はこちらで暮らすことになるんだ。どうか、仲良くしてやってほしい」
「ふふふ、異国でお過ごしになられるんですもの。きっと心細いでしょうね。私でよければ、是非お友達になりたいですわ」

 にっこり笑う彼の白い歯が、きらりと光ったように見えた。とても幸せそうな幼馴染である彼の幸せが、我が事のように嬉しくて微笑む。

 件の令嬢は、婚約をしていた侯爵令息が妹と結婚したいと裏切られ婚約破棄をした。最初は放っておいたが、孤立無援の彼女の実家との契約のために助力を申し出た。会えば会うほど心惹かれ、傷心の才色兼備の美しいその人を口説き落とすために、ずいぶん苦労したようだ。

「第4王子にご挨拶申し上げます」
「ああ、タッセル……か? おいおい、えらく様変わりしたな。ぷっくりほっぺがゲッソリじゃないか。カーテ嬢よりも、お前のほうが心配になるくらいだ」
「愛する人のために、一念発起したまでです。僕も彼女も健康ですのでご安心を」

 タッセルは、指一本動かせないほどのトレーニングのあとにもかかわらず、ふたりの間に移動してきた。さっさと帰れと言わんばかりに、王子を威圧しようとしている。

 が、大柄で余裕の王子に比べて、中肉中背どころか、まだまだ大肉中背の彼では迫力がなさすぎた。全く効果がない。

「なんともまあ。カーテ嬢が散々のろけていた、お前のチャームポイントのたるたるお腹やあごの肉がなくなっているでないか。私も、お前の頬を摘んだり、脇腹をがしっと鷲掴みにするのが密かな楽しみだったのに」
「残念ながら、もう出来ませんね! ざまあみろです!」

 王子に対して失礼な言動ではあるが、タッセルは彼にとても気に入られているため不問になっている。他人の前では、きちんと礼節を守っているのもあり、こうしたプライベートの時間では、三人は砕けた口調で会話を行うのだ。
 気のおけない幼馴染の存在は、24時間リラックスすら気軽にできない王子にとって、愛する人以外では彼らが癒やしになっている。

 そんな王子も、以前のカーテと同じくタッセルのお肉の愛好家だ。発酵中のパン生地よりも温かくて柔らかい、指がぷすぷす刺さるそれらが少なくなりショックを隠せないようだった。

「カーテ嬢のためというのなら仕方がないな……。たしかに、贅肉のつきすぎた体では病気になりやすいというし。いや、まてよ。獣化すれば、まだまだイケるだろ? 今すぐ確認しなければな。早く獣化しろ」
「人型と違って、獣化状態の姿は変わりませんから。前々から言っていますけどね、僕の体を好きにしていいのは、カティちゃんだけですから! 殿下には触らせません」
「ちょっと、ターモくん。人が聞いたら誤解されそうなことを言わないでぇ。殿下も、あんまり彼をからかわないでくださいませ」
「はは、すまない。一緒に泥だらけで遊んだ頃が懐かしいよ。ふたりとも、心配していたが仲良さそうじゃないか。それでも、結婚はまだお預けなのか?」

 王子に秘密にするようなものでもない。ふたりは複雑な思いや事情を彼に打ち明けた。

「ふむふむ。タッセルは相変わらずというよりも、以前よりもカーテ嬢に惚れていると。カーテ嬢は、タッセルといると楽しいが、これが愛かなにかわからないから、まだ踏み込めないのか」

 王子は、ふたりの話しを聞きながら、あごに手をあてる。まじまじとふたりを交互に見つめると、口を開いた。

「うん、お前ら結婚しろ。私もフォローするから、なるべく早くに。来月でもいいぞ」

 彼の言葉に、ふたりはびっくりして声も出なかったのである。


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