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わたくしにとって、とても短くて長い春季休暇が始まった。あのあと、リーモラさんが色々心を尽くして側にいてくれたから、学園に残る気持ちになったと言っていい。
行くあても、お金も何もない。人間の国でも厄介者でしかなく、獣人国にいても人間だから厄介者でしかない。翌朝、ハリー先生たちから報告を受けて学園長とお話をさせていただく機会に恵まれた。
「我々としても、慈善事業ではないんだ。除籍されたことは気の毒だと思うが、人間はもともと学園に在籍をすることが少なくて前例がないことでな。ハリー先生たちと相談したんだが、学園に残る気はないか?」
「え?」
てっきり、侯爵令嬢でなくなったわたくしは、退学処分を言い渡されると思っていた。婚約解消は、学園には関係がない。わたくしにとってはこちらのほうが重要事項なのに、身元引受人がいなくなったことだけを問題視されていて、温情をかけてくださったというのに、冷たく感じて心が追い付いていかなかった。
ジョアンさんは、翌日には家に戻った。それまでの間、わたくしに色々話しかけにきてくれた。普段人を寄せ付けずに眠っているのに、わたくしが今にも倒れそうだからよっぽど放っておけなかったのだろう。
しかも、来年度のペアがジョアンさんになった。おそらく、交流遠足だけでなく、なにかにつけて彼と一緒に行動することになる。
予定されていたゴーリンさんとは、ずきっと心が痛む理由でフリーになったわたくしでは、せっかくいい関係になりつつあるマニーデさんたちとの関係がこじれるからだと聞かされた。
「お前も、マニーデたちみたいに、ゴーリンのほうが良かったか?」
「いえ、滅相もないです。いつも上位のジョアンさんと一緒なら、百人力ですね。足手まといにしかならないと思うのですが、一生懸命がんばります」
「頑張らなくていい」
「え?」
「いや、アイリスは人間だろ? 俺たちとは体のつくりも何もかもが違うんだ。あー、ミストから聞いたんだが、お前、あんなに勉強ができるのに、滅茶苦茶頑張りすぎるらしいじゃねぇか。交流遠足くらい力を抜いて、俺に任せとけばいい。ヘマはしねぇから。じゃあ、俺は今から行くから、元気でな。風邪なんかひいて意識不明なんてことになるなよ?」
「はい」
ぶっきらぼうな言い方だったけれど、彼なりにわたくしの今の状況を心配して気遣ってくれているのがわかる。
(家に帰るって言わないんだ。これって、家を失ったわたくしへの思いやりよね? やっぱり、優しい……)
彼とペアなら、きっと大丈夫だという確信めいた予感がした。
わたくしは、彼を見送った後、ハリー先生の家に招かれた。人間どころか、ほとんどの学生すらいない学園で、ほぼ一人きりにするにはしのびないのだという。
「お邪魔します」
「狭いところだけど」
先生の家には、孫ハリネズミさんたちがいた。お子さんは、今は旅行に行っていて、ハリー先生の休暇には孫だくさんのにぎやかな家になるという。
「きゅ、きゅー」
「きゅ?」
「きゅいっ!」
「アイリス、びっくりしただけでも、チビたちは針を立てるから気を付けて」
まだ人化できないらしい。最初は警戒されてしまったけれど、すぐになついてくれた。ぶわっと針が広がり、チクチク刺さったこともあったけれど、ほんのわずかな傷だ。リーモラさんが、ジョアンさんのようにこの世の終わりのように心配してパニックになった。
少しずつ、自分の中の真っ黒な気持ちをリーモラさんが聞いて溶かしてくれた。
(一人っきりにならなくてよかった……)
つくづく、同種族の国よりもこの国のほうが暖かくて優しいと思う。人間がこの国に住むのは難しいかもしれないけれど、無事に学園を卒業出来たら、この国に住みたい。
春季休暇が終わり、新学年になった。クラスのメンバーは、よっぽどでないかぎり変わらない。担任の先生も、卒業までそのままだ。
わたくしが、実家から除籍されたこと、婚約を解消されたことは、瞬く間に広まった。
『アイリスが婚約者に捨てられたらしいぞ』
『白い髪は、人間には疎まれているというからなあ』
『じゃあ、アイリスは今はフリーってことか? 人間でもいいから俺アタックしようかな。賢くて可愛いから両親も喜ぶと思うし』
『おっぱいでっかいしな』
『人間って細くて折れそうで怖いけど、滅茶苦茶柔らかそうだよなあ……抱きしめてぇ~』
『やめとけ。ハリーとミストが、あまりにも傷ついて今にも逝ってしまいそうなほど弱っている彼女に、誰も不用意に近づかないようにピリピリしているってさ』
『それに、ジョアンが、先生たちに頼まれてペアになったんだ。アイリスに変なことをしたら、あいつが黙ってない。命が惜しかったらやめとけ』
耳に入る度、入らなくてもひそひそされているのを見る度に心が軋む。耳を塞いで逃げ出したいけれど、今逃げたって、この事実は卒業してからも付きまとう。出来る限り胸を張って顔を上げて歩いた。
思ったよりも大騒動になり、特に女子生徒からは涙を浮かべて慰められることになったのは驚いた。
マニーデさんに至っては、わたくしが余計なことを考える時間がなくなるくらい、あちこちに連れて行って貰い、女子たちと一緒にショッピングを楽しんだり、放課後カフェというのも体験したのである。
でも、基本的にひとりで過ごしてきたわたくしは、大勢でわいわい騒ぐのも楽しいが、ひとりでこうして座っているほうが落ち着く。ユーカリの木の下のベンチで、ぼんやり空を見る時間。前は、クアドリ様を思い浮かべて、どうしても抜く事が出来ないアクアマリンの指輪をかざしたものだ。
今は、アクアマリンを見ると、心がズキズキ痛んだりする。自分には勿体なかったのだと言い聞かせようとしても、やっぱり彼を思い出すと、とても辛いのにどこかの部分が幸せだったと囁く。
(マニーデさんは、新しい男性との恋がいいって言ってたけれど、今も、クアドリ様のことが好き……)
あの国で、唯一優しくしてくれた彼の言葉を思い出す。いい加減、胸が苦しむほど思い出したくはないのに。
一体、いつになったら、本当に彼のことを忘れられるのだろう。視線を、太陽に翳したアクアマリンの光に移動する。すると、忘れたくないって、忘れようとするわたくしを止める声が、心のどこかで聞こえた気がした。
行くあても、お金も何もない。人間の国でも厄介者でしかなく、獣人国にいても人間だから厄介者でしかない。翌朝、ハリー先生たちから報告を受けて学園長とお話をさせていただく機会に恵まれた。
「我々としても、慈善事業ではないんだ。除籍されたことは気の毒だと思うが、人間はもともと学園に在籍をすることが少なくて前例がないことでな。ハリー先生たちと相談したんだが、学園に残る気はないか?」
「え?」
てっきり、侯爵令嬢でなくなったわたくしは、退学処分を言い渡されると思っていた。婚約解消は、学園には関係がない。わたくしにとってはこちらのほうが重要事項なのに、身元引受人がいなくなったことだけを問題視されていて、温情をかけてくださったというのに、冷たく感じて心が追い付いていかなかった。
ジョアンさんは、翌日には家に戻った。それまでの間、わたくしに色々話しかけにきてくれた。普段人を寄せ付けずに眠っているのに、わたくしが今にも倒れそうだからよっぽど放っておけなかったのだろう。
しかも、来年度のペアがジョアンさんになった。おそらく、交流遠足だけでなく、なにかにつけて彼と一緒に行動することになる。
予定されていたゴーリンさんとは、ずきっと心が痛む理由でフリーになったわたくしでは、せっかくいい関係になりつつあるマニーデさんたちとの関係がこじれるからだと聞かされた。
「お前も、マニーデたちみたいに、ゴーリンのほうが良かったか?」
「いえ、滅相もないです。いつも上位のジョアンさんと一緒なら、百人力ですね。足手まといにしかならないと思うのですが、一生懸命がんばります」
「頑張らなくていい」
「え?」
「いや、アイリスは人間だろ? 俺たちとは体のつくりも何もかもが違うんだ。あー、ミストから聞いたんだが、お前、あんなに勉強ができるのに、滅茶苦茶頑張りすぎるらしいじゃねぇか。交流遠足くらい力を抜いて、俺に任せとけばいい。ヘマはしねぇから。じゃあ、俺は今から行くから、元気でな。風邪なんかひいて意識不明なんてことになるなよ?」
「はい」
ぶっきらぼうな言い方だったけれど、彼なりにわたくしの今の状況を心配して気遣ってくれているのがわかる。
(家に帰るって言わないんだ。これって、家を失ったわたくしへの思いやりよね? やっぱり、優しい……)
彼とペアなら、きっと大丈夫だという確信めいた予感がした。
わたくしは、彼を見送った後、ハリー先生の家に招かれた。人間どころか、ほとんどの学生すらいない学園で、ほぼ一人きりにするにはしのびないのだという。
「お邪魔します」
「狭いところだけど」
先生の家には、孫ハリネズミさんたちがいた。お子さんは、今は旅行に行っていて、ハリー先生の休暇には孫だくさんのにぎやかな家になるという。
「きゅ、きゅー」
「きゅ?」
「きゅいっ!」
「アイリス、びっくりしただけでも、チビたちは針を立てるから気を付けて」
まだ人化できないらしい。最初は警戒されてしまったけれど、すぐになついてくれた。ぶわっと針が広がり、チクチク刺さったこともあったけれど、ほんのわずかな傷だ。リーモラさんが、ジョアンさんのようにこの世の終わりのように心配してパニックになった。
少しずつ、自分の中の真っ黒な気持ちをリーモラさんが聞いて溶かしてくれた。
(一人っきりにならなくてよかった……)
つくづく、同種族の国よりもこの国のほうが暖かくて優しいと思う。人間がこの国に住むのは難しいかもしれないけれど、無事に学園を卒業出来たら、この国に住みたい。
春季休暇が終わり、新学年になった。クラスのメンバーは、よっぽどでないかぎり変わらない。担任の先生も、卒業までそのままだ。
わたくしが、実家から除籍されたこと、婚約を解消されたことは、瞬く間に広まった。
『アイリスが婚約者に捨てられたらしいぞ』
『白い髪は、人間には疎まれているというからなあ』
『じゃあ、アイリスは今はフリーってことか? 人間でもいいから俺アタックしようかな。賢くて可愛いから両親も喜ぶと思うし』
『おっぱいでっかいしな』
『人間って細くて折れそうで怖いけど、滅茶苦茶柔らかそうだよなあ……抱きしめてぇ~』
『やめとけ。ハリーとミストが、あまりにも傷ついて今にも逝ってしまいそうなほど弱っている彼女に、誰も不用意に近づかないようにピリピリしているってさ』
『それに、ジョアンが、先生たちに頼まれてペアになったんだ。アイリスに変なことをしたら、あいつが黙ってない。命が惜しかったらやめとけ』
耳に入る度、入らなくてもひそひそされているのを見る度に心が軋む。耳を塞いで逃げ出したいけれど、今逃げたって、この事実は卒業してからも付きまとう。出来る限り胸を張って顔を上げて歩いた。
思ったよりも大騒動になり、特に女子生徒からは涙を浮かべて慰められることになったのは驚いた。
マニーデさんに至っては、わたくしが余計なことを考える時間がなくなるくらい、あちこちに連れて行って貰い、女子たちと一緒にショッピングを楽しんだり、放課後カフェというのも体験したのである。
でも、基本的にひとりで過ごしてきたわたくしは、大勢でわいわい騒ぐのも楽しいが、ひとりでこうして座っているほうが落ち着く。ユーカリの木の下のベンチで、ぼんやり空を見る時間。前は、クアドリ様を思い浮かべて、どうしても抜く事が出来ないアクアマリンの指輪をかざしたものだ。
今は、アクアマリンを見ると、心がズキズキ痛んだりする。自分には勿体なかったのだと言い聞かせようとしても、やっぱり彼を思い出すと、とても辛いのにどこかの部分が幸せだったと囁く。
(マニーデさんは、新しい男性との恋がいいって言ってたけれど、今も、クアドリ様のことが好き……)
あの国で、唯一優しくしてくれた彼の言葉を思い出す。いい加減、胸が苦しむほど思い出したくはないのに。
一体、いつになったら、本当に彼のことを忘れられるのだろう。視線を、太陽に翳したアクアマリンの光に移動する。すると、忘れたくないって、忘れようとするわたくしを止める声が、心のどこかで聞こえた気がした。
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