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第52話 ご褒美をください

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「やることがいっぱいで、忙しくなりそうねえ」
 セシリアが丸い生き物を抱きしめながら不穏な笑みを浮かべているのが見える。明らかにその丸いの、ぐったりと遠くを見ているような気がするが大丈夫だろうか。
 まあ、深く考えるのはやめよう、と空いた皿をアイテムボックスの中に放り投げていると、辺りの空気に緊張が走った。
「さて、慣らしにいってくるか」
 俺が顔を上げるよりも早く、ミカエルが素早く立ち上がって剣を抜いた。アルトも大天使の横でそれに倣う。
 そして彼らが何を見ているのかと俺も立ち上がれば、魔族領の壁からぽつんと湧き出た黒い蛇が、崖を上がろうとしているのが見える。
 こうしてみると、意外とたくさんの蛇がこちら側に来ているんだろうと予測できる。あの蛇がこちら側の魔物に棲みついて、凶暴化させているということらしいから――厄介なものだ。
 何だよあれ、一匹見かけたら百匹いると疑えっていうアレかよ!
 多すぎじゃないのか!?

「我が女神」
 そこで、ミカエルが俺を見て微笑む。「見事、あれを打ち取りましたら祝福をいただきたいと思うのですが」
「祝福?」

 って、何だ。
 と、俺が眉を顰めて彼の背後に立つセシリアを見れば、彼女はセイジュウとかいう生き物を抱きしめたままにこりと笑って見せる。
「簡単に言えば、頬へのキスね」
「ふお!?」
 つい、変な声が出た。
 そして、慌てて首を横に振る。
「無理、そういうの、慣れてないんで!」
 そう叫ぶと、あからさまに大天使が落ち込んだ様子を見せる。やめてくんないかな、そういうの。日本人は挨拶でもキスはしない! そう、絶対にだ!
「キスなんか何回やったって減らないじゃん」
 背後からサクラの小さな声が聞こえる。変態は黙ってろ、と言いたくなったが、あまりにも目の前の大型犬ミカエルがしょんぼりしているので言葉に詰まる。
「……じゃあ世界一可愛い、この猫獣人からの祝福で」
 と、カオルが無邪気に口を挟んだが、ミカエルとサクラが同時に「却下」「駄目」と低い声で言う。

「とりあえず、後で何かご褒美をください」
 さすがにのんびり会話をしている暇はなく、ミカエルはそう言い置いて黒い蛇を迎え撃ちに出る。
 どうやら、新しく手に入れた剣を試したいようだ。ミカエルとアルトはずっと一緒に戦ってきたというだけあって、連携はぱっちりとれていると思う。
 崖をあっという間に這い上がってきた黒い蛇は、どうやら生物反応がある方向が読み取れるようだ。一番近いところにいた俺たちの気配を追ってきたものの、俺たちの背後にある森にも興味を持っているようで、鎌首をもたげて何か考え込んでいるようだった。
 そして結局、俺たちを庇って立つミカエルとアルトに狙いを定めて飛び掛かってきた。

 目に留まらぬ早業、と言えるだろう。
 黒い蛇の躰は小さいから、大きな魔物を狩るよりも厄介なはずだ。しかし、ミカエルもアルトも連携の取れた動きで簡単に黒い蛇を仕留める。
 二人の剣についている宝玉のようなものが、まるで歌うように鳴る。宝玉から何か魔力のようなものが剣先まで流れて煌めく。それを見ただけで、彼らの剣がただならぬ力を持っているということが解る。
 そして気が付けば、黒い蛇は砂のようになって消え、銀色に輝く剣はそれぞれの鞘に収められていた。

 煌めいているのは剣だけじゃなく、ミカエルの笑顔もだ、と気づいたのは彼の顔がこちらに向けられた時だ。
 さっと視線を外し、いい天気だなあ、と現実逃避をしながらセシリアに話しかける。

「えーと、そろそろ街に帰りますか?」
「あら、帰りたい? せっかくの魔物討伐デートなのに」
「何ですかそれ」
 そう呆れた声を返しながら、俺は考える。
 正直なところ、明るいうちにナグルに帰るのはどうなのか、と思ったのだ。一応変装しているとはいえ、いつ俺が屋根を吹っ飛ばした張本人だとバレるか解らないわけだし。
 いっそのこと、ほとぼりが冷めるまで他の街に行くという手もある。魔物討伐という意味なら、どこにいてもできる。
「じゃあ、せっかくだからさらに遠出しましょ?」
 そこで、セシリアが何か思いついたかのように大きな声を上げた。
 きらきらした瞳を俺たちに向け、さらにニヤリと笑ってミカエルとアルトを見やる。何か悪いことを考えているな、と解る。
「いえ、そろそろわたしたちは別行動を……」
「いいことを思いついたのよ! 宿代だって馬鹿にならないでしょうし、こうなったら拠点を変えましょ!?」
「は?」
「母さん……」
 ミカエルが目を細めて睨んでいる。
「じゃあ、決まりということで!」
 満面の笑みで迫りくるセシリアに俺たちはそれぞれ腕を引かれ、彼女が展開させた魔法陣の上に追いやられたわけだ。

 で。

「お帰りなさいませ、奥様!」
 と、俺たちの前には巨大な――巨大すぎる豪邸がある。
 広すぎる庭、それなのに隅々まで手入れされた庭木、花壇。噴水に彫刻、計算された形で剪定された蔓バラが柱に巻き付いた東屋らしきものを通り過ぎた先にあった屋敷は、西洋の豪邸そのものである。
 大きな扉が開いて、左右に控える召使たちが一斉にこちらに声をかけてきたと思えば、その背後に広がる大ホールと赤い絨毯の引かれた階段もあって。
 ちょっと寂れてくれたらホラーゲームの舞台なのに、と思ったのは秘密である。

「奥様ぁぁぁぁ!」
 と、そこに階段の上から響いた切実な声がある。金髪で二十歳くらいの若い女性が、何とも豪華絢爛なドレスに身を包み、裾を踏まないように必死にドレスをつまみ上げ、駆け下りてきた。
「酷いです! 酷いです! すぐ帰ってくるっておっしゃったのに、全然帰ってこられなかったじゃないですか! 寿命が一年くらいは縮まりました! もう厭ですぅぅぅ!」
 どーん、という擬音が似合いそうなほど、セシリアに激しくぶつかるようにして抱き着くと、その女性はその場にずるずるとしゃがみこんで泣き始めた。すっかり腰が抜けたようで立ち上がれないという彼女を、セシリアは気まずそうな笑顔を浮かべて見下ろす。
「ええと、ごめんなさいね、ヘレナ? でも似合ってるわよ、そのドレス」
「陛下からの手紙も届いてます! 早くお返事を! じゃないと、陛下が異変を察知して様子を見に来られてしまいます!」
「ちっ」
 セシリアは軽く舌打ちして、苦々し気な表情を作る。
 しかしすぐに笑顔に戻り、俺たちを召使集団に向かって紹介した。
「それはともかく、大切なお客様を連れてきたの。この美形がサクラさん、猫の獣人がサクラさんの恋人のカオルちゃん、この可愛らしい黒髪がアキラちゃん……息子の嫁候補だから丁重にもてなしてもらえるかしら」
「嫁候補……」
「かしこまりました!」

 ちょ、ちょっと待って、セシリアさん!?

 カオルも「恋人!?」と硬直しているが、そんな小さな身体を抱きしめる変態がいるから逃げられない。

「部屋の準備できるまで、お茶でも」
 と、すかさずミカエルが俺の手を取って歩きだす。何がなんだか解らず、この場の空気に流されてエスコートをされてしまった俺、挙動不審になりつつ叫ぶ。
「嫁候補っていつそうなったし!?」
「今よ」
「いえ、会った瞬間からです、我が女神」

 何だとぅ!?

 俺が慌ててそこでミカエルの手を振り払うと、背後に立ったサクラが低音ボイスで囁く。
「外堀埋めてきたねえ」
「くそ、スコップよこせ。埋められたらまた掘り返してやるわゴルァ」
 俺が引きつった笑顔でそう囁き返していると、ミカエルが召使たちに何か命令しているのが見えた。
 厭な予感である。

「ああそうだ、せっかくだから着替えましょう、アキラ様」
 ミカエルはそう言いながら俺の前に立ち、俺たち三人を召使たちに引き渡す。
 おそらく、暇を持て余していたかもしれない召使たちは、体力も気力も有り余っていた。この面白そうな波に乗らねば駄目だろうと言いたげに、気合充分で微笑んで見せている。
「お任せください、殿下。腕によりをかけて仕上げてご覧に見せます」
 一番偉そうな召使の女性――いや、侍女と言った方が正しいのだろうか――が軽く頭を下げて微笑む。

「まあ、タダならいいんじゃない?」
 とはサクラ談。
「俺は部外者みたいなもんだし、別にどうでもいいよ、にゃ」
 というのがカオル談。

 そして俺たち三人は、このお屋敷――セシリアの暮らす離宮とやらに連れてこられて、今まで着たことのない高価そうな服に身を包むことになったのだった。
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