祓い屋と憑き人と犬

冬野瞠

文字の大きさ
16 / 26
四話 異聞

後 1

しおりを挟む
 ぼくの前で哲くんがデミグラスソースのかかったオムライスを食べている。口の開き方はごく控えめで、咀嚼するときは目を閉じ、わずかに体を揺らして味わう。ぼくはその様を思わずじっと見つめてしまっていた。
 事務所の近所にあるファミレスは、昼食には少し早い時間だからかいている。
 相手が瞑目しているのをいいことに、ぼくは哲くんの楽しげな様子をじっくりと見つめた。元々の顔立ちは凛々しいのに、今の表情のなんと可愛らしいことか。彼とぼくは両想いなのだ、気持ちが通じ合ったからもう本心を隠さなくていいのだ、と何度も何度も事実を噛み締めてしまう。水槽の中の魚のように、ずっと同じ場所をぐるぐる行ったり来たりしていた日々と比べると、幸せすぎて嘘みたいな気すらしてくる。
 ぼくらは晴れて、恋人同士になったのだ。
 ――本当は哲くんに好意を伝えるつもりはなかった。

『哲くんはぼくの……好きな人だよ』

 体の自由を何者かに奪われた彼を助けるため、やむを得ずそう口走ったときには、〝終わった〟と確信したものだ。これでぼくらの関係は終わりだ、ぼくが不可逆的に破壊して粉々にしてしまったのだ、と。
 それなのに――哲くんもぼくを想ってくれていたなんて想像もしなかった。一年近い懊悩や煩悶は、もっと早く伝えていれば良かったなどという、甘い後悔に変わっている。
 お互い一人の時間と空間は確保した方がいいだろうとのことで、ぼくらの生活は大きくは変わっていない。二人で濃い夜を過ごしたあと、どちらかのベッドで一緒に寝起きすることはしばしばあるものの。
 今日はぼくの寝室のベッドで共に朝を迎えた。昨夜ずいぶん遅くまで付き合わせてしまったからか、ぼくが十時前に目を覚ましたとき、隣には哲くんの綺麗な寝顔があった。朝に弱い自分の方が遅く起きるのが常なので、ぼくはすやすや寝入っている哲くんの顔をまじまじと見つめた。つややかな黒髪が、頬や肩の上を流れているのがものすごくセクシーだった。
 やがて薄目を開けた彼は、ぼくに寝姿を見られていたと悟ると真っ赤になって慌てていたっけ。

「さ、颯季さつきさん? 見てたんですか」
「うん。哲くんの寝顔が可愛かったから撮っちゃった」
「えっ! 駄目です、消して下さい……!」
「消せないよお。ぼくの心のカメラで撮ったから」
「な、な、何ですかそれ……」

 そんな会話を交わしたあと、朝食を摂るにも遅い時間になっていたので、ぼくが提案してファミレスでブランチを摂ろうという話になったのだった。驚いたことに、哲くんはファミレスの類いに行った経験がないらしかった。
「小さい頃、家族と行ったかもしれないですが……でも、記憶にないので未経験と一緒です」とは彼の言だ。
 ファミレスの席でメニューを見るなり、哲くんは目をまん丸にしてきらきらと輝かせた。

「こんなに料理の種類があるんですね! この中のどれでも頼んでいいんですか? ファミレスってすごいなあ」

 はしゃぐ様子を見ながら、ぼくはこみ上げてくる色々な感情のせいで目頭を熱くしていた。きっと彼は境遇が原因で、世の中にたくさんある楽しいことの脇を素通りして生きてきたのだ。それを悲しいとも思わず、平然と受けとめているのだろう。なんだかそれが、無性に悔しかった。こんなところで上司が突然泣き出したら哲くんも困るだろうし、なんとか落涙はこらえたけれど。

「何でも食べたいものをいくらでも注文してねえ。全部ぼくが持つから」
「え、でも」
「上司だもん。こういうところで見栄を張りたいんだよね。良かったらぼくのわがままに付き合ってほしいなあ」

 縦に長い体を縮こまらせている哲くんに、ぼくはにぱっと笑ってみせる。胡散臭いであろう笑顔は、自分にとって本心を巧く隠すことができる武器だ。
 相手は躊躇いながらも小さくうなずく。

「それは、その……もちろんです」
「うんうん。デザートにパフェも頼んじゃおっか。ぼくはチーズインハンバーグと抹茶パフェにしようかなあ。ポテトも二人で食べようよ」
「えっと、俺は……」
「ゆっくり考えていいからねえ」

 はい、と答えながらちょっと焦りを見せ必死で考えている様子が可愛い。自分に息子がいたらこんな感じなのだろうか。なんて、年上の立派な青年に対して抱く感慨としては不適切かもしれないけれど。

「颯季さん、食べないんですか……?」

 対面から声をかけられてはっとする。いけない、つい追想に浸りすぎてしまった。目の前で今まさにオムライスを食べている哲くんだって果てしなく可愛いのに。彼といると体が足らなくなる。
 やや不安げな哲くんに笑みを浮かべてみせた。

「んーん、大丈夫。食べてるよお。オムライスはどう? 美味しい?」
 哲くんが何やら表情を引き締める。「美味いです。――でも」
「うん?」
「俺はやっぱり……颯季さんが作ったオムライスが一番、好きです」

 頬をかすかに赤らめながら、それでもこちらの目を真っ直ぐ見て哲くんは言い切った。
 一瞬時が止まったような感覚に見舞われる。それくらいの衝撃がぼくを襲った。彼の真剣な顔を見れば、その言葉が単なるリップサービスじゃないことくらいすぐ分かる。正直、ぼくのオムライスなんて客観的には大した味じゃないだろう。けれど、好きな相手がストレートに一番と言ってくれたことが、自分でも驚くほど嬉しかった。
 胸の内側が熱くなる。ぼくは危うく、天を仰いで盛大な吐息を漏らすところだった。

「あ、ありがとう……哲くんにそんな風に言ってもらえるなんて、嬉しいなあ」

 ――帰ったら抱く。
 一人でひっそり決意する。昨夜さんざん抱いたけれど、今日は今日だ。
 その後も食事は順調に進んだ。お互いメインを綺麗に平らげ、パフェを迎える。哲くんは手元に来た洋梨のパフェを見て目を丸くしていた。瞳を輝かせながら、何層にも重なったパフェの側面をスマホで撮る姿が可愛らしい。パフェって何度見てもテンションが上がる食べ物だよね、分かる分かる、とぼくは内心うんうんと深くうなずいた。
 時おりお互いのパフェを味見しながら、ぼくらはすべての食事を終えた。ファミレスなんて一人で来たらすぐ食べ終わるが、こうして話しながらゆっくり味わうとより美味しい気分になる。
 会計を済ませて外へ出ると、昼過ぎでも過ごしやすいいい気候だった。秋晴れの空は淡く澄んでいて、頬を撫でる風は涼しさを含んでいる。大きく伸びをしたくなるような心地好い天気だ。
 自宅へ足先を向けようとした、その直前。

「あ、あの、颯季さん!」

 意を決したような哲くんの声に呼び止められて振り返る。彼は腹の前あたりでぐ、と拳を握りしめていた。

「どうしたの? 哲くん」
「その、天気もいいことですし、このままどこか遠出しませんか? 颯季さんが良ければ、ですけど……」

 今度はぼくが目を丸くする番だった。今日は祓い屋の仕事はお休みで、午後は部屋の模様替えでもしようかと思っていたけれど、なにも明日以降では駄目というわけでもない。
 哲くんから提案してくれたのが嬉しくて、にやけそうになるのをなんとか我慢する。

「いいねえ、そうしよっか。それってつまり、デートのお誘い?」
「う……あの、すみません、調子に乗って」
「謝らなくていいよお。誘ってもらえて嬉しいんだから」

 赤面する哲くんの頭を二往復だけ撫でる。
 好意を伝えあってから、彼はぽつぽつと自分の希望を伝えてくれるようになってきた。以前は己を抑えているのが端からも分かる様子だったのが、今は考えを言語化しようと頑張っているのがうかがえる。それは哲くん自身にとってもいい変化だと思う。申し訳なさそうにしながらもお願いをしたり頼ってきたり、そうされるとぼくは俄然やる気が出てくる。どうも自分は頼られると嬉しく感じる人種だったらしい。

「それじゃあ、どこ行こうねえ。哲くん、希望はある?」

 訊き返すと、哲くんは何か失敗に気づいたような表情になった。

「すみません、俺……普通の人がこういうときにどこ行くのか全然分からなくて。自分から言い出したくせに申し訳ないです」

 そう言ってしゅんと肩を落とす相手を見ながら、もしかして、という思いがにょきにょきと芽生えてくる。この子は誰ともデートしたことがないのだろうか。世の中の人間はこんな綺麗な子を放っておかないと思うし、交際経験がないということは考えにくいけれど――。

「だったら初めてをたくさん一緒に経験できるってことだねえ。んー、そうだなあ。ご飯はいま食べたから」

 ぼくはデートという単語から思いつく限りの行き先を指折り列挙していく。

「例えばカフェ、喫茶店、バー、居酒屋、遊園地、動物園、水族館、美術館、博物館、カラオケ、ショッピング、ライブ、映画館、史跡見物、温泉、バーベキュー、キャンプ、果物狩り、ドライブ、春は花見、夏は海水浴、秋は紅葉狩り、冬はスキー場とか? ぼくが思いつくのはそのくらいかなあ」
「みっ、みんなそんなに色々なこと経験してるんですか」

 目を白黒させている哲くんに向かって、安心させるようにほほえんでみせる。

「全員が全員ってわけでもないと思うよお。家でゆっくり過ごすのもデートに入るんじゃないかな。好きなことはそれぞれあって、例えばぼくはアウトドア系は苦手だし。虫がいっぱいいるからねえ」

 自虐的なことを言うと哲くんもふふっと釣られて笑ってくれる。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?

中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」 そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。 しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は―― ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。 (……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ) ところが、初めての商談でその評価は一変する。 榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。 (仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな) ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり―― なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。 そして気づく。 「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」 煙草をくゆらせる仕草。 ネクタイを緩める無防備な姿。 そのたびに、陽翔の理性は削られていく。 「俺、もう待てないんで……」 ついに陽翔は榊を追い詰めるが―― 「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」 攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。 じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。 【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】 主任補佐として、ちゃんとせなあかん── そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。 春のすこし手前、まだ肌寒い季節。 新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。 風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。 何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。 拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。 年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。 これはまだ、恋になる“少し前”の物語。 関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。 (5月14日より連載開始)

宵にまぎれて兎は回る

宇土為名
BL
高校3年の春、同級生の名取に告白した冬だったが名取にはあっさりと冗談だったことにされてしまう。それを否定することもなく卒業し手以来、冬は親友だった名取とは距離を置こうと一度も連絡を取らなかった。そして8年後、勤めている会社の取引先で転勤してきた名取と8年ぶりに再会を果たす。再会してすぐ名取は自身の結婚式に出席してくれと冬に頼んできた。はじめは断るつもりだった冬だが、名取の願いには弱く結局引き受けてしまう。そして式当日、幸せに溢れた雰囲気に疲れてしまった冬は式場の中庭で避難するように休憩した。いまだに思いを断ち切れていない自分の情けなさを反省していると、そこで別の式に出席している男と出会い…

エリート上司に完全に落とされるまで

琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。 彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。 そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。 社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。

有能課長のあり得ない秘密

みなみ ゆうき
BL
地方の支社から本社の有能課長のプロジェクトチームに配属された男は、ある日ミーティングルームで課長のとんでもない姿を目撃してしまう。 しかもそれを見てしまったことが課長にバレて、何故か男のほうが弱味を握られたかのようにいいなりになるはめに……。

【完結・BL】胃袋と掴まれただけでなく、心も身体も掴まれそうなんだが!?【弁当屋×サラリーマン】

彩華
BL
 俺の名前は水野圭。年は25。 自慢じゃないが、年齢=彼女いない歴。まだ魔法使いになるまでには、余裕がある年。人並の人生を歩んでいるが、これといった楽しみが無い。ただ食べることは好きなので、せめて夕食くらいは……と美味しい弁当を買ったりしているつもりだが!(結局弁当なのかというのは、お愛嬌ということで) だがそんなある日。いつものスーパーで弁当を買えなかった俺はワンチャンいつもと違う店に寄ってみたが……────。 凄い! 美味そうな弁当が並んでいる!  凄い! 店員もイケメン! と、実は穴場? な店を見つけたわけで。 (今度からこの店で弁当を買おう) 浮かれていた俺は、夕飯は美味い弁当を食べれてハッピ~! な日々。店員さんにも顔を覚えられ、名前を聞かれ……? 「胃袋掴みたいなぁ」 その一言が、どんな意味があったなんて、俺は知る由もなかった。 ****** そんな感じの健全なBLを緩く、短く出来ればいいなと思っています お気軽にコメント頂けると嬉しいです ■表紙お借りしました

壁乳

リリーブルー
BL
ご来店ありがとうございます。ここは、壁越しに、触れ合える店。 最初は乳首から。指名を繰り返すと、徐々に、エリアが拡大していきます。 俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 じれじれラブコメディー。 4年ぶりに続きを書きました!更新していくのでよろしくお願いします。 (挿絵byリリーブルー)

地味メガネだと思ってた同僚が、眼鏡を外したら国宝級でした~無愛想な美人と、チャラ営業のすれ違い恋愛

中岡 始
BL
誰にも気づかれたくない。 誰の心にも触れたくない。 無表情と無関心を盾に、オフィスの隅で静かに生きる天王寺悠(てんのうじ・ゆう)。 その存在に、誰も興味を持たなかった――彼を除いて。 明るく人懐こい営業マン・梅田隼人(うめだ・はやと)は、 偶然見た「眼鏡を外した天王寺」の姿に、衝撃を受ける。 無機質な顔の奥に隠れていたのは、 誰よりも美しく、誰よりも脆い、ひとりの青年だった。 気づいてしまったから、もう目を逸らせない。 知りたくなったから、もう引き返せない。 すれ違いと無関心、 優しさと孤独、 微かな笑顔と、隠された心。 これは、 触れれば壊れそうな彼に、 それでも手を伸ばしてしまった、 不器用な男たちの恋のはなし。

経理部の美人チーフは、イケメン新人営業に口説かれています――「凛さん、俺だけに甘くないですか?」年下の猛攻にツンデレ先輩が陥落寸前!

中岡 始
BL
社内一の“整いすぎた男”、阿波座凛(あわざりん)は経理部のチーフ。 無表情・無駄のない所作・隙のない資料―― 完璧主義で知られる凛に、誰もが一歩距離を置いている。 けれど、新卒営業の谷町光だけは違った。 イケメン・人懐こい・書類はギリギリ不備、でも笑顔は無敵。 毎日のように経費精算の修正を理由に現れる彼は、 凛にだけ距離感がおかしい――そしてやたら甘い。 「また会えて嬉しいです。…書類ミスった甲斐ありました」 戸惑う凛をよそに、光の“攻略”は着実に進行中。 けれど凛は、自分だけに見せる光の視線に、 どこか“計算”を感じ始めていて……? 狙って懐くイケメン新人営業×こじらせツンデレ美人経理チーフ 業務上のやりとりから始まる、じわじわ甘くてときどき切ない“再計算不能”なオフィスラブ!

処理中です...