祓い屋と憑き人と犬

冬野瞠

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終話 玉箒

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 哲くんと恋人同士になってからというもの、小学生がラジオ体操の出席カードをシールで埋めていくように、ぼくらは色々な体験をひとつずつ試していった。
 水族館や動物園に行ってお土産を買ったり、デリバリーで頼んだピザでパーティーのようなことをしたり、一緒にジムに行ったり。ぼくにとっては目新しさのないはずのそれらの行為は、隣に哲くんという存在がいてくれるだけで新鮮に、価値あるものに感じられた。何気ない瞬間に驚き、はにかみ、嬉しそうにする哲くんを見ているだけで、ぼくの胸は温かさで満たされた。彼が笑えば、ぼくも幸せな気持ちになる。もしかしたら、この形容しがたいふわふわした感情が、愛というものなのかもしれない。つらつらと臆面もなく考えてしまうくらいには、今の自分は浮かれている。
 仕事の方も順調だ。先日から来所が難しい依頼主のために出張除霊を始めたのだが、最初のお客は古い邸宅に住む壮年の家主だった。客間は見るからに破格の価値がある調度品だらけで、それらに囲まれながらセックスをするのは背徳感があり、哲くんも普段よりいっそう興奮したようだ。お互いに盛り上がりすぎて、降霊していない状態の哲くんと、除霊が済んでからさらに一戦交えてしまったのは内緒の話である。
 慣れた環境で肌を合わせるのも安心感があるが、初めての場所で刺激的な時間を過ごすのもいいかもしれない。今度は、尖った内装のホテルにでも哲くんを誘ってみようか――。

「……さん、颯季さん? 大丈夫ですか」

 声をかけられてハッとする。目の前には哲くん。二人のあいだには木製のテーブル。四方は白木造りの内装で、壁には筆文字でメニューが書かれた短冊が並ぶ。控えめに琴でアレンジされた洋楽がBGMとして流れていた。
 そうだった。今ぼくは哲くんと二人で、居酒屋に来ているのだった。
 回想の中にトリップしていたぼくを、哲くんが落ち着かない表情ながら心配そうに見つめていて。
 ぼくは条件反射的に笑顔を取り繕った。

「大丈夫大丈夫、ごめんね。ちょっと考え事してて」

 君とのセックスのことを考えていた、なんて正直に言えるわけがない。
 そうですか?と小首を傾げながらも頷いた哲くんは、手に持った酒類のメニューに視線を戻した。
 ここはぼくの知り合い(正確に言うとぼくの師匠の同級生)がやっている居酒屋である。「短冊メニューが貼ってあるような居酒屋に行ってみたい」という哲くんのリクエストを請け、連れ立ってやってきた。驚くべきことに、哲くんはほとんどアルコールを嗜んだことがないらしい。
「二十歳の誕生日に一缶だけ酎ハイを飲んでみたんですけど、あんまり美味しいと思えなくて」と哲くんは言っていた。お酒は相性もあるし、仮にまったく飲めなくても居酒屋メニューは美味しい。哲くんは並んだ短冊から料理を選ぶことに憧れがあったようだ。
 お通しの枝豆を摘まんでいると、店員さんがビールジョッキをふたつ運んできた。キンキンに冷やされていたことが分かる水滴がついたジョッキに、黄金色の液体ときめ細かい泡がバランスよく注がれている。
 若干緊張している哲くんと目を合わせ、「それじゃ、かんぱーい」とジョッキを軽くぶつけた。
 ごくりと一口呷ると、独特の苦味が口内を満たしてから、ホップ特有の香りが鼻へと抜けていく。
 ――やっぱり何度飲んでも、ビールはビールだなあ。
 正直言ってぼくはあまりお酒は得意ではない。ビールは特に苦手意識がある。今回は飲めるようになってるかも、という淡い期待を込めて最初の一杯だけビールにするのを、よせばいいのになぜかやめられない。一口目だけはまあまあ美味しいかな、と思えるが、それ以降はなぜ注文したのかと毎回後悔しながらなんとか飲み干す羽目になる。
「どう、飲めそう?」と目の前の哲くんに問うと、彼は一息にジョッキの三分の一くらいを既に飲んでいた。

「はい! これは好きかもしれないです。酎ハイは甘いから駄目だったのかも……」
「そう、良かったねえ」

 ちょっと意外に思いながらもなんだか嬉しくなる。哲くんの好きなものが増えるのはぼくとしても喜ばしいことだ。

「料理もどれでも注文してね。何でも美味しいけど、天ぷらと焼き鳥が絶品なんだよお。ぼくのおすすめ」
「そっ、そうなんですね。じゃあ……」

 ぼくの言ったものが書かれた短冊を探すように、哲くんがきょろきょろと店内を見回す。二口目のビールを飲みながら、ぼくは彼の可愛い挙動に癒されていた。
 その後もぼくたちは好きなように食べ、好きなように飲んだ。哲くんは予想外に辛党のようで、大将に勧められた日本酒も美味しいと言ってすいすいと飲んでいた。最初はザ・お酒という匂いにおっかなびっくりの様子だったけれど、すっきりとした味が気に入ったみたいだ。いくつかの銘柄を一人で飲み、それでいてほとんど顔色が変わらないのだから、鯨飲げいいんと言ってもいいレベルだ。
 ぼくはというと、哲くんが美味しそうに料理を食べお酒を飲んでいるところを眺めながら、ハイボールをちびちびと飲んでいた。もはやさかななんて必要ない。ぼくには哲くんだけで充分だった。

「あの、颯季さん。ありがとうございます」

 会食も終盤といった頃合いに、哲くんが突然改まった表情で頭を下げてくる。

「んー? どうしたの、急に」
「俺一人じゃ、こんないい場所がこの世にあるなんて分かりませんでした。全部颯季さんのおかげです。……いつも、本当に感謝してます」
「ええ、大袈裟だなあ、これくらいで。もっとわがまま言っていいんだよ?」

 あまりにもまっすぐな言葉に照れてしまう。普段の哲くんならもう少しはにかんだり言い淀んだりしそうなのに、彼も顔に出ていないだけで酔ってはいるのかもしれない。
 それじゃあそろそろ、とお開きにして会計のために立ち上がる。気にしなくていいのに、哲くんはしきりに頭を下げて恐縮していた。楽しい時間に名残惜しさを感じつつ、木箱から靴を取り出して履こうとしたところで。
 ゆらり、と足元がふらついた。

「だ、大丈夫ですか」

 哲くんがすかさずぼくの背中を支える。
 なんてことだ、とぼくは内心で愕然とする。自分が酔っていることに気づけなかった。哲くんのペースに飲まれ、いつの間にか飲酒量が増えていたのか。あまり料理を食べなかったのもよくなかったのかもしれない。いずれにせよ、ほとんど初めてお酒を飲む部下の前で、自分のキャパシティを見誤ったことに変わりはない。

「うん……ありがと。ごめんね、情けないところ見せて」
「そんな、謝らないで下さい……。えっと、掴まれますか?」

 哲くんがぼくの腕を肩へ回し、体を支えてくれる。
 顔から火が出そうだった。仮にも上司なのに、こんな醜態を晒すなんてみっともない。真横に並んでいるから、今の顔を見られないことが不幸中の幸いだろうか。
 幻滅したかな、とちらりと横目でうかがうも、哲くんは真剣な目を前に向けていて、感情は読み取れなかった。こんな状況なのに、肩と腰を支えてくれるしっかりした掌の感触を、心地好いと感じている自分がいた。
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