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03 そのアンサンブルを、探し続けていた ③
しおりを挟むこれは、音楽で生きる人間の、プライドを賭けた戦いだ。いまこの瞬間だけは、高校生のアスカなんかじゃない。プロの音楽家としての意地を、見せてやる。
「ほな、行こか」
ヴゥンッ
「……っ」
全く気負う感じもなく鳴らされた低音が、腹の底に叩き込まれた。
イントロからベースで攻めてくる、Rukaには珍しい曲。だけど、そんな緊張感を突き破って、最初の一小節で『つかまれた』
「…………」
ズダダダダダダッダダッダダッ
(うわ、正確っ)
スガさんのベースに全く引きずられることなく、銃声みたいに重くて正確無比なドラムが素早く重ねられた。それでも当然のようにきっちり合わせてきてる。それどころか、そのままCD音源と同じリズムと響きに鳥肌が立つ。
でも。
(これなら、できる。だって、何度も聞いた音と『同じ』だから)
最高のお膳立て。これで弾けないわけがないっ。
私のギター、いつものフェルナンデスさんに指を走らせた瞬間『へぇ』というスガさんの声が聞こえた気がした。そう……ここなら、私のフィールドだ。
CDの完コピなら、中学で事務所に殴り込んだ時に終わってる。私の、通り過ぎて来た場所。だから、思い出のアルバムをめくるみたいに、大事に丁寧に音を紡いでいく。それはきっと、ある種の決別の儀式だった。
初対面だったけど、スガさんの言った『CD通り』という言葉の本当の意味を、きっと誰もが理解していた。これは、先人達の歴史をなぞる行為でしかなくて。ただ、だからこそおざなりに出来ない、最良の『テスト』になる。
ピタリ、と。
誰が言い出したワケでもなく、きっかり1番だけで演奏は止んだ。それ以上は、必要なかった。
「全員、とりあえず合格点ってことで、ええな?」
スガさんの確認に、私もウツミさんも淡々と頷いた。実際、初顔合わせとしては十二分すぎるくらい(というか有り得ないレベルのハイクオリティな)音だったと思う。
でも、まだ、足りない。
「んじゃ、次はほんまもんの『Leni』……いこか」
ニヤリと笑うスガさんに、今までピクリとも表情を変えなかったウツミさんが、かすかに笑ったような気がした。
私は黙って頷いた。もう、二年前の私じゃない。今さっきの『カンペキ』な演奏が『ニセモノ』だってことくらい、分かる。
まだ、行ける。この先へ。
「歌って、ほしい」
初めてマトモに口を開いたウツミさんがRukaの方を見て呟いた。
「俺が?」
首を傾げるRukaに、ウツミさんは頷いて言った。
「これは『俺達』の音合わせ……ルカがいないと『Leni』にならない」
「……分かった」
彼は頷いてマイクの前に立つと、スイッチを入れた。
「歌えるんか?」
スガさんの一応確認、とでも言うような何気ない声に、Rukaは冷えた瞳で睨みつけた。
「誰に言ってんの」
トゲトゲしいどころかトゲそのものみたいな声に、スガさんが降参するみたいに両手をあげて、Rukaは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「いつでも」
端的に呟いたRukaの声に頷いて、スガさんが表情を引き締めた。
空気が、変わった。
さっきまでとは比べ物にならない、肌を焦がすみたいな緊張感が、部屋中を駆け抜ける。静寂の中で、血管がキレそうなほどに呼吸を止めて。息が、できない。
ズンッ
(っ、きた……)
違う。さっきまでと、全然違う。
心臓の鼓動に共鳴するみたいな、そんなイントロ。揺さぶりにきてる。魂を。
こんなに熱くて澄んだ音が出せる人なんだと、喋っている時のつかみどころのない感じとは、打って変わって真剣な横顔を見つめながら思う。
ううん、これはきっといつものスガさんの音じゃない。この人の音は、多分もっと飄々としてこなれた感じのような気がする……あくまで、イメージだけど。
視界の端で、ゆらりと無表情な影が動いた。ウツミさんが、ようやく。
(間に合うの?そんなタイミングっ)
「………」
タララタタタタッタタッタタッタタンッ
口に出しては到底伝えきれないような大量の音符が、ドラムの上で雨みたいに弾ける。
当たり前のように一音のミスもなく正確で、要所できっちり聞かせてくるのに、さっきよりずっと柔らかい音だ。本当に、同じ人が叩いてるのかって疑いたくなるレベルで。
(きれい、だ……)
ほんのちょっとシンバルを利かせてるのか、シャンシャンって鈴みたいな音が跳ねるみたいにリズムをとってる。一気に優しくて幻想的になってるのは、それのせい?
(こんな音に、なるんだ)
同じ楽器。同じ楽譜。同じ演奏者。
それでも『目指す音』が変わるだけで、これだけ音が変わる……変えられるんだってことを、たった一人で無謀な証明をしてる気になってた。
ここに、いたんだ。私は一人じゃなかった。ムダじゃなかった。
何度も繰り返し弾いて、求め続けてきた音が、ここにある。
((さあ、どうする……?))
スガさんの、ウツミさんの音が、私にそう聞いてる気がする。
すごいプレッシャーだ。少しでもこのアンサンブルを崩すようなノイズが混じれば、この最高の音楽はゴミになる。
それでも弾かずにはいられない。
こんなにワクワクする音楽なんて、きっとこの世界のどこにもない。
(自分を、捨てろ。感情を、音を取り込め)
これは序盤、ベースの音をきっちり聞かせなきゃいけない曲だ。それは分かってる。でも、それ以前の問題として、これは『Leni』の曲だから。
Rukaの歌声に寄り添うのは『Leni』じゃなきゃいけない。
(答え合わせの、時間だ)
これが『Leni』の答え。この耳が、弾き出した『正解』だ。
「「………っ」」
つかまえた。
二人分の呼吸を呑み込んで、音が走り抜けていく。この世界を、支配する。
いまこの瞬間、私は『Leni』だ。
(最後の一音、聞かせて……ルカっ)
スゥ、と微かに息を呑む音さえもが、鮮やかな音楽の隙間を縫って聞こえた気がした。
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