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最終話 ピュレグミ
しおりを挟む甘露さんと席が離れてしまい、半年程経ち、早くも新年を迎えていた。
僕にとって、あの嘘みたいな1ヶ月間がどれほど支えになっていたか、彼女と離れてみて初めて分かった。
本当に、奇跡のような時間だった。
同じクラスと言えど、休み時間に人並みを掻き分けて甘露さんと話しにいく勇気は、僕にはない。
だから僕は、勉強をした。
将来、甘露さんが喜んでくれるようなお菓子を生み出せる人になりたい。
いつしかそれが、僕の夢になっていた。
それには大手お菓子メーカーで働くのが一番の近道だと思った僕は、足りない学力を埋める為に必死だった。
休み時間も定位置には行かず、参考書とにらめっこする。
ぼっちだけど、ぼっちじゃない。僕には友達がいるから、頑張れる。
ふと、教室前方から、懐かしい声がした。
「えー、そんなことないってー!」
「そいえばココ、もうすぐ誕生日だよね?」
「そーだよ! バレンタインだから、みんなチョコよしくねー?」
やけに大きな声が、僕の席まで聞こえてきた。そっか……バレンタインが誕生日なのか。なんか甘露さんっぽいや。
この日から僕は、勉強の合間にとある工作を始める。
それはもちろん、お菓子の家。
僕に生きる目標をくれた人の夢を、叶えてあげたい。スケールは小さいかもしれないけど、僕はこれを、彼女にプレゼントしたいと思った。
迎えた2月14日――僕は誰よりも早く学校に来て、ホールケーキ用の大きなケーキ箱に入った自作のお菓子の家を、甘露さんの机の上に置いておいた。
決して見返りを求めていた訳ではないから、当然送り主の名前は伏せて。
続々とクラスメイトが登校してくると、すぐに騒ぎになる。
「ねえココ、これ誰から!? めっちゃ豪華じゃん。しかも、クオリティ超高いし! みんなも見てよ、コレすごくない?」
「どれどれ? え、ヤバ過ぎなんだけど!」
「ねえねえココ~、誰からなのか教えてよ~」
「ふふ……教えなーい!」
「えー? 教えてよー!」
「秘密だよー」
その日の帰り、下駄箱の中には、一通の手紙と小さな包みが入っていた。
手紙には、いつか見たことのある可愛らしい筆跡で「ありがとう」の5文字だけが記されていた。
そして透明な袋の中には、美味しそうな手作り感のあるチョコレート。
差出人の名前はなかったけれど、奇しくも、こんなにも早くお返しを貰ってしまった。
更に月日が経ち、3年生になった僕と甘露さんは、クラスすら別々になった。
受験生の1年間は今まで以上にあっという間で、結局卒業するまで、彼女とはひと言も会話することはなかった。
猛勉強の甲斐あって、志望大学にもなんとか合格した僕は、この町を離れることになった。
全く新しい環境で始まった大学生活は、気の許せる友達も何人かできたし、人並みには楽しく過ごせていたと思う。
もちろん勉強や就職活動にも手を抜かず、4年生になった僕は、第一志望の企業から内定を頂いた。
大学を卒業した3月、僕は久しぶりに地元へと帰ってきた。これからは、またこの町での生活が始まる。
買い物に出ようと家を出ると、赤いベンチに目が留まった。甘露さんは、今頃何をしているのだろうか。世界中のお菓子を全制覇することは、出来たのだろうか。
紳士服店でネクタイを買うと、懐かしい街並みを一人歩いていた。この数年で変わっている景色もあれば、変わっていない良さもある。そう言えば昔、良いものは残り続けるって会話をしたような……。
――その時だった。
「もしかして……塩野?」
背後から聞こえる、懐かしくて、どこか安心する声。
振り返るとそこには、少し大人っぽくなった、甘露さんがいた。
「か、甘露さん……?」
「あ、やっぱ塩野じゃん! なんか背伸びた? しかも寝癖もないし、昔より断然カッコよくなってる!」
「甘露さんは、少し落ち着いたね……」
「だって、流石に22でギャルはマズイっしょ?」
「それもそっか」
「塩野は今なにしてんの?」
「大学卒業して、先週こっちに戻ってきた。4月からは社会人だよ」
「そっかそっかー」
「甘露さんは?」
「ウチは専門卒業してからネイルの仕事してる。いつか独立するんだ~」
「すごいね、経営者?」
「そそ、やっぱ美容系は自分でやったほが気楽だし」
「甘露さんなら、きっとうまくいくね」
「そういえばさ、塩野、敬語じゃないね?」
クスクスと笑う甘露さんは、どこか嬉しそうだった。
「あ、全然意識してなかった……敬語に戻した方がいいかな?」
「ダメだよ! だってそれって、塩野が自分に自信持った証拠でしょ? ウチはそっちの方が嬉しいよ?」
「そっか、ありがとう。全部、甘露さんのおかげなんだ」
「こっちこそありがとだよ。あの時のお菓子の家さ、食べるのもったいないのもあったけど、全部食べ切るのに1週間もかかっちゃった」
「あ、あれを全部一人で食べたの!?」
「そりゃあ……せっかく塩野が頑張ってくれたんだし、独り占めしたいじゃん?」
「そっか……でも喜んでくれて良かった。チョコも、すごく美味しかった」
「でも……あれだね……あんなちっちゃいのじゃ、お返しに釣り合ってないからさ、この後どっか行かない? もちろん暇だったらだけど……」
甘露さんはもじもじと視線を逸らした。
「うん。じゃあ、お言葉に甘えて」
僕の返答を受けパァッと晴れやかになったその表情は、昔のままの無邪気な笑顔だった。
「じゃあさ、この近くにパンケーキがめっちゃ美味しいカフェあるからそこ行こ!? あ、グミ食べる?」
そう言って彼女は、鞄からお菓子を取り出す。
数年前、隣の席で何度も見たあの笑顔を、また隣で見ることができた。
でも今の僕は、これだけで満足したくない。
カフェについたら、彼女に今彼氏はいるのか聞いてみよう。
もしもいなかったら、連絡先を聞こう。
そして、出来れば、次会う約束をしよう。
了
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