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第6話 ココアシガレット
しおりを挟む――週が明けて月曜日。
とうとう、この日がやってきてしまった。
今日の放課後、甘露さんが……クラスのアイドル的存在の女子が……僕の家に来る。
ダメだ……まだ起床から30分も経っていないのに、緊張して鼻血が出そうになるのは、もうこれで3度目。
「朔ちゃん、どうしたんだい、顔、真っ赤だよ?」
共に食卓についていた祖母が心配そうに僕を見つめていた。
「な、なんでもないよ! 今日ちょっと暑いね!」
「冷房いれるかい?」
「う、ううん、それほどでもないから大丈夫……!」
朝食を済ませて洗面所に向かうと、いつもはそんなこと気にも留めていなかったけど、なんとなく寝癖を直てみた。慣れないことをしてみても、その程度の付け焼刃では大して変化のない、鏡に映る間の抜けた顔。虚しくなって吐息を漏らす。
「何を期待してんだろ……僕は……」
この日の授業はやけに時間が経つのを早く感じた。あっという間に放課後になると、満面の笑みを浮かべる甘露さんが僕の席のすぐ横で鞄を持って立っていた。
これではもう逃げられない。まぁ、逃げる気なんてなかったけれど。
彼女に迷惑はかけまいと、一定の距離を保ちながら駄菓子屋まで辿り着くと、甘露さんは祖母に愛想よく挨拶をする。そして、くるっと僕の方を向いて思い出したように言った。
「そうだ塩野、あの日のお礼したいから、なんでも好きなのウチに奢らせて?」
「え、でもそれは僕もこの前助けて貰いましたし、お互い様なんじゃ……?」
「だって塩野はあの後ガムまでくれたでしょ? そのお返しはまだしてないじゃん!」
「そ、そうですけど……」
「いいから、早く選んで!」
「分かりました……」
どうやっても引いてくれそうになかったから、しぶしぶ僕も一緒にお菓子を選んでいると、甘露さんがとある棚の前で立ち止まる。
「あ、これ超懐かしい~。小さい頃パパの真似してタバコの代わりにこれ咥えたりしてたな~……」
「じゃ、じゃあ僕これにします。甘露さんと名前も同じですよね」
僕にとっては何気ない一言に、甘露さんはムスッとしたようにボソッと呟く。
「やっぱウチの名前、覚えてんじゃん……」
「え? 今なんて言いました?」
「別に! じゃあお婆ちゃん、これ下さい! それからこれとあれ、あ、これも!」
「そ、そんなに買うんですか……?」
「だって今日をずっと楽しみにしてたからね~。誰かさんがずっと誘ってくんなかったから」
そのジトっとした視線は、僕の心臓を直接攻撃する。
「す、すみませんでした……」
買い物を終え店の前に設置されている赤いベンチに並んで腰かけると、甘露さんは買ったばかりの大量の駄菓子を幸せそうに食べ始めた。この人は本当に美味しそうに食べるなあ、なんて思っていると、ふいに目が合う。
「塩野は食べないの? あ、ねえねえ、タバコ吸ってるみたいに食べてみてよ?」
「こ、こうですかね?」
僕が不慣れな手つきでお菓子を咥えると、彼女は突然吹きだして、大袈裟にお腹を押さえながら笑った。
「アハハハハハ……塩野、マジ超似合わねー……ヤバ、お腹痛い……」
「そんなに笑わなくても……甘露さんもやってみてくださいよ!」
僕がムキになって箱を向けると、彼女はそれを2本の指に挟んで一瞬口につけ、フーっと息を吐く。なんだかやけに、様になっていた。
「もしかして甘露さん、タバコ吸ってるんですか?」
「は? 吸ってるわけないじゃん! 塩野にはウチがどう見えてんの?」
「だってやけに慣れてますし」
「パパの真似しただけだし!」
「そうですか、すみません変なこと言って……」
「……てかさ、前から思ってたんだけど、そろそろ敬語やめない? タメなんだしさ」
「いや、そんな……僕なんかが恐れ多いですよ……」
「なんで? ウチら友達でしょ?」
「え……」
さも当然のことかのように彼女は今、僕を友達と言ったのか? いや、そんな訳ない。僕みたいな奴と甘露さんみたいな美人が友達になれる筈がない。きっと聞き間違いだ。そう、聞き違いに、違いない。
「え……違った……?」
甘露さんは、初めて幼稚園に向かう園児のような、寂しげな表情を浮かべていた。
「あ、あの……僕……ろくに友達っていたことなくって……だからこんな時、どうしたらいいか分からなくて……」
「塩野はウチと友達になるの、イヤ……?」
「そんなことありません! むしろ僕にそんな権利があるのか心配になってしまって……」
「あのね……友達になるのにさ、権利とか資格なんていらないよ? ウチは塩野と好きなお菓子について話すの楽しいし、勉強は嫌いだけど、塩野と隣の席になれて良かったなーって思ってるし……」
「ぼ、僕も、甘露さんと隣の席になれて嬉しいです! 毎日学校へ行くのが、楽しみで仕方ありません!」
「良かった……じゃあウチら、今日からホントの友達だね!」
「は、はい……よろしくお願いします……」
「あれー? せっかく友達になったのにまだ敬語ー?」
甘露さんはニタリと、揶揄うように言う。
「そ、それはもう少し待って下さい……僕がもっと自分に自信が持てるようになれる、その時まで……」
「そっか……じゃあその日を楽しみにしてる!」
甘露さんは、大量に買ったお菓子をものの30分で全て平らげてしまった。
「甘露さんて、本当にお菓子大好きですよね。そんなに食べて飽きたりしないんですか?」
「全然飽きないよ。だってウチの食べたことないお菓子が世界中にまだ沢山あるだろうし、それぜーんぶ食べ切るのがウチの夢だから!」
「全部ですか……果てしないですね……」
「まだ他にも夢はあるけどねー」
「それは、どんな夢ですか?」
「それはねー、いつかお菓子の家に住むこと! そう考えたら駄菓子屋さんって、ほとんどお菓子の家だよね。もしかして塩野と結婚とかしたら、ウチの夢叶っちゃう?」
「な、何言ってるんですか!」
「冗談だよー。なにムキになってんのー?」
ケラケラと笑う甘露さんに、僕はいくら感謝してもしきれないくらいの恩を感じていた。
――それからすぐに、席替えがあった。
僕と甘露さんは席が離れてしまい、会話をする頻度は、嘘のように減っていった。
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