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十六、

十六、

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 佑樹は大学の進路指導室の強力なコネで、少しは名の知れた商社に入社することができた。僕たちは相変わらず時々会って食事をしていたが、向こうが選ぶ店がチェーンの居酒屋から一気にグレードアップした。舌の肥えた先輩に連れて行ってもらうのか、あちこちに馴染みの店ができたようで、「ここのワインは……」などとうんちくを垂れながら、僕を連れて行くのだ。そして勘定はクレジットのゴールドカードを取り出し、テーブルの真ん中にバン!と置く。それをやられたら僕のプライドが……と考えるデリカシーは、彼にはなかった。僕がちょっと気まずそうな顔をすると、「いやー、辰起くん、出世払いでいいですよー」と笑った。
 佑樹は卒業した年の秋に結婚した。パーティで知り合ったという、実に綺麗な、そして見た目にいかにも金と手間がかかっていそうな種類の嫁さんだった。僕は結婚式にはマユミちゃんも来るものだと思い込んでいたが、当日式場を見渡しても、マユミちゃんの姿は見えなかった。父に聞いたが、「最近いろいろあってな」と言葉を濁されるばかりだった。
 僕は式が終わった翌週、思い切って佑樹のフェイスブックにメッセージを送った。マユミちゃんがなぜ式に来なかったのかと聞いてみたのだ。佑樹は新婚旅行の最中らしい、泊まったホテルや嫁さんとのツーショットを数時間おきに更新していた。
 ちょうど半日して、寝ていた真夜中に、返信が来た。「こっちは今昼」「招待状送ったんだけど来ないって言われた」「自分で聞きゃいいじゃん」「携帯の番号、ないの」「070-XXXX-XXXX、でもだいぶ前のだから変わってるかも」。
 僕は朝、目を覚ましてそれを見た。目の前にあるこの携帯番号を押せば、すぐマユミちゃんと連絡がつくはずだ。僕はぐちゃぐちゃと決めかねて、つい佑樹の泊まっている豪華なホテルの写真に目がいった。いいなあ、自分もさっさと就職しておけばよかった。僕は慈とシングルベッドに折り重なって寝ていた。せめてダブルベッドの置ける広さの部屋……と思いはするし、慈の会社の福利厚生制度を使えば借りられないわけではない。だが、そうしたら僕はいよいよ慈に経済的に頼って生きている男になってしまう。慈もそれをわかっているから、あえて言い出さないようにしてくれているようだ。でもそんなちっぽけな僕のプライドのために、週末だけとはいえ体を屈めて寝なければならない慈が不憫だった。
 ……この思考回路からも、僕は自分がうじうじした性格だと思う。いっそ、佑樹みたいに細かいことを考えず素直に振る舞えたら楽だろうに。院生になることを決めたのは自分なのだ、他人を羨んでいる暇があれば少しでもいい就職先が見つかるよう、研究を頑張ればいいだけの話だ。それと同じようにマユミちゃんだって親戚なのだ、電話一本かけるぐらいわけないじゃないか。
でも僕はこの時マユミちゃんに連絡しなかった。うじうじした思いを振り切った僕がしたのは、台所へ行って、慈の好物のオニオンスープを作ることだった。僕はそこまでマユミちゃんを思っていなかった。

 結局僕は修士課程を修了したところで、企業の研究所に職を得て、思い切って慈にプロポーズした。一番嬉しかったのは給料が入って、クレジットカードを財布に入れイケアにダブルベッドを買いに行った時だったから、自分でも少し恥ずかしい。式を挙げることになって、父に招待状を送ったら、断られた。
「母さん側の親戚を立てなさい。」
 確かに、僕はずっと母に育てられたし、母は交際相手のおじさんと最近正式に入籍して、おじさんは僕の結婚式の資金も援助してくれると言っている。そこで父側の親戚からは、佑樹だけを招待することにした。
 本当はその時に、マユミちゃんのことも聞きたかった。でも勇気がないまま、うやむやなままにしてしまった。
 佑樹が連絡をとってくれたお陰で、結婚式の二次会には僕の小学校の同級生を何人も呼ぶことができた。その中に畑中太もいて、僕のよく知らないゲームネタで慈と盛り上がりだした。佑樹もそこへやって来て、酔っ払ってガードが甘くなっていたのか美少女ゲーム、しかも成人向けコンテンツに対する持論を熱く語りだした。畑中は笑って「こいつ、結婚前に俺にやばい物証全部くれたんだよ」と言った。素直な佑樹だが、美少女ゲーム趣味を隠すのだけはポリシーなのであるらしい。携帯電話にメッセージが入っているのを確認すると、「おい、あと五分で嫁が迎えに来る!お前ら18禁ネタはやめろ!」と叫んだ。そして僕たちは、「知的で大人な男女」として、上品に芸術や文学の話をすることを強要された。みんなは笑いを噛み殺しながら、嫁さんに肩を抱かれて車に乗せられていく佑樹の後ろ姿を見守った。他人の結婚式の二次会でここまでやれるとは、ある意味すごい男だ。
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