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第1章 新担任

第8話 テロ勃発

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聡は一気に家まで駆け込んだ。

―――よかった、本当によかった。

手の中の携帯を見る。本当に悪さはされていないようだ。

胸がドキドキしている。

胸の鼓動を収めるように、冷蔵庫からミネラルウォーターをとりだしてごくごくと飲む。

ひと息ついたところで、携帯の実家の番号を表示しようとして、操作する手が止まった。

冷たい水が動揺した心をクールダウンしたようだ。

―――だめだ。実家になんて頼れない。

聡の実家は今は山口県の萩にある。

父親も母親も教師だった。

単なる教師ではなく、日本人学校の教師として一家でカナダのバンクーバーにいたこともある。

そんな両親の口癖が

「成人したら、何があろうとも親を頼るな」だった。

成人、とは聡の場合、大学を出るまでの意味だったけれど。

それに加え、聡は1年間、サンフランシスコの大学に留学したとき、

その費用も、聡自身もバイトをしたとはいえ、大半を出してくれた。

聡の将来のためになることだったら、身を投げ出すようにしてくれた親に恩義を感じている。

だが、大学を出たあとの親は厳しかった。

博史との海外での恋にのぼせあがっていた聡は就職活動もしなかったので、

なかなか就職できなかったが、一銭も援助はなかった。

「大人は自分の始末は自分でつけろ。例え女でもだ。現代は男女平等だ」

というのが父の口癖だった。

しかし厳しいことを言いながら娘の身を案じているのも知っている。

そんな親に、教師を3日で辞めるとも、その詳しい理由もどうしていえるだろうか。

聡は携帯を持った手を下ろした。

    

 

―――学校を辞めて博史さんのところにいくまではまた、バイトで食いつなげばいい。

聡は自分を慰めた。そう思って辞表を書く。

学校には正直に理由を言うつもりだった。

未遂だから告訴するまではないと思う。

 『やめるなよ』

『辞表』のタイトルを書き始めたとき、その声が脳裏にひらめいた。

 『やめるなよ、俺が守るから』

鷹枝将の声。間一髪で助けてくれた。

携帯もわざわざ届けてくれた。

―――でも。あんな子。東大生なんてウソついて。名前だって……。

しかし一度鳴り出した『やめるなよ』のリフレインが止まらない。

聡は一枚書き損じてしまった。

静かにしていると『やめるなよ』のリフレインがうるさいので、聡はテレビをつけてみた。

いつも見ているバラエティがあるはず。

古いテレビは画面が明るくなるまえにまず音声が聞こえる。

しかし、笑い声が聞こえない。何か緊迫したアナウンサーの声が聞こえてきた。

ようやく画面が鮮明になった、と思ったら煙がもうもうと出ている建物が映った。

左端にテロップがあった。

『中東カタールでテロ邦人多数負傷か』

中東カタールといえば、婚約者の原田博史が赴任している場所だ。

「ただいま、臨時ニュースをお伝えしております。中東カタールで大規模な自爆テロがあり日本人が多数負傷している模様です」

聡は息が止まった。

   

 

テレビの画面に映し出されたのはあの911を思い起こさせるようなすさまじい煙だった。

襲撃されたのは日本企業を含む外国企業の入ったオフィスビルで

大量の爆薬と燃料を積んだタンクローリーが突っ込んだらしい。

1Fホールを中心にビルの低層階は火に包まれ、いまなお消火活動中だという。

画面に映し出された町は、消防と警察と野次馬が入り乱れて、騒然としている。

血に染まったビジネスマンらしき男が担架で運ばれていく。

血染めの包帯をまいたアラブ系ビジネスマンらしき男が放心した状態でインタビューに答える。

「ビルから出てきたら、爆発の勢いで5mも飛ばされた。ガラスの破片にやられた。

1階ホールにはエレベーターを待っている人もたくさんいた」

聡は固唾を飲んで、テレビを見守った。

状況は映し出されるが、なかなか続報は届いてこない。

あのビルは博史の働いているビルなのか。

博史の名刺を取り出して住所を見たが、わからない。

思い切って国際電話をかけてみたが、つながらない。

そこへ、望遠レンズが捉えたビル上層階が映し出される。

大勢の人が窓から助けを求めている。

ネットを開いてみた。博史から無事だと、メールが届いているのを期待した。

しかし届いていない。

頭を抱える聡の耳にアナウンサーの声。

「えーただいま、続報が入ってまいりました。

襲撃されたのはカタール中心地区にある××タワービルでして、

3階と5階に日本企業が入っています。

入っているのは○×商事、○×エレクトロニクス……」

聡は目の前が真っ白になった。博史のいる会社が読み上げられたのだ。

―――博史さん!

ニュースは非情にも読み続けられる。

「ビルは3階までが壊滅状態になっており、多数の死傷者が出た模様です。

死亡した方の中に日本人が含まれているかどうかはわかっていません」

死。と聞いて聡は震える。

―――あの博史さんが死ぬ?

ほんの2~3週間前に確認した博史の笑顔や逞しい体、熱い体温を思い出す。

―――そんなこと、ありえない!

「最悪の場合、ビルが倒壊する恐れもあると現地消防局は懸命に消火活動と、

上層階に取り残された人々の救出活動を急いでいます」

聡はテレビにかじりつきながら、無事を告げるメールが博史本人から到着することを願った。

そんな聡は、ひさしぶりに涼しい夜が訪れたことすら感じるゆとりはない。

   

 

マンションの駐車場でミニを降りた将は、半そでに少しひんやりとした空気を感じた。

―――ようやく夏も終わるのかな。

自宅のマンションの扉を開けたとたん、ギャハハと馬鹿笑いと共に若者の嬌声、

ズン、ズン、ズンと音楽の重低音が響いた。

12畳のリビングには、煙草の煙が立ち込め、制服姿、私服姿を問わず、

若者が男女入りみだれて、ちらかった菓子やその他で足の踏み場もないほどだった。

なかには将が直接知らないやつもいる。

将の家は帰りたくないヤツの絶好の溜まり場になっていた。

「ショウさ~ん」

「将、遅かったじゃんよ」

「将」「将さん」

と皆が将を歓迎する。

すでに酒も入っているらしい。

将は「ハイ」とコンビニ袋を差し出し、

ソファーの、瑞樹が「こっち」と示した隣に腰をおろす。

何を話すでもなく、くだらない話。

何を成すでもない、くだらない遊び。

そんなもので時間をつぶす。

将は場に加わりながらも、心は完全に醒めてまわりのようすを睥睨していた。

「頬、どうしたの」と瑞樹。

「別に」と将ははぐらかした。

瑞樹は少し不服そうな顔をする。

そこへ、かん高い少女の声。

「将さん、このコぉ、将さんに憧れててえ」

などと真っ赤になっている少女を紹介している、その少女すら、実は将にはあまり覚えがない。

あどけない顔だから中学生かもしれない。

将はさげずむのか照れてるのかわからないような笑顔だけを返す。

しばらくたつと皆酒がだいぶまわってきた。

酔いつぶれて寝ているものもいる。

「将さ、さっきのひどくねー?」と井口。

赤くなってロレツと共に、理性も少し飛んだらしい。

「前原、泣いてたよ」

前原とは将が顎をくだいたラテンの名前だ。

「そうそう。せっかくいいところだったのに」

と瑞樹も井口に加勢する。酒で白い頬に少し赤みがさしている。

瑞樹には不思議な性癖がある。

女がヤられる現場にかならずいて、面白がるともなく冷静に、少しだけ笑みを浮かべて見下している。

前から不思議だったが、将にはだいたい理由はわかっている。

たぶん瑞樹自身もそういう修羅場を経験したことがあるのだ。

だからこそ女が同じ立場にひきずり降ろされる様子を確かめたいのだろう、と見当をつけている。

可哀想な女だとは思うが、相手が聡の今回は別だ。

将は上に向けた顎をゆっくりと下げながら、井口、そして瑞樹、その他クラスメートのほうをみやった。

目を心持ち細め、その瞳だけで。

その視線の冷たさに井口はギョッとした。将に関する、ある噂を思い出して凍りつく。

「や、あいつもいけないんだけどさぁ」

とあわててフォローする。

瑞樹も不服そうではあるが押し黙った。

「ふん」将はビールをぐいっと飲んだ。

―――どいつも口ほどにない。

将は、席を立った。

「あん、将」

引きとめようとする瑞樹に

「風呂」と言っておく。

それを聞いた中学女子が二人つつきあって「キャー」など騒いでいる。

―――うるせーの。

何もかも今日の将にはうるさくなった。

腫れた頬にシャワーの熱い湯がひりつく。

流れるような若々しい筋肉がついた将の裸身。

なめらかな皮膚の中、背中から上腿にかけて、古いケロイドのような傷跡が斜めに横切っていた。

あの事件でできた傷だ。

「じゃ、俺もう寝るから」寝室に入る前、将はそれでも騒いでいる一群に一声かけておいた。

「ええ、もう~?」12時を少しまわったばかりだ。

まわりの騒ぎをよそに将は寝室に引き上げた。

 

 

暗がりのなか、将はセミダブルのベッドの上、ノートパソコンでインターネットをチェックする。

画面からのわずかな青い光だけが将のよすが―――。

そんな状態がとても落ち着くのだ。

将は株をやっている。

自分名義の貯金を元手に投資を続け、それで中古ではあるが、あのローバーミニも手に入れたのだ。

取引は終了しているが、売買のために情報を収集する。

ポータルサイトのニュース一覧に

「中東カタールでテロ、邦人に死傷者」とあるのを見つける。

そして裾から煙を吐くビルの画像。

将は嫌なことをかすかに思い出した。

突然の爆発音。充満する煙。迫り来る熱さ。腰にのしかかった重い柱。

そして、泣き叫ぶ孝太。「お兄ちゃあん……」と必死で叫ぶ声。

将はパソコンを閉じた。

まさかこのニュースが聡に関係あるものとは将はまだ知らない。

寝室のドアの外からはまだワイワイ、ズンズンと音が聞こえてくる。

将は音楽をかけた。

深海のように光のない室内にけだるい、つぶやきのような低いヴォイス。

リズムではなくメロディをきざむベース。

その中で頬が少し熱をもっているのがわかる。

将はベッドボードに寄りかかって、暗闇に聡の姿を投影した。

―――まだいてえ……。だまってやられるところ見といたほうがよかったかな。

―――助けてやったのに、携帯を届けてやったのに礼の1つもないんだぜ、あの女。

将の脳裏に、押さえつけられた聡の姿。

―――なかなかいい体だった。って何考えてんだ俺。

胸は横たわっていても柔らかそうなボリュームを保っていた。

乳首はどうだっけ?

さらに細部を思い出そうとすると肩をふるわせて泣く姿が浮かんできた。



 コツ、コツ



ドアを叩いて、入ってきたのは瑞樹だ。

「将。あたしよ」

いい、とも言っていないのに、瑞樹は暗い部屋の中に入ってきた。

オーディオのパイロットランプのみが暗がりに赤や黄緑や青に光っている。

光はそれだけなのに、目が慣れたのか瑞樹が枕もとに腰掛けたのがわかる。

夢想の邪魔者に将はあからさまに嫌な顔をしたのだが、

瑞樹のほうの目は暗がりに慣れていないのか、そんな将の表情は見えていないらしい。

シャンプーの香りがする。

「バスローブ借りたよ。……こんな真っ暗にして何してるの」

「別に」

「ハイ」

何かを手渡された。掌にあたる冷たい塊。

「保冷材。ほっぺた赤かったから」

「……サンキュ」

瑞樹はベッドの上に乗ってきた。

今までの関係上、仕方がないので少し横にずれてやった。

瑞樹は将の隣、ふれあうほどの近さに座る。

「あいつらは?」

「また酒飲みゲーム」

瑞樹はさらっと言った。

グループでゲームをして負けた者が酒を飲む。

一見ゲームだが、女の子を酔いつぶれさせてヤる遊びだ。

今日は実はあの中学生らしき女の子がターゲットらしい。

将はまたか、と呆れた。

―――そんなに女に飢えているんだろうか。

否違う。単に退屈しているのだ。

行き場のない自分の力をどこかで爆発させたいのだ。

それを、女に向けている、それだけだろう。それは将にもわかる。

「この音楽何?暗いね」瑞樹が訊く。

つぶやくようなヴォーカルの音域は、

日本の平均的なヴォーカリストより1オクターブも低く感じる。

煙草の吸いすぎで死んだフランスのアーチストだが、

瑞樹は知らないだろうから将は言わない。

ふいに明るい曲になる。

「ね、この歌エッチな歌でしょ」

「……知ってるの?」

「なんとなく勘」

勘はあたっていた。棒つき飴と少女を歌った歌詞は実はエロティックなことを暗示している。

瑞樹の白目が暗がりで妖しく光った。

情を訴えるのは黒目だが、人を威圧しその通りに従わせるのは白目である。

瑞樹はベッドに深くもぐりこんだ。

若い将の体はすぐに反応してしまった。

慣れ親しんだ快感。将は瑞樹がしたいようにさせておくしかなかった。

扉の向こうから「将さ~~ん」

「いや、いや~~~~」

と切れ切れに聞こえてきた。

泥酔しているせいか、叫び声になっていないような、だらしない細い声だ。

でも確かに助けを呼んでいる。

「助けにいかないの?」

瑞樹が、飴を舐めるのを止めて、ベッドの中から問い掛ける。

将は快楽に身を委ねながら、「……いいよ、めんどくせ」とだるくつぶやいた。

「……だよね、だよね?じゃ、どうしてさっきはあの女を助けたのよ」

瑞樹がシーツを剥いでガバと起き上がる。

「関係ねえだろ……」将はつぶやくしかない。

「いつもは黙ってるのに。おかしいよ。変だよ」

―――だまれよ、途中でやめるなよ

走り出した本能はもう止められないところまで来てしまっている。

将は瑞樹の唇に自分の唇を押し当てて黙らせた。

すべてが終わったとき、将の頬は痛みを再び主張しはじめた。

聡が触れた痕跡。

寝息を立てる女と一緒にいる自分に急に罪悪感が芽生える。こんなことは初めてだ。

神に許しをこうように、将は聡が明日学校へ来ることを祈りつつ、眠りに落ちていった。
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