55 / 427
第3章 クリスマスの約束
第48話 失踪(1)
しおりを挟む
「……将!」
また将の夢を見て、聡は目覚めた。目じりから涙が枕へとつたっている。
ここのところ、いつも将の夢を見ては泣いて目が覚める。
将がいなくなってもう2週間になる。
教室は何も変わらないように見える。ぽっかり空いた、教卓のまん前の席を除いては。
最初の月曜日。康三の秘書と義母がやってきて、将が2学期末で中退する旨を学校に伝えた。
義母は応接室に聡を呼ぶと、人払いをした。
そして、誰もいなくなるやいなや、聡に深々と頭を下げた。
「どうか、あの子から連絡がありましたら、お知らせください。お願いいたします」
その目は必死だった。義理や建前でやってるとは思えない真摯さがあった。
聡はぼんやりと、この人が将を炎の中に置き去りにして逃げたんだ……と見ていた。
将の捜索は、父親の鷹枝康三氏の立場もあり、極秘で行われているらしい。
皮肉なことに、その週に学校に届けられた、模擬試験の結果は――。
生徒たちは、聡が今までどおりの英語の授業を続けるのに、充分な結果を残していた。
将は、といえば現代国語と小論文、数学は東大のボーダーにもう少し、というところだった。
9月まで中学の復習をやっていたことを考えれば素晴らしい成績だった。
英語などの記憶系教科は東大、ワセダ、ケイオーには届かないものの、
いわゆるMARCH大だったら充分合格をめざせるレベルに到達していた。
いずれも短期間で驚異的な成績を残していた。
聡が考えた独自の英語授業はそのまま続行されることになった。
映画やカラオケを使った、にぎやかな授業風景。
最初の頃と違って、生徒たちは聡を信頼し、慕ってくれる。教師冥利につきる毎日があった。
……ただ、将だけがいない。
笑って授業をしながら聡の胸には風穴があいたような虚無感があった。
今年最後の社会見学は『ダンサー』だった。
クリスマスイベントを参加・見学、かつその楽屋で話を聞くという、いままでにない派手な企画だった。
私服での参加を許可した初めての社会見学だったが、井口らは最高にエキサイトし、ノッていた。
イベントは聡とて一緒に盛り上がってもよかったのだが、そんな気になれなかった。
あくまでも引率の教師という立場を貫いたのは、いうまでもなく心が沈みきっていたからだ。
理由は簡単。将がいないからだ。
将のいない世界は、なんだか醒めたスクリーンの向こうの世界を見ているようなそらぞらしさだった。
どんなに鮮やかなライトも色あせて見え、どんな音楽も単なる空気振動にすぎなかった。
世界は無味乾燥になり、時はいたづらに規則正しく過ぎていくだけだった。
22時まえに社会見学を終えて、生徒たちと別れた聡は、近づくクリスマスに浮き立つ街を独り、歩いていた。
自分から離れたくせに、この2週間、将のことばかり考えている。
あれから、将を探そうとしたことがある。
携帯の番号にかけても、ずっと『この携帯は電源が入っていないか電波の届かないところにあるか……』のメッセージが流れるだけだ。
メールも送ったが届いているのかわからない。
だけど、他にどこに電話をかけたらいいのか、どこを歩けばいいのか、わからない。
聡は、将のことを何もしらない自分に初めて気付いた。
――どこへいってしまったの。
聡は都会の明るさに星も見えない夜空を見上げた。雪さえも降る様子がない。
と、交差点の向こうの人ごみに背の高いぼさぼさ頭が見えた。
「将!」
聡は思わず車道に走り出た。
急ブレーキをかける車。バランスをくずして倒れる聡。抗議のクラクションが鳴り響く。
「気をつけろ、ブス!」
罵声と共に走り去る車。
――違った。将じゃなかった……。
聡はその場に座り込んでしまった。
年配の男性や女性が見かねて「大丈夫ですか?」と肩を貸すまで放心していた。
聡はあてどもなく、将と歩いたところをさまよった。
そのときの将が、幻影となって浮かんでは消える。
あのカフェの前を通った。
ガラスごしにソファが見える。
温かい色の照明に照らし出されたそこに座っているのは仲がよさそうな若いカップルだ。
『もう一度ショウって呼べよ。呼ぶまで離さない』
じゃれあった思い出が蘇る。
「将……」
聡の頬を涙がつたっていた。涙にネオンが反射してきらきらと光る。
通り過ぎる人が不審と好奇の入り混じった目で聡を見るが、今の聡にはまるで関係なかった。
――将に会いたい。会いたい、将。
聡は手で顔を覆った。
聡は、今までの人生で自分の選択をこれほど後悔したことはない。
土曜日も同じだった。
夢の中で将に再会し、嬉し涙を流したところで、目が覚めた。
聡は涙を流したまま、天井を見つめた。
――夢でもし逢えたら素敵なことね、なんて歌があったっけ。
現実に目を覚まさなくてはならない、いまの聡には、つらいばかりだ。
しかし夢にも現れなくなったときが来ることを考えるのはいやだ。
将がいなくなって、聡の眠りは浅くなった。気力がないから早く床につくが、ずっと眠れない。
寝返りばかり打つ夜の長さは、聡の選択を失敗だ、失敗だと責める。
休みだというのに早く起きてしまった聡はパソコンを開いた。
博史からメールが届いていた。
=========
アキ
なかなか連絡できなくてごめん。
今年は、25日の朝に成田に到着しそうです。
そのあとは年内は休暇になるので、二人でゆっくりと過ごそう。
それから、前にも伝えたと思うけど、重要な話があるんだ。
君はきっと喜んで協力してくれると思う。
それがお互い最大のクリスマスプレゼントになればいいなぁ……。
もうすぐ逢えるのを楽しみにしています。
博史
========
博史にあと1週間もしないうちに逢えるというのに、聡は何も感じなかった。
4ヶ月前、お盆に帰国したときは、指折りながら帰国の日を待ちわびたのに。
今の聡は、むしろ不安を感じた。
『聡がきっと喜んで協力する重要なこと』って……。
中東赴任が終わるとか、結婚を早めるとか、そういうことなのか。
しかし協力とあるのは、何なのか。
聡はいつのまにか博史に逢うことに恐怖を感じていた。
また将の夢を見て、聡は目覚めた。目じりから涙が枕へとつたっている。
ここのところ、いつも将の夢を見ては泣いて目が覚める。
将がいなくなってもう2週間になる。
教室は何も変わらないように見える。ぽっかり空いた、教卓のまん前の席を除いては。
最初の月曜日。康三の秘書と義母がやってきて、将が2学期末で中退する旨を学校に伝えた。
義母は応接室に聡を呼ぶと、人払いをした。
そして、誰もいなくなるやいなや、聡に深々と頭を下げた。
「どうか、あの子から連絡がありましたら、お知らせください。お願いいたします」
その目は必死だった。義理や建前でやってるとは思えない真摯さがあった。
聡はぼんやりと、この人が将を炎の中に置き去りにして逃げたんだ……と見ていた。
将の捜索は、父親の鷹枝康三氏の立場もあり、極秘で行われているらしい。
皮肉なことに、その週に学校に届けられた、模擬試験の結果は――。
生徒たちは、聡が今までどおりの英語の授業を続けるのに、充分な結果を残していた。
将は、といえば現代国語と小論文、数学は東大のボーダーにもう少し、というところだった。
9月まで中学の復習をやっていたことを考えれば素晴らしい成績だった。
英語などの記憶系教科は東大、ワセダ、ケイオーには届かないものの、
いわゆるMARCH大だったら充分合格をめざせるレベルに到達していた。
いずれも短期間で驚異的な成績を残していた。
聡が考えた独自の英語授業はそのまま続行されることになった。
映画やカラオケを使った、にぎやかな授業風景。
最初の頃と違って、生徒たちは聡を信頼し、慕ってくれる。教師冥利につきる毎日があった。
……ただ、将だけがいない。
笑って授業をしながら聡の胸には風穴があいたような虚無感があった。
今年最後の社会見学は『ダンサー』だった。
クリスマスイベントを参加・見学、かつその楽屋で話を聞くという、いままでにない派手な企画だった。
私服での参加を許可した初めての社会見学だったが、井口らは最高にエキサイトし、ノッていた。
イベントは聡とて一緒に盛り上がってもよかったのだが、そんな気になれなかった。
あくまでも引率の教師という立場を貫いたのは、いうまでもなく心が沈みきっていたからだ。
理由は簡単。将がいないからだ。
将のいない世界は、なんだか醒めたスクリーンの向こうの世界を見ているようなそらぞらしさだった。
どんなに鮮やかなライトも色あせて見え、どんな音楽も単なる空気振動にすぎなかった。
世界は無味乾燥になり、時はいたづらに規則正しく過ぎていくだけだった。
22時まえに社会見学を終えて、生徒たちと別れた聡は、近づくクリスマスに浮き立つ街を独り、歩いていた。
自分から離れたくせに、この2週間、将のことばかり考えている。
あれから、将を探そうとしたことがある。
携帯の番号にかけても、ずっと『この携帯は電源が入っていないか電波の届かないところにあるか……』のメッセージが流れるだけだ。
メールも送ったが届いているのかわからない。
だけど、他にどこに電話をかけたらいいのか、どこを歩けばいいのか、わからない。
聡は、将のことを何もしらない自分に初めて気付いた。
――どこへいってしまったの。
聡は都会の明るさに星も見えない夜空を見上げた。雪さえも降る様子がない。
と、交差点の向こうの人ごみに背の高いぼさぼさ頭が見えた。
「将!」
聡は思わず車道に走り出た。
急ブレーキをかける車。バランスをくずして倒れる聡。抗議のクラクションが鳴り響く。
「気をつけろ、ブス!」
罵声と共に走り去る車。
――違った。将じゃなかった……。
聡はその場に座り込んでしまった。
年配の男性や女性が見かねて「大丈夫ですか?」と肩を貸すまで放心していた。
聡はあてどもなく、将と歩いたところをさまよった。
そのときの将が、幻影となって浮かんでは消える。
あのカフェの前を通った。
ガラスごしにソファが見える。
温かい色の照明に照らし出されたそこに座っているのは仲がよさそうな若いカップルだ。
『もう一度ショウって呼べよ。呼ぶまで離さない』
じゃれあった思い出が蘇る。
「将……」
聡の頬を涙がつたっていた。涙にネオンが反射してきらきらと光る。
通り過ぎる人が不審と好奇の入り混じった目で聡を見るが、今の聡にはまるで関係なかった。
――将に会いたい。会いたい、将。
聡は手で顔を覆った。
聡は、今までの人生で自分の選択をこれほど後悔したことはない。
土曜日も同じだった。
夢の中で将に再会し、嬉し涙を流したところで、目が覚めた。
聡は涙を流したまま、天井を見つめた。
――夢でもし逢えたら素敵なことね、なんて歌があったっけ。
現実に目を覚まさなくてはならない、いまの聡には、つらいばかりだ。
しかし夢にも現れなくなったときが来ることを考えるのはいやだ。
将がいなくなって、聡の眠りは浅くなった。気力がないから早く床につくが、ずっと眠れない。
寝返りばかり打つ夜の長さは、聡の選択を失敗だ、失敗だと責める。
休みだというのに早く起きてしまった聡はパソコンを開いた。
博史からメールが届いていた。
=========
アキ
なかなか連絡できなくてごめん。
今年は、25日の朝に成田に到着しそうです。
そのあとは年内は休暇になるので、二人でゆっくりと過ごそう。
それから、前にも伝えたと思うけど、重要な話があるんだ。
君はきっと喜んで協力してくれると思う。
それがお互い最大のクリスマスプレゼントになればいいなぁ……。
もうすぐ逢えるのを楽しみにしています。
博史
========
博史にあと1週間もしないうちに逢えるというのに、聡は何も感じなかった。
4ヶ月前、お盆に帰国したときは、指折りながら帰国の日を待ちわびたのに。
今の聡は、むしろ不安を感じた。
『聡がきっと喜んで協力する重要なこと』って……。
中東赴任が終わるとか、結婚を早めるとか、そういうことなのか。
しかし協力とあるのは、何なのか。
聡はいつのまにか博史に逢うことに恐怖を感じていた。
0
あなたにおすすめの小説
灰かぶりの姉
吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。
「今日からあなたのお父さんと妹だよ」
そう言われたあの日から…。
* * *
『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。
国枝 那月×野口 航平の過去編です。
独占欲全開の肉食ドクターに溺愛されて極甘懐妊しました
せいとも
恋愛
旧題:ドクターと救急救命士は天敵⁈~最悪の出会いは最高の出逢い~
救急救命士として働く雫石月は、勤務明けに乗っていたバスで事故に遭う。
どうやら、バスの運転手が体調不良になったようだ。
乗客にAEDを探してきてもらうように頼み、救助活動をしているとボサボサ頭のマスク姿の男がAEDを持ってバスに乗り込んできた。
受け取ろうとすると邪魔だと言われる。
そして、月のことを『チビ団子』と呼んだのだ。
医療従事者と思われるボサボサマスク男は運転手の処置をして、月が文句を言う間もなく、救急車に同乗して去ってしまった。
最悪の出会いをし、二度と会いたくない相手の正体は⁇
作品はフィクションです。
本来の仕事内容とは異なる描写があると思います。
イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。
すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。
そこで私は一人の男の人と出会う。
「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」
そんな言葉をかけてきた彼。
でも私には秘密があった。
「キミ・・・目が・・?」
「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」
ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。
「お願いだから俺を好きになって・・・。」
その言葉を聞いてお付き合いが始まる。
「やぁぁっ・・!」
「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」
激しくなっていく夜の生活。
私の身はもつの!?
※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
では、お楽しみください。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
【R18】幼馴染がイケメン過ぎる
ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。
幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。
幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。
関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる