353 / 427
第20章 遠い春
第347話 遠い春(2)
しおりを挟む聡が見えなくなるまでその後ろ姿を見送っていた将を、みな子もまた見つめていた。
3年生たちは皆帰ってしまったらしく、2階は急に静かになってしまった。
窓からオレンジ色に浮きあがって見えるような狭い校庭からは部活動なのか下級生の声。
しかし、それとは対照的に、校舎の中は見る間に灰色から墨色に沈んでいくようだ。
みな子は、気を取り直すように、
「行こっか」
と将に明るく声をかけた。
うなづいた将だったが、心ここにあらずという感じだった。
そんな将を振り向かせるべく……一緒に帰るときくらい、こっちを見てほしいみな子は少し冒険してみる。
「将、は」
桃色がかった橙色の夕陽が窓枠の形に浮き出た階段に差し掛かったとき、みな子は初めて将を名前で呼んでみた。
しかし、将はそんなみな子の冒険にはまるで気付かないようだ。先をどんどん歩いていく。
みな子は大いに不満を感じながらも、夕陽を受けてキラキラと輝く将のあとを追いかけて話を続ける。
茜色のスポットライトを踏みながら、将に振り向いてほしい、と祈るように。
「今週の土日、どうするの?」
階段を2段ほど降りたとき、みな子の瞳に夕陽が飛び込んできた。
それは蛍光色より鮮やかなピンク色で、みな子は思わず目を細めた。
「どうするって……。ずっと勉強だよ」
将はみな子の顔のほうに視線を一切向けないまでも、まったく上の空ではないらしく、返事は即座に返ってきた。
「ずっと家で?」
振り向いてほしい。できれば気がついてほしい。みな子はその一心で将の後姿に食い下がる。
「日曜日は岸田先生の家に行くけど」
「その前とか、後とかにちょっとだけ会えない?」
将はやっと振り返った。
しかしその表情から、みな子は返事を悟った。
憮然としそうになるのをなんとか隠した中に、みな子を憐れむような色を見つけてしまったから。
「やっぱ、だめか。そうだよね」
みな子は、自分で答えを出すと、将を追い抜いて階段を一気に駆け下りる。
下で将を待ちながらせいいっぱいの笑顔をつくる。
「来週からさ……あたし、関西で受験なんだ。しばらく会えないから……」
目をあげて自分を見る将に……みな子は小さな満足を得る。しかし、それは予想通りすぐに崩れる。
「ごめん」
将はやるせない表情のまま俯いた。
この程度はみな子の予想の範囲だった。
しかし、何度も予想して、傷つくシュミレーションをやっていても……実際に拒否されて受けた心の傷は、予想よりかなり鋭く深かった。
その痛みに負けず、みな子は前を通り過ぎていった将を追う。
「あ」
靴箱を開けたとたんにチョコが雪崩のように落ちてきた。
落ちたチョコを拾いもしないでただ見ている将に、みな子がくすりと笑いながら寄ってきた。
「すごい。マンガみたいだね。靴箱にチョコレート」
そういいつつ、みな子は屈んでチョコを拾ってくれた。
「1、2、3、4……5つ。すごいね。さっきのと足して9つも」
ハイ、とおどけて差しだすその笑顔に、将はどんな顔を返していいものかわからない。
だから、せめてチョコレートを収納すべく、聡からもらった紙袋をみな子に向けて開ける。
みな子はチョコを1つずつ丁寧に紙袋の中に重ねるように入れていく。
ピンクや銀色、紺色と色とりどりのチョコのラッピングに視線を向けているように見せつつ……将の心の中をどのチョコよりも鮮やかに占めていたのは……聡だった。
聡に、みな子と親しくしているところを、またしても見られてしまった。
それどころか、チョコレートを抱えている自分は嬉しそうに見えてしまったかもしれない。
将が舌打ちしたいような気持ちを抱えているとも知らず、みな子は
「ちょっと待って」
と将をそのままの体勢で待たせて、自分のバッグの中から新しいチョコを取り出した。
「はい。これは、あたしから」
みな子は笑顔をつくると、ベージュに紺のリボンがついた包みを紙袋の中に入れた。
「時間があったら、日曜日に渡したかったんだけど」
みな子が一生懸命笑顔を作っているのは、将にもわかった。
『私から逃げないで』
元旦に電話でそういったみな子の顔は、こんな顔だったんだろうか……。
そんな哀しげな笑顔に、心が動いてしまいそうになるのを、将はかろうじて堪える。
今は……今こそ、言わなくてはならない。聡のために……残酷にならなくてはならない。
飛び込み台に立つような勇気を、自分の中からかき集める。
それでも将は、自らが傷つけるみな子の心、そしてその痛みを想像して……足がすくみそうになる。
息を吸い込むと将は、チョコを入れ終わったみな子に、その紙袋ごと押し付けるように差し出した。
「ごめん。受け取れない」
「……どうして?」
みな子は黒目がちの瞳を大きく見開いて、将を見上げた。
「俺達……」
将は10個のチョコが入った紙袋から手を離した。それを床に落とさないためにみな子は受け取らざるを得ない。
「単なるクラスメートに戻ったほうがいいと思う」
押し付けられたみな子は唖然としている……そのようすも見るにしのびない。
だけど、将は心の痛みに耐えて、みな子を一生懸命直視した。
みな子は、将をまっすぐに見上げたまま涼やかな瞳を2~3回しばたいた。
「……もともと……、単なるクラスメートじゃない」
かろうじて抗議する声と同様、唇や睫も震えている。
「いや、カモフラージュももう……」
「先生のカモフラージュのためにも!」
奇しくも、カモフラージュという言葉が重なり、二人の視線は言葉と同様鋭くぶつかった。
次の瞬間、二人それぞれに唾を飲み込む。
……1拍置いて、将は続けるしかない。
「もう、カモフラージュは……いいんだ。こういう状態、よくないと思うんだ」
絞りだすように言葉をつないでいく。
その言葉が染みこんでいくように……みな子の瞳は目に見えて哀しみに歪んでいく。
愛しているのは聡だけ。聡を悲しませなくない。そのために必要なことなのに。
好意を拒むのは……人を傷つけるのは、こんなにつらいことなのだ。
将は、がっくりと頭を下げた。
「ごめん」
みな子は、いつのまにかチョコの袋を抱きかかえるようにしていた。
何かにしがみついていないと、耐えられない。
……みな子は受けた衝撃と悲しみを紙袋の中のチョコに吸収させてようやく泣きもせず立っていた。
「先生のため、だよね」
将は目をあげるとみな子を見つめた。
その目は……まるで将のほうが振られたような……みな子に助けを求めるようだ。
「先生が……悲しむからだよね。先生は……あたしに」
嫉妬してるんだ。みな子は辛くもその言葉を飲み込んだ。
聡がみな子に嫉妬しているとしたら。
それは一見、同じ土俵に立ったような錯覚をみな子にもたらした。
だが、そんな錯覚は何もならないとみな子はすぐに気付く。
将の気持ちは聡一人に決まってしまっているのだから。
再確認した絶望の位置同様、みな子の視線は床に沈んでしまった。
泣きも喚きもしないみな子に、救われてもいいはずなのに、将は却ってひどい罪悪感を覚えた。
「ごめん……ていうのも変だけど。今までありがとう」
将は罪悪感を覆い隠すために、せめて感謝の言葉を重ねる。
これまで聡とのことが露見せずに済んだのは……クラスメートでさえごまかすことができたのは、みな子の功績であることは確かだったから。
しかし、みな子は下を向いたまま静かに首を横に振るだけだ。
将の中の罪悪感は一向に隠れることはなく……将は恩人であるみな子をここに残したままにするわけにもいかずに立ち尽くしていた。
「ね」
長い沈黙の果てに、みな子がようやく顔をあげた。
1秒を1時間にも感じるような重苦しい沈黙。
呼吸困難になりそうな空気の重さは……本当は一瞬だったのかもしれなかった。
「最後に、教えて」
それは思いのほか明るい声だった。……明るい声を出そうと、みな子がせいいっぱい努力していることが将にも伝わった。
瞳がひたむきに熱を持って輝いているのは、暗い靴箱の中でもわかった。
「あたしのこと……好きだったときもあった?」
0
あなたにおすすめの小説
灰かぶりの姉
吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。
「今日からあなたのお父さんと妹だよ」
そう言われたあの日から…。
* * *
『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。
国枝 那月×野口 航平の過去編です。
独占欲全開の肉食ドクターに溺愛されて極甘懐妊しました
せいとも
恋愛
旧題:ドクターと救急救命士は天敵⁈~最悪の出会いは最高の出逢い~
救急救命士として働く雫石月は、勤務明けに乗っていたバスで事故に遭う。
どうやら、バスの運転手が体調不良になったようだ。
乗客にAEDを探してきてもらうように頼み、救助活動をしているとボサボサ頭のマスク姿の男がAEDを持ってバスに乗り込んできた。
受け取ろうとすると邪魔だと言われる。
そして、月のことを『チビ団子』と呼んだのだ。
医療従事者と思われるボサボサマスク男は運転手の処置をして、月が文句を言う間もなく、救急車に同乗して去ってしまった。
最悪の出会いをし、二度と会いたくない相手の正体は⁇
作品はフィクションです。
本来の仕事内容とは異なる描写があると思います。
イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。
すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。
そこで私は一人の男の人と出会う。
「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」
そんな言葉をかけてきた彼。
でも私には秘密があった。
「キミ・・・目が・・?」
「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」
ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。
「お願いだから俺を好きになって・・・。」
その言葉を聞いてお付き合いが始まる。
「やぁぁっ・・!」
「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」
激しくなっていく夜の生活。
私の身はもつの!?
※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
では、お楽しみください。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
お兄ちゃんはお兄ちゃんだけど、お兄ちゃんなのにお兄ちゃんじゃない!?
すずなり。
恋愛
幼いころ、母に施設に預けられた鈴(すず)。
お母さん「病気を治して迎えにくるから待ってて?」
その母は・・迎えにくることは無かった。
代わりに迎えに来た『父』と『兄』。
私の引き取り先は『本当の家』だった。
お父さん「鈴の家だよ?」
鈴「私・・一緒に暮らしていいんでしょうか・・。」
新しい家で始まる生活。
でも私は・・・お母さんの病気の遺伝子を受け継いでる・・・。
鈴「うぁ・・・・。」
兄「鈴!?」
倒れることが多くなっていく日々・・・。
そんな中でも『恋』は私の都合なんて考えてくれない。
『もう・・妹にみれない・・・。』
『お兄ちゃん・・・。』
「お前のこと、施設にいたころから好きだった・・・!」
「ーーーーっ!」
※本編には病名や治療法、薬などいろいろ出てきますが、全て想像の世界のお話です。現実世界とは一切関係ありません。
※コメントや感想などは受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
※孤児、脱字などチェックはしてますが漏れもあります。ご容赦ください。
※表現不足なども重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけたら幸いです。(それはもう『へぇー・・』ぐらいに。)
【R18】幼馴染がイケメン過ぎる
ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。
幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。
幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。
関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる