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第22章 想いを断ち切る
第371話 想いを断ち切る(2)
しおりを挟む「兵藤くん」
すっかり長居してしまった。
まだ10時前だが、ネタが尽きたのか、店じまいの準備をすべくのれんをしまいに向かう兵藤を聡は呼びとめる。
ちょうどいいタイミングで美智子は手洗いに立っていた。
笑顔できびきびと歩いてくる兵藤に聡は……少し後ろ暗い。
「あのね……」
少し躊躇したが、思い切る。
「私が、ボストンに行くこと、できればクラスのみんなには内緒にして」
つやつやとした顔から笑顔が消え、かわりに、しきりにまたたく目のあたりにけげんさが漂う。
「どうしてですか」
兵藤はそのけげんさをすぐさま言葉に替えてきた。
しかし聡には、その本当の理由も、また彼を納得させるに足る理由をとっさに作ることもできない。
「ちょっと……いろいろと事情があって。あまり派手にしたくないの。お願いだから」
声にしながら、これはないと聡は自分でも思う。
いろいろと事情があって……人を納得させるのにもっとも不足な理由。だけど仕方がない。
「……いいですけど」
兵藤は眉のあたりに不服さを漂わせながらも、それでも最後まで従順で素直な生徒として、聡の言うことに従ってみせた。
「ごめんね。プレゼントまでもらった上におごってもらって」
「いいって……安くしてもらったしぃ。そのかわり、ボストンに遊びにいったときにはタダで泊めてね」
お酒で上機嫌なのか。シートに寄りかかる美智子の語調はあいかわらずリズミカルである。
駅で美智子は聡を残して降りる。
その際、5千円を握らせようとする美智子に、聡は必死で抵抗した。
「いいの、いいの! 結婚祝い!」
「いいよ、お寿司おごってもらったし」
「いいのっ! あたしのときに倍返ししてくれれば」
結局、美智子は無理やり運転手にそれを握らせると、降りてしまった。
「じゃーねえええ! 気をつけてねえ! それからお幸せにねえ!」
美智子は人目もはばからず叫ぶと、タクシーの中の聡に向かって手を大きく振った。
派手な柄もののスカートを身につけた美智子が夜の街に溶けるように見えなくなって……聡は、ふう、とため息をついてお腹をさする。
博史の親。聡の親。美智子、そして兵藤。
聡は嘘をつきながらそのたびに……自分自身の外堀が埋められていくような感覚にとまどった。
こうやって、自分自身も嘘から逃げられなくなっていくのだ。
将から……離れる瞬間は着々と近づいて来るのだ……。
聡は……寒くもないのに思わず身ぶるいをした。
「ひなた」が反応したのかお腹がきゅっと収縮する。
それをさすりながら、無意識に携帯を出す。
博史からメールが届いている。
>準備はどう? 僕のほうは今日が最後の送別会で、まだ飲んでます。
もう走り出したレールから逃げ出すことはできない。
今日は11日。将から逃げるように日本を離れるのは、もうあさってだ。
なのに……心のどこかでは、まだすべてが覆るのを待っている。
と、そのとき。暗い車内に鳴り響く着信音。
将だ。
聡は飛びあがらんばかりにびっくりした。
――まさか、兵藤くんが。
恐れながら、期待する。すべてを知った将が、計画を止めに来ることを。
それと同時に、聞いただけで将とわかる着信音を……変えなくてはならないことを忘れていたのに気づく。
聡は息をのみ込むと、着信ボタンを押す。
電波がつながるのを待ちきれないように将の声がなだれこんできた。
懐かしい声。聞きたかった声。
「アキラー? ……やっぱり声が聞きたくなっちゃって」
こんなセリフは今までなら甘いいとおしさばかりをつれてきたはずだったのに。
『あたしも』
と答えたなら。聡はその場合の将の顔を、想像することでまたいっそう幸せになれたのだ。
だが……今の聡には、胸が焼けつくような苦しさにしかならない。
それと同時に……やはり将は何も知らされていないことを瞬時に悟り……安心と大きな失望によって聡の心の波は少し静かになる。
「ど、ドラマの撮影は終わったの?」
なんとか平静を装う。
「うん。バッチリ。午後まで掛かったけど。ところで、アキラ」
聡はどきりとする。
――『ケンちゃんから聞いたんだけど……』
心で期待と恐れを復活させながら聡は将の言葉を待つ。
「明日、家にいる?」
「……どうして?」
聡は少しほっとしながらも警戒する。
「んー?」
将は電話の向こうでえへへと笑った。いたずらっぽい笑顔が見えるようだった。
「最後だからいつものように英語を教えて? ネットで」
聡は心からほっとした。
将が……うちに来るなんてありえない。
そうわかっていても、聡は警戒……いや、むしろ甘い期待を持ってしまう。
いつだって将は、聡の前に突然……本当に、いきなり現れては抱きしめたから。
そのときめきとぬくもりの記憶は……今はただせつない。
「昼間は病院に行って来るから……夕方だったら」
あさってはいよいよボストンへの出発。
妊娠8か月での飛行機での長距離移動は早産の危険が高い。
康三はそれに備えて医師を同行させるよう準備をした。
その同行する医師と打ち合わせがあるのだ。
それに、少しだけど荷造りもある。
だけど。
……ネットと電話をはさんでとはいえ、最後の個人授業。
最後の逢瀬。
将を騙し遂せるかという難問よりも、聡の心は叫んでいた。
将の声が聞きたい。
将と時間を……共有したい。
せめて。これが最後だから。
最後のネット授業を了解して電話を切った聡は、魂が抜けたようにシートに寄りかかった。
街の明かりがぼんやりと滲んで揺れる。聡はやはり涙を流していた。
もう走り出してしまったのだ。
将の幸せのために、将をおきざりにする……。
なのに聡の心はいつまでたっても将を捨ててしまう覚悟ができない。
将のためなのに……。
聡は涙をぬぐった。
いつまでも涙を流したままでは運転手に気付かれてしまう。
聡は無理やり気を取り直すと、顔を整えるべく、暗くなった窓を横目で眺める。
窓には、みじめな泣き顔が映し出されていた。
電話中、ずっとうつむいていたせいか乱れた髪が頬に張り付いている。
それを後ろにやるべく聡は髪に手をやった。
『アキラ……こっち向いてよ』
そう呼びかけながら聡の髪をふいにかきあげて、顔をよせてきた将。
『ねえ。みつあみさせて。俺、うまいんだぜー』
そんな戯れをいいながら、ベッドの上で戯れた、同棲中の夜。
ひなたを身ごもったあの夜も。
……将の指は櫛となって何度も聡の髪を往復した。
波間に漂うように揺れながら、将は聡の髪の根元から毛先までなんども撫でた。
それは将が髪の先まで……聡をいとおしんでくれる行為の表れだった。
――そうだ。
聡は、暗い街を映し出す窓に向かって、眼を見開いた。
――髪を切ってしまおう。
聡は窓に斜めにうつる自分の顔をみながら髪をゆっくりとかきあげた。
栗色の髪は、別段聡の自慢でもなかった。くせ毛だし、この栗色はカラーリングだ。
それでも
『俺、アキラの髪、だーい好き』
などと抱きついてきては、髪に顔をうずめてくんくんと匂いを嗅いでみせたりした将。
その将とはもう一生逢えない。
将がこの髪をいじることは、もうないのだから。
将の愛した聡の姿を……無理やり変えてしまおう。
髪と一緒に、思いを断ち切ってしまおう。
恋を終わらせるために髪を切るなんてセンチメンタルな行為だ。
そんな風に、心の一部で自嘲する自分を感じながらも、聡は決めた。
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