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最終章 また春が来る
最終章・また春が来る(18)
しおりを挟むホテルから新居に入ることなく病院に直行した聡は、絶対安静の診断が下され、そのまま入院することになった。
病院のベッドで思うのは将のことのみ。聡は将の回復をひたすらに祈った。
とはいえ、自分は将を捨てた身である。そして博史という夫さえいる。
博史の前では、あからさまに将を心配するわけにはいかない。
将の容体を聞くべく、日本に連絡をとることも、ひんぱんにはできない。
聡は来る日も来る日も……腹部の鈍痛と、心がねじれるような苦しみとともに、将を案じていた。
そんな聡の容体も、当然のことながら安定しなかった。
そのまま1ヶ月がすぎた。
将の意識に関する朗報は入らないそんなある日。
聡の下腹部を激しい圧迫痛が襲った。
予定より1ヶ月も早い陣痛だった。
医師が駆け付けた時にはすでに破水していた。
36週めだったのでそのまま分娩することになり、聡は分娩処置室に入った。
繰り返し襲う産みの痛みと苦しみ。その中で聡は将だけにすがっていた。
目を閉じれば、そこにいる将。
将は目を見開いたまま、泣いていた。
――将、将。ひなたが……生まれるよ。
あんなに将が待ち望んだ、女の子。
その陽がこの世に生れ出てくるのに、将が眠ったままなんて……絶対あってはならない。
『もう1回、いきんで!』
『もう少しよ、頑張って!』
英語で繰り返される励ましなど、耳に入らない。
ただ、固まったような息を、吐き出す。
次にねばりつくような空気を、吸い込もうと……聡は力んだ。
だけど苦しくて。
『……将』
苦しい息の下、聡は将を呼んだ。
あの吹雪の中でもそうだった。
将の名前を呼べば。聡はほんの少しでも救われる。
いや、将は聡をきっと助けてくれる。
聡は、自分がいま一度、まっ白な中に囚われたのを感じた。
将。将。どうして。あなた、眠っているの。
――お願い。将。目を覚まして。
最後の激しい痛みが聡を襲い、聡は将の名前を叫んだ――。
「ちょうど、その、4月12日の朝でした。僕が、意識を取り戻したのは……」
ボストンの病院の分娩室で、陽が元気な泣き声を立てた、ちょうどその頃。
将は、ふいに意識を取り戻したのだ。
刺されてから1ヶ月がすぎていた。
付き添っていた純代は、もう一度眠らせるまいと、将の名前を必死に呼んだ。
ぼんやりと虚空を見つめていた将の瞳が……次第に光を取り戻して、最初に呼んだのは、やはり聡の名前だった。
そして、まもなく、そばにいる純代を認めて問いかける。
『アキラ……。アキラは……どこ?』
「あのときは、とにかく寒かった。義母(はは)がどうして自分を見て泣いているのかも理解できず、僕は……あなたの姿を探した」
淡々と当時を語りながら、将の肌にはあのときの寒い朝が蘇っていた。
明るいのに冷たい、妙に静かな朝。
聡は、食事の手を止めて、聞きいっている。
その黒目がちの瞳は……そのときの将をまのあたりにしているかのように悲痛に歪んでいる。
1ヶ月意識を失ったままだった将には、かなりの運動障害が残った。
最初は体を自力で起こすことさえできなかった。
筋肉は細くなり、神経ごと固まってしまったかのようにこわばっていた。
医師は
『元通りになる可能性は充分にある』
と答えた。しかし回復にどれくらいの期間がかかるかについてはわからなかった。
30分近く血流が滞ったことにより、脳にダメージを受けた可能性も否定できなかったのだ。
『……あせらず、リハビリをしていきましょう。若いからきっとよくなるわ』
純代はそういって将を励ました。
自分の体の行く末より、将にはもっと気になることがあった。
目覚めて3日たつのに。
聡の姿が一度も見えないこと。
学校を辞めるといっていた聡。
身重だとはいえ、一度も見舞いに来ないことに不審を抱いた将は、とうとう純代に問うた。
『……アキラは? どうしてアキラは一度も見舞いに来ないんだ?』
純代は将を見詰めたまま固まった。
飲んだ固唾が、喉をくだるのを見て将はさらに問いただす。
『俺が……東大に合格できなかったから……。さっそく聡をどっかに遠ざけたのか、オヤジのやつ』
『そんなこと……』
純代はとっさに――いや、将が意識を取り戻す前から、少しずつ準備していた嘘をついた。
『聡さんは、入院しているの』
『え?』
『あなたのことが、体にこたえたんでしょうね。絶対安静で病院に入院しているわ……だけど、安心して。母子ともに無事だから』
思えば。1ヶ月ずれていたとはいえ。
ボストンでの聡の容体は、あのときの純代の嘘のそのままだった。
将はつらかった思い出の中でのそれと、現実の奇妙な合致を、不思議に懐かしく思った。
聡が入院していることを告げた純代は、
『だから、聡さんの出産に間に合うように、あなたが早く治って』
と将を励ました。
その効果はてきめんで……一日も早く回復したいと、将をリハビリに励ませることになった。
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