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3:シンクロする面影(5)
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ランチが終わると、三年生たちは、更衣室で水着に着替え、ぞろぞろとプールサイドへ向かった。
アクアパークの広大な空間は、高い天井の天窓から差し込む自然光で満たされ、屋外にいるような開放感がある。
国体でも使用される競技用の50メートルプールの水面は、まだ誰もいない静寂の中で鏡のように青く光っていた。
隣には、今回の授業で使用する25メートルプールが並び、どちらも観覧席から一望できる。
プールサイドには、湿度の高い空気が肌にまとわりつき、塩素の匂いがかすかに鼻をつく。その匂いが、海斗には懐かしく感じられた。
海上自衛隊でも、さまざまな訓練をプールで行っていた。基本的な水泳の訓練から、作業服やブーツ、救命胴衣を身に着けた状態での落水・生存訓練まで。
それらは海での活動につながるから、訓練は真剣勝負だった。
「準備運動を始めます。クラスごとに整列してください!」
準備運動を指導しているのは、逆三角形の体形も凛々しい若い男性。
渚学園の卒業生で、世界選手権代表にも選ばれたことがあるという競泳選手だ。
普段の体育は副担任の若林先生らが担当するが、「校外水泳特別実習」の名の通り、特別講師から直接指導を受けられるのだ。
講師の指示で、生徒たちが男女に分かれて整列する。 水着に着替え、全員が水泳帽を被ってしまうと、派手な髪型や服装による個性が消え、陽キャも陰キャも判別しにくくなる。
海斗は「黄色い髪」が隠れたことで少し肩の力が抜ける感じがしたが、同時にどこか頼りないような、心許ない感覚にもなった。
“翔生”としての自分を隠しているような、妙な感覚。
アキトもドレッドヘアを水泳帽に押し込んでいて、普段の派手さが消えたぶん、鍛え上げたガタイのよい体つきが際立っていた。
ブレイキンで鍛え上げられた腹筋は見事に六つに割れている。
海斗とて元の体ならば負けていなかったはずだが、今の翔生の体はバランスよくスタイリッシュではあるが、腹筋はそこまで仕上がっていない。
クラスごとに男女が分かれて整列するため、杏奈は海斗の隣にはいない。
女子はほぼ全員がラッシュガードを着ている。体形を露出するのが恥ずかしいのだろう。
その中で、男子列のすぐ隣に並ぶ杏奈は、膝まで覆うセパレート水着に白いラッシュガードを羽織っていた。
脚が長く、出るべきところはしっかり出ている。成人男性としての海斗には、視線の置き場に困るほどだった。
(……見ちゃいかん)
そう思って目を逸らした瞬間、杏奈がちらりとこちらを振り返った。
だが、さっきのカフェテリアでの気まずさが残っているのか、すぐに前を向いてしまった。
準備運動が始まる。
競泳選手が指導するストレッチは、普段の体育とはまるで違った。
競泳特有のストレッチを交えたそれは、それ自体が一種のトレーニングに思えるほど念入りで、海自の訓練時に受けたものより遥かに長い。
肩甲骨を大きく動かし、股関節を丁寧にほぐし、全身をじっくりと温めていく。
海斗は水泳には自信があった。子供の頃から「カッパ」とあだ名され、すでにヤンチャだった中学時代のクラスマッチなどでは、水泳部のエースと互角に渡り合った。
自衛隊に入ってからの水泳訓練もお手の物で、任務に必要な特殊泳法もすぐにモノにした。
(とはいえ、また英語の時のように目立っても面倒だ……)
翔生がどれくらい泳げたのか、隣のアキトに体側を伸ばしながら聞いてみた。
「俺って泳げてた?」
「え? 知らんわー」
アキトは体側を伸ばしながら、真面目にストレッチしている。
すでに記憶障害に慣れたのか、「他人に自分が泳げたかを訊く」不自然さについては何も思っていないようだ。
「あっでも、金持ちやし。ちっちゃい頃スイミングとか行ってたかもよ?」
なるほど、そういう逃げ道があるなら、多少泳げても不審がられないだろう。
いずれにしても今日は適当に軽く流そう。そう方針を決めた、その時だった。
女子列のほうがざわついた。
「えっ、黒谷!?」
「ちょっと、大丈夫!?」
見ると、杏奈がその場にしゃがみ込み、前のめりに倒れていた。
「杏奈!」
海斗は思考より先に身体が動いていた。
一列向こうの彼女の元へ、迷いなく駆け寄り、杏奈の肩を支える。
杏奈の顔は、青ざめて見えるほどに真っ白で、唇は紫がかっている。
(意識無し、呼吸あり、外傷無し)
海斗は杏奈の手を取り、爪の先を強く圧迫した。離すとすぐに血色が戻る。
――貧血の可能性が高い。
杏奈が薄く目を開けた。
「……ショウ……?」
弱々しい声が漏れる。
ようやく若林先生と保健の先生が駆けつけた。
「黒谷さん、聞こえますか? ゆっくり息してね」
保健の先生が海斗と同じように爪の色を確認し、脈を取り、状態を見極めていく。
「貧血の可能性が高いですね……立てそうですか?」
「……はい……」
杏奈は立ち上がろうとしたが、足がふらついた。それを海斗が横から支える。
「黒谷さん、大丈夫?」
いつの間にか、里玖が、すぐそばにいた。
海斗から支え役を代わるように、里玖の手が杏奈の肩に添えられる。
「ゆっくりでいいからね」
支え役を交代する瞬間――プールの匂いの中に、海斗は里玖の香りをかぎ分けた。
その香りは海斗にとっては、塩素ですら、絶対にかき消せない。
アクアパークの広大な空間は、高い天井の天窓から差し込む自然光で満たされ、屋外にいるような開放感がある。
国体でも使用される競技用の50メートルプールの水面は、まだ誰もいない静寂の中で鏡のように青く光っていた。
隣には、今回の授業で使用する25メートルプールが並び、どちらも観覧席から一望できる。
プールサイドには、湿度の高い空気が肌にまとわりつき、塩素の匂いがかすかに鼻をつく。その匂いが、海斗には懐かしく感じられた。
海上自衛隊でも、さまざまな訓練をプールで行っていた。基本的な水泳の訓練から、作業服やブーツ、救命胴衣を身に着けた状態での落水・生存訓練まで。
それらは海での活動につながるから、訓練は真剣勝負だった。
「準備運動を始めます。クラスごとに整列してください!」
準備運動を指導しているのは、逆三角形の体形も凛々しい若い男性。
渚学園の卒業生で、世界選手権代表にも選ばれたことがあるという競泳選手だ。
普段の体育は副担任の若林先生らが担当するが、「校外水泳特別実習」の名の通り、特別講師から直接指導を受けられるのだ。
講師の指示で、生徒たちが男女に分かれて整列する。 水着に着替え、全員が水泳帽を被ってしまうと、派手な髪型や服装による個性が消え、陽キャも陰キャも判別しにくくなる。
海斗は「黄色い髪」が隠れたことで少し肩の力が抜ける感じがしたが、同時にどこか頼りないような、心許ない感覚にもなった。
“翔生”としての自分を隠しているような、妙な感覚。
アキトもドレッドヘアを水泳帽に押し込んでいて、普段の派手さが消えたぶん、鍛え上げたガタイのよい体つきが際立っていた。
ブレイキンで鍛え上げられた腹筋は見事に六つに割れている。
海斗とて元の体ならば負けていなかったはずだが、今の翔生の体はバランスよくスタイリッシュではあるが、腹筋はそこまで仕上がっていない。
クラスごとに男女が分かれて整列するため、杏奈は海斗の隣にはいない。
女子はほぼ全員がラッシュガードを着ている。体形を露出するのが恥ずかしいのだろう。
その中で、男子列のすぐ隣に並ぶ杏奈は、膝まで覆うセパレート水着に白いラッシュガードを羽織っていた。
脚が長く、出るべきところはしっかり出ている。成人男性としての海斗には、視線の置き場に困るほどだった。
(……見ちゃいかん)
そう思って目を逸らした瞬間、杏奈がちらりとこちらを振り返った。
だが、さっきのカフェテリアでの気まずさが残っているのか、すぐに前を向いてしまった。
準備運動が始まる。
競泳選手が指導するストレッチは、普段の体育とはまるで違った。
競泳特有のストレッチを交えたそれは、それ自体が一種のトレーニングに思えるほど念入りで、海自の訓練時に受けたものより遥かに長い。
肩甲骨を大きく動かし、股関節を丁寧にほぐし、全身をじっくりと温めていく。
海斗は水泳には自信があった。子供の頃から「カッパ」とあだ名され、すでにヤンチャだった中学時代のクラスマッチなどでは、水泳部のエースと互角に渡り合った。
自衛隊に入ってからの水泳訓練もお手の物で、任務に必要な特殊泳法もすぐにモノにした。
(とはいえ、また英語の時のように目立っても面倒だ……)
翔生がどれくらい泳げたのか、隣のアキトに体側を伸ばしながら聞いてみた。
「俺って泳げてた?」
「え? 知らんわー」
アキトは体側を伸ばしながら、真面目にストレッチしている。
すでに記憶障害に慣れたのか、「他人に自分が泳げたかを訊く」不自然さについては何も思っていないようだ。
「あっでも、金持ちやし。ちっちゃい頃スイミングとか行ってたかもよ?」
なるほど、そういう逃げ道があるなら、多少泳げても不審がられないだろう。
いずれにしても今日は適当に軽く流そう。そう方針を決めた、その時だった。
女子列のほうがざわついた。
「えっ、黒谷!?」
「ちょっと、大丈夫!?」
見ると、杏奈がその場にしゃがみ込み、前のめりに倒れていた。
「杏奈!」
海斗は思考より先に身体が動いていた。
一列向こうの彼女の元へ、迷いなく駆け寄り、杏奈の肩を支える。
杏奈の顔は、青ざめて見えるほどに真っ白で、唇は紫がかっている。
(意識無し、呼吸あり、外傷無し)
海斗は杏奈の手を取り、爪の先を強く圧迫した。離すとすぐに血色が戻る。
――貧血の可能性が高い。
杏奈が薄く目を開けた。
「……ショウ……?」
弱々しい声が漏れる。
ようやく若林先生と保健の先生が駆けつけた。
「黒谷さん、聞こえますか? ゆっくり息してね」
保健の先生が海斗と同じように爪の色を確認し、脈を取り、状態を見極めていく。
「貧血の可能性が高いですね……立てそうですか?」
「……はい……」
杏奈は立ち上がろうとしたが、足がふらついた。それを海斗が横から支える。
「黒谷さん、大丈夫?」
いつの間にか、里玖が、すぐそばにいた。
海斗から支え役を代わるように、里玖の手が杏奈の肩に添えられる。
「ゆっくりでいいからね」
支え役を交代する瞬間――プールの匂いの中に、海斗は里玖の香りをかぎ分けた。
その香りは海斗にとっては、塩素ですら、絶対にかき消せない。
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