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4:みだれゆくこころ(4)
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海斗は自宅で一人、憔悴していた。
今日は、言いつくろってアキトからも杏奈からも逃げるように帰宅してしまった。
何度かのため息は、海斗の魂ごと漏れるような深いものだ。
――翔生がかつて教師に振るった暴力。
――里玖がそれを恐れているかもしれないという絶望。
思えばこれまでの里玖の不自然な態度はすべて「恐れ」と理由づけられてしまうように海斗には思えた。
(俺は……コイツじゃない)
この朝倉翔生の体の中にいるのは、危険な暴力生徒ではない。頼む、怖がらないでほしい……。
そのとき海斗の胸に浮かんだのは、自分は翔生でなくて海斗である、と里玖に伝えたら……? という仮定だった。
仮定は、浮かぶなりすぐに切実なる願いへと変化した。
(俺は、翔生じゃない、お前の恋人の海斗なんだ)
伝えたい。今すぐ伝えたい。
でも、言葉でそう伝えても……おそらく「事故の後遺症」で片付けられるだろう。
(どうすれば……)
海斗が絶望しそうになったとき、ふとテーブルに置いたタブレットが目に入った。
急いで提出しなくてはならない進路希望フォームがその中にある。
それを思ったとき、ある企みが浮かんできた。
――もしも。希望進路フォームに「海斗の進路希望」を記入したら?
里玖と一緒に夢見た、あの「夢」を記したなら――。
胸の奥で膨らんでいく思いは、もう誤魔化せなかった。
海斗は賭けに出ることにした。
進路希望フォームの自由記述欄に、迷いなく文字を打ち込んでいく。
(俺は、翔生じゃない。海斗だ。……里玖、俺はここにいる)
その事実を、どうしても伝えたくて。
祈りを込めるように、海斗は送信ボタンをタップした。
翌日。ホームルームで出席を取る里玖は、何の変化もなかった。
送った進路希望フォームを見て、どう反応するか……海斗はそれを考えると眠れなくて、いつもより早く登校したくらいだった。
里玖が教室に現れたときは、心臓が飛び出すようだった。
(……どう反応する?)
ときめきながら、里玖が自分に対して何らかのリアクションを出すことを期待したが、里玖は淡々と出席簿の名前を読み上げ、淡々と黒板に連絡事項を書き、淡々と教室を出ていってしまった。
海斗は、無視されているような寂しさに襲われた。さらに、期待してしまった自分への情けなさが胸に広がった。
——あれを見て無視、そんなはずはない。
送ったのは昨晩だ。まだ見ていないだけだ。そう自分に言い聞かせる。
そう自分に言い聞かせても、胸がざわめいてどうも落ち着かない。
ちなみに、今日は英語の授業がない。そして進学クラスの補習がある。つまり、この後、里玖と顔を合わせる機会はない。
(……サボろうかな)
一瞬、弱い心が顔を出す。だがすぐに打ち消した。
(いや、ダメだ。俺が海斗だって知らせたのに、サボるとか……違うだろ)
もしかしたら、呼び出されるかもしれない。
もしかしたら、何か反応があるかもしれない。
海斗は、片思いの相手にラブレターを出した中学生のように、一日中そわそわと身の置き所のない一日を過ごした。
* * *
一方の里玖は、目まぐるしい業務に追われていた。
今週末に迫ったボランティアバーベキューの段取り、模試の英語成績の分析、そして個別面談の準備。
昼休みになっても席を立つ余裕はなく、自席でお弁当をつまみながら、パソコンの中に大量に届いたメールチェックをする。
その中に『【進路希望フォーム】朝倉翔生君より回答がありました』の通知が届いていた。
(……やっと、か)
期限は先々週末、やっと届いた最後の一人。これが届いたら届いたで学年主任に提出するクラスの進路動向のレポートを作らないといけない。里玖は眉間を揉んだ。
朝倉翔生の母親からは「留学の準備をさせている」と聞いている。だが、本人は「間違いだ」と言っていた。
(きっと、あそこの家庭も複雑なんだわ……)
里玖はふと、自分が育った家庭を思い出した。心の古傷がきしんだ。
シングルマザーの家庭で育った里玖と母は、いつも折り合いが悪かった。
生活費のため働くので精一杯だった母は、里玖をほとんど放置していた。
それでいて、里玖が「やりたい」と望むことは、理由も聞かずに、まず反対した。
しつけと称して激しく叩かれることもあった。
幼いころの記憶を思い返すだけで、今でも胸が苦しくなる。
その孤独と絶望から里玖を救い出し、本物の家族のような温かさを教えてくれたのは、海斗と、彼の両親だった――。
海斗のことを思い出すと、どうしても思考は「最近の朝倉翔生」へと繋がってしまう。 あまりに海斗と重なる朝倉翔生に。
(今はそれよりも、仕事を進めなくては)
里玖は、感傷に耽りそうになる心をぐいと、目の前の業務へ引き戻すと、マウスを動かし、翔生の回答フォームを別ウィンドウで開いた。
(裕福な家の子だもの。きっと東京あたりの有名私大か、お母様の言う通り海外……)
朝倉翔生の進路希望フォームの自由記述欄を目にした里玖は、息をのんだ。
今日は、言いつくろってアキトからも杏奈からも逃げるように帰宅してしまった。
何度かのため息は、海斗の魂ごと漏れるような深いものだ。
――翔生がかつて教師に振るった暴力。
――里玖がそれを恐れているかもしれないという絶望。
思えばこれまでの里玖の不自然な態度はすべて「恐れ」と理由づけられてしまうように海斗には思えた。
(俺は……コイツじゃない)
この朝倉翔生の体の中にいるのは、危険な暴力生徒ではない。頼む、怖がらないでほしい……。
そのとき海斗の胸に浮かんだのは、自分は翔生でなくて海斗である、と里玖に伝えたら……? という仮定だった。
仮定は、浮かぶなりすぐに切実なる願いへと変化した。
(俺は、翔生じゃない、お前の恋人の海斗なんだ)
伝えたい。今すぐ伝えたい。
でも、言葉でそう伝えても……おそらく「事故の後遺症」で片付けられるだろう。
(どうすれば……)
海斗が絶望しそうになったとき、ふとテーブルに置いたタブレットが目に入った。
急いで提出しなくてはならない進路希望フォームがその中にある。
それを思ったとき、ある企みが浮かんできた。
――もしも。希望進路フォームに「海斗の進路希望」を記入したら?
里玖と一緒に夢見た、あの「夢」を記したなら――。
胸の奥で膨らんでいく思いは、もう誤魔化せなかった。
海斗は賭けに出ることにした。
進路希望フォームの自由記述欄に、迷いなく文字を打ち込んでいく。
(俺は、翔生じゃない。海斗だ。……里玖、俺はここにいる)
その事実を、どうしても伝えたくて。
祈りを込めるように、海斗は送信ボタンをタップした。
翌日。ホームルームで出席を取る里玖は、何の変化もなかった。
送った進路希望フォームを見て、どう反応するか……海斗はそれを考えると眠れなくて、いつもより早く登校したくらいだった。
里玖が教室に現れたときは、心臓が飛び出すようだった。
(……どう反応する?)
ときめきながら、里玖が自分に対して何らかのリアクションを出すことを期待したが、里玖は淡々と出席簿の名前を読み上げ、淡々と黒板に連絡事項を書き、淡々と教室を出ていってしまった。
海斗は、無視されているような寂しさに襲われた。さらに、期待してしまった自分への情けなさが胸に広がった。
——あれを見て無視、そんなはずはない。
送ったのは昨晩だ。まだ見ていないだけだ。そう自分に言い聞かせる。
そう自分に言い聞かせても、胸がざわめいてどうも落ち着かない。
ちなみに、今日は英語の授業がない。そして進学クラスの補習がある。つまり、この後、里玖と顔を合わせる機会はない。
(……サボろうかな)
一瞬、弱い心が顔を出す。だがすぐに打ち消した。
(いや、ダメだ。俺が海斗だって知らせたのに、サボるとか……違うだろ)
もしかしたら、呼び出されるかもしれない。
もしかしたら、何か反応があるかもしれない。
海斗は、片思いの相手にラブレターを出した中学生のように、一日中そわそわと身の置き所のない一日を過ごした。
* * *
一方の里玖は、目まぐるしい業務に追われていた。
今週末に迫ったボランティアバーベキューの段取り、模試の英語成績の分析、そして個別面談の準備。
昼休みになっても席を立つ余裕はなく、自席でお弁当をつまみながら、パソコンの中に大量に届いたメールチェックをする。
その中に『【進路希望フォーム】朝倉翔生君より回答がありました』の通知が届いていた。
(……やっと、か)
期限は先々週末、やっと届いた最後の一人。これが届いたら届いたで学年主任に提出するクラスの進路動向のレポートを作らないといけない。里玖は眉間を揉んだ。
朝倉翔生の母親からは「留学の準備をさせている」と聞いている。だが、本人は「間違いだ」と言っていた。
(きっと、あそこの家庭も複雑なんだわ……)
里玖はふと、自分が育った家庭を思い出した。心の古傷がきしんだ。
シングルマザーの家庭で育った里玖と母は、いつも折り合いが悪かった。
生活費のため働くので精一杯だった母は、里玖をほとんど放置していた。
それでいて、里玖が「やりたい」と望むことは、理由も聞かずに、まず反対した。
しつけと称して激しく叩かれることもあった。
幼いころの記憶を思い返すだけで、今でも胸が苦しくなる。
その孤独と絶望から里玖を救い出し、本物の家族のような温かさを教えてくれたのは、海斗と、彼の両親だった――。
海斗のことを思い出すと、どうしても思考は「最近の朝倉翔生」へと繋がってしまう。 あまりに海斗と重なる朝倉翔生に。
(今はそれよりも、仕事を進めなくては)
里玖は、感傷に耽りそうになる心をぐいと、目の前の業務へ引き戻すと、マウスを動かし、翔生の回答フォームを別ウィンドウで開いた。
(裕福な家の子だもの。きっと東京あたりの有名私大か、お母様の言う通り海外……)
朝倉翔生の進路希望フォームの自由記述欄を目にした里玖は、息をのんだ。
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