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6:ささやかな招待(3)
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日曜日。校門の前にはすでに里玖がいて、海斗を見つけると小さく手を振った。
休日らしく、ボーダー柄のカットソーにデニムというカジュアルな装い。
眼鏡はかけているものの、その姿は海斗の記憶の中にある「あの頃の里玖」に限りなく近い。
「休日なのに、本当にごめんなさいね」
「いえ」
話しながら里玖は教員用駐車場に止めた軽自動車の後部座席のドアを開けた。
「狭くて申し訳ないけど……」
後部座席にはチャイルドシートに座った七海が、ぱっと顔を輝かせた。
「ショウあにき!」
差し出された小さな手とハイタッチを交わす。
「狭いけど、後ろでいいかしら。七海がおしゃべりしたいみたいだから」
「……はい。大丈夫です」
本当は、運転席の隣、助手席に座りたかった。里玖の横顔を近くで見たくて。
けれど、そんな願いは胸の奥に押し込んだ。
後部シートベルトを締めながら、海斗はふと昔を思い出す。
かつて海斗が艦艇勤務だった頃、一度航海に出れば数ヶ月は会えなかった。その代わり、休暇には海斗の愛車である大きめの4WDを駆って、二人はよくドライブに出かけたものだ。
里玖も免許は持っていたが「大きい車は怖い」と運転はほぼ海斗だった。
一度だけ田舎道で運転を交代してみたことがある。
中央線を平気で踏み越える里玖の運転に肝を冷やし、海斗が慌てて「強制終了」させたのを覚えている。
それ以来、里玖はほぼペーパードライバーだった。――はずだった。
斜め前の運転席でハンドルを握る里玖の手元を海斗はさりげなく見つめる。
その運転は驚くほど安定していた。車線変更も迷いがなく、ハンドルさばきは手早く無駄がない。
女性としてはかなりの腕前に見える。
……ペーパードライバーだった彼女をここまで変えたのは、幼い子供を抱えて生き抜いてきた「母としての月日」なのだろうか。
海斗の知らない里玖に、また胸の奥が、きゅっとした。
「ショウあにきは、食べ物では何が好き?」
隣の七海が無邪気に問いかけてくる。
「えーと……なんだろう」
海斗は一瞬迷った。海斗を思わせるものは避けたい。
「んーと、んと。ごぼ天パン」
「え~なにそれ~!」
七海が目を丸くする。その横から、里玖がバックミラー越しに声を挟んだ。
「朝倉君も好きなんだ、ごぼ天パン」
「あ、はい~」
最近知ったばかりの食べ物だ。海斗の影は出ないだろうと思って選んだのに、里玖の好意的な反応が返ってきて、海斗は心の中で小さくガッツポーズをした。
「どんなぱん~?」
海斗は一度食べたっきりのパンを思い出しながら答える。
「うんとね、パンの中に、ごぼう天と丸天とうどんがはさまっとると。炭水化物の塊」
「へえ~」
「あはは、朝倉君、あれ食べるとお腹いっぱいになりません? あ、若いから大丈夫か」
里玖が笑いながらごく自然に訊いてくるのが、嬉しい。
「いや、僕でも結構きますよ。一個で一日いけるくらい」
「やっぱりそうですよね~」
車内に笑い声が響く。
こんなふうに、ただの雑談で彼女と笑い合える日が来るなんて。海斗の心が、温かいもので満たされていくのを感じていた。
途中、里玖は花屋に寄った。買ったのは白い菊の花束。
(誰かのお墓参りでも行くのかな……)
車に戻った里玖は、花束をそっと助手席に置き、エンジンをかけた。
「ごめんなさい。もう少しで着きますからね」
「はい」
窓の外を眺めていた海斗は、ふと気づいた。景色が――見覚えのあるものに変わっている。
思わず窓に顔を近づけた。
「ぼく、おむらいす食べる~! 高菜のやつ!」
七海が弾んだ声を上げる。
(高菜のオムライス……? まさか……)
里玖が車をゆっくりと停めた。
「七海ー、着いたよー。朝倉君、ここのお店です。私、車止めてくるから、七海と先に入っててもらえますか?」
「……はい」
車を降り、地面に足をつけた瞬間、海斗は呼吸を忘れた。 胸の奥で、何かが破裂しそうだった。
目の前に掲げられた看板は「沖島食堂」。
海斗は、立っているのがやっとだった。
休日らしく、ボーダー柄のカットソーにデニムというカジュアルな装い。
眼鏡はかけているものの、その姿は海斗の記憶の中にある「あの頃の里玖」に限りなく近い。
「休日なのに、本当にごめんなさいね」
「いえ」
話しながら里玖は教員用駐車場に止めた軽自動車の後部座席のドアを開けた。
「狭くて申し訳ないけど……」
後部座席にはチャイルドシートに座った七海が、ぱっと顔を輝かせた。
「ショウあにき!」
差し出された小さな手とハイタッチを交わす。
「狭いけど、後ろでいいかしら。七海がおしゃべりしたいみたいだから」
「……はい。大丈夫です」
本当は、運転席の隣、助手席に座りたかった。里玖の横顔を近くで見たくて。
けれど、そんな願いは胸の奥に押し込んだ。
後部シートベルトを締めながら、海斗はふと昔を思い出す。
かつて海斗が艦艇勤務だった頃、一度航海に出れば数ヶ月は会えなかった。その代わり、休暇には海斗の愛車である大きめの4WDを駆って、二人はよくドライブに出かけたものだ。
里玖も免許は持っていたが「大きい車は怖い」と運転はほぼ海斗だった。
一度だけ田舎道で運転を交代してみたことがある。
中央線を平気で踏み越える里玖の運転に肝を冷やし、海斗が慌てて「強制終了」させたのを覚えている。
それ以来、里玖はほぼペーパードライバーだった。――はずだった。
斜め前の運転席でハンドルを握る里玖の手元を海斗はさりげなく見つめる。
その運転は驚くほど安定していた。車線変更も迷いがなく、ハンドルさばきは手早く無駄がない。
女性としてはかなりの腕前に見える。
……ペーパードライバーだった彼女をここまで変えたのは、幼い子供を抱えて生き抜いてきた「母としての月日」なのだろうか。
海斗の知らない里玖に、また胸の奥が、きゅっとした。
「ショウあにきは、食べ物では何が好き?」
隣の七海が無邪気に問いかけてくる。
「えーと……なんだろう」
海斗は一瞬迷った。海斗を思わせるものは避けたい。
「んーと、んと。ごぼ天パン」
「え~なにそれ~!」
七海が目を丸くする。その横から、里玖がバックミラー越しに声を挟んだ。
「朝倉君も好きなんだ、ごぼ天パン」
「あ、はい~」
最近知ったばかりの食べ物だ。海斗の影は出ないだろうと思って選んだのに、里玖の好意的な反応が返ってきて、海斗は心の中で小さくガッツポーズをした。
「どんなぱん~?」
海斗は一度食べたっきりのパンを思い出しながら答える。
「うんとね、パンの中に、ごぼう天と丸天とうどんがはさまっとると。炭水化物の塊」
「へえ~」
「あはは、朝倉君、あれ食べるとお腹いっぱいになりません? あ、若いから大丈夫か」
里玖が笑いながらごく自然に訊いてくるのが、嬉しい。
「いや、僕でも結構きますよ。一個で一日いけるくらい」
「やっぱりそうですよね~」
車内に笑い声が響く。
こんなふうに、ただの雑談で彼女と笑い合える日が来るなんて。海斗の心が、温かいもので満たされていくのを感じていた。
途中、里玖は花屋に寄った。買ったのは白い菊の花束。
(誰かのお墓参りでも行くのかな……)
車に戻った里玖は、花束をそっと助手席に置き、エンジンをかけた。
「ごめんなさい。もう少しで着きますからね」
「はい」
窓の外を眺めていた海斗は、ふと気づいた。景色が――見覚えのあるものに変わっている。
思わず窓に顔を近づけた。
「ぼく、おむらいす食べる~! 高菜のやつ!」
七海が弾んだ声を上げる。
(高菜のオムライス……? まさか……)
里玖が車をゆっくりと停めた。
「七海ー、着いたよー。朝倉君、ここのお店です。私、車止めてくるから、七海と先に入っててもらえますか?」
「……はい」
車を降り、地面に足をつけた瞬間、海斗は呼吸を忘れた。 胸の奥で、何かが破裂しそうだった。
目の前に掲げられた看板は「沖島食堂」。
海斗は、立っているのがやっとだった。
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