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10:不在(3)
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時間は戻って、日曜日。
朝倉翔生の意識は、ゆっくりと浮上して……泡がはじけるように、パチンといきなり目が覚めた。
見慣れない天井。使い込まれたような畳の匂いと線香の香りがする。
遠くで読経のような低い声が響いている……。
ぼんやりと体を起こす。どうやら寺の待合室らしき場所で、寝かされていたらしい。
「俺……」
何でここで寝ていたのかを知ろうとして、出した声はひどくかすれていた。
「翔生さん、よかった。気が付いたのね」
「お兄ちゃま、大丈夫?」
義妹の舞が泣きそうな顔で見上げ、義母の佳乃は、胸を押さえて安堵の息をついている。
腕組みをしてこちらを見ていた父の口元が、かすかにやわらぐのがわかった。
「お寺の前でいきなり倒れたのよ。お寺の方がここまで運んでくださったの」
佳乃が翔生が知りたい情報の一部を口にした。でもそうじゃない。
バイクで何かに激突して――そのあと、どうなったのか。
「……バイク……どうなった」
口にした瞬間、頭の奥がズキンと痛んだ。
「翔生さん……もしかして、記憶が戻りかけてるのかしら?」
ひどく長い、そしてあまりに鮮明な夢を見ていたような気がする。それを思い出そうとして
「……いってぇ……」
翔生は眉間に皺を寄せ、こめかみを押さえた。
「無理させちゃいけません。もう少し横になっていてくださいね」
寺の職員に促され、再び布団に横たえられたが、目を閉じると、断片化された「覚えのない記憶」が濁流のようにいっせいに脳内へと流れ込んでくる。
英語がなぜかすらすら話せるようになっていたこと。
授業中にスマホを没収され、反省文を書かされたこと。
水泳が異常に上達していて、リレーで優勝したこと。
アキトと海釣りへ行き、タコをさばきタコパをしたこと。
公園で小さな子供に「水切りのコツ」を教えて懐かれたこと。
早川先生にめっちゃ怒鳴られて、凹む自分。
調理場の熱気、手際よく魚を捌く自分の指先、そして――。
「……!」
ある一点の記憶が脳裏をよぎった瞬間、翔生は跳ねるように起き上がった。
顔が熱い。耳の裏まで真っ赤になっているのが自分でもわかった。
「翔生さん、起き上がって大丈夫……? 顔が赤いわ。風邪がぶり返したのかしら」
佳乃が慌てて駆け寄ろうとするが、翔生はそれを片手で制した。
「あ、いや……なんでもないって。別に、なんでも……」
夢の中で――いや、夢だと思いたい、その記憶の中で、自分は「早川先生」とデートをしていた。
それも、ただのデートではない。暗闇の中でホタルを眺め、互いの熱を確かめるように強く抱き合い、あろうことか彼女の額に口づけまで……。
(やべ……こんなのが浮かぶとか、はずくて死ぬ……)
「よくなった。もう帰る」
いたたまれなくなった翔生は、布団を蹴り飛ばすように立ち上がり、逃げるように退散しようとした。
「ちょっと待って、翔生さん!」
「翔生、待ちなさい」
背後から飛んできた父の鋭い声に、翔生はしぶしぶ立ち止まり、振り返った。
父が腕を組んだまま、低い声で言う。
「……留学の話だが」
翔生は、父の言葉を待ちながら、いまだに胸の奥でドクドクと脈打つ「早川先生の温もり」の残像に、激しく戸惑っていた。
朝倉翔生の意識は、ゆっくりと浮上して……泡がはじけるように、パチンといきなり目が覚めた。
見慣れない天井。使い込まれたような畳の匂いと線香の香りがする。
遠くで読経のような低い声が響いている……。
ぼんやりと体を起こす。どうやら寺の待合室らしき場所で、寝かされていたらしい。
「俺……」
何でここで寝ていたのかを知ろうとして、出した声はひどくかすれていた。
「翔生さん、よかった。気が付いたのね」
「お兄ちゃま、大丈夫?」
義妹の舞が泣きそうな顔で見上げ、義母の佳乃は、胸を押さえて安堵の息をついている。
腕組みをしてこちらを見ていた父の口元が、かすかにやわらぐのがわかった。
「お寺の前でいきなり倒れたのよ。お寺の方がここまで運んでくださったの」
佳乃が翔生が知りたい情報の一部を口にした。でもそうじゃない。
バイクで何かに激突して――そのあと、どうなったのか。
「……バイク……どうなった」
口にした瞬間、頭の奥がズキンと痛んだ。
「翔生さん……もしかして、記憶が戻りかけてるのかしら?」
ひどく長い、そしてあまりに鮮明な夢を見ていたような気がする。それを思い出そうとして
「……いってぇ……」
翔生は眉間に皺を寄せ、こめかみを押さえた。
「無理させちゃいけません。もう少し横になっていてくださいね」
寺の職員に促され、再び布団に横たえられたが、目を閉じると、断片化された「覚えのない記憶」が濁流のようにいっせいに脳内へと流れ込んでくる。
英語がなぜかすらすら話せるようになっていたこと。
授業中にスマホを没収され、反省文を書かされたこと。
水泳が異常に上達していて、リレーで優勝したこと。
アキトと海釣りへ行き、タコをさばきタコパをしたこと。
公園で小さな子供に「水切りのコツ」を教えて懐かれたこと。
早川先生にめっちゃ怒鳴られて、凹む自分。
調理場の熱気、手際よく魚を捌く自分の指先、そして――。
「……!」
ある一点の記憶が脳裏をよぎった瞬間、翔生は跳ねるように起き上がった。
顔が熱い。耳の裏まで真っ赤になっているのが自分でもわかった。
「翔生さん、起き上がって大丈夫……? 顔が赤いわ。風邪がぶり返したのかしら」
佳乃が慌てて駆け寄ろうとするが、翔生はそれを片手で制した。
「あ、いや……なんでもないって。別に、なんでも……」
夢の中で――いや、夢だと思いたい、その記憶の中で、自分は「早川先生」とデートをしていた。
それも、ただのデートではない。暗闇の中でホタルを眺め、互いの熱を確かめるように強く抱き合い、あろうことか彼女の額に口づけまで……。
(やべ……こんなのが浮かぶとか、はずくて死ぬ……)
「よくなった。もう帰る」
いたたまれなくなった翔生は、布団を蹴り飛ばすように立ち上がり、逃げるように退散しようとした。
「ちょっと待って、翔生さん!」
「翔生、待ちなさい」
背後から飛んできた父の鋭い声に、翔生はしぶしぶ立ち止まり、振り返った。
父が腕を組んだまま、低い声で言う。
「……留学の話だが」
翔生は、父の言葉を待ちながら、いまだに胸の奥でドクドクと脈打つ「早川先生の温もり」の残像に、激しく戸惑っていた。
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